第三十八話 真昼の閃光3
かつ、こつ、かつ、こつ。時折振り返り、ラインハルトがついて来ているのを確認しながらも、オリヴィアは迷いのない足取りで進んでいた。
見取り図はほとんど頭の中にある。以前は迷ったりもしたが、休暇明けの巡回の間にあちこち歩き回り、持ち出し禁止の見取り図を何度も読んで覚えたのだ。
さすがに整備員が使う、配管と配管の間を通るような道までは網羅していないが、それでも歩き回るのに十分なだけの記憶はある。現在地はヴァルカンドラのちょうど中腹あたりで、総合司令室までの道は限られるが、ここからでもそう遠くはない。
だが、妙な胸騒ぎがする。まだ襲撃者がいるからだろうか。実際、そこかしこで断続的に銃声が聞こえるし、船員らしき声も聞こえる。しかし、それだけではない。
考えてみるとそもそも、この戦闘には妙な部分も大きい。先ほど交戦した二人は、明らかに素人だった。武装も民間用のもの。そうである以上、少なからず訓練を重ね、その上軍事用の装備に身を包んだクルーたち全てを倒せる訳もない。
それに加えて、ヴァルカンドラに限らず、飛行戦艦の内部構造は広大かつ複雑だ。見取り図もなしに突入すれば遭難の危険さえある。
だが侵入は行われ、今も戦闘が続いている。それは無謀な突撃か――あるいは、何かの勝算を握りしめての物なのか。
肌がチリチリとする感覚。オリヴィアは無言で精神を集中させると、僅かな力場を指先に生成してみる。
すると、とたんに火が点いた。
「……何で燃えてんだ?」
「何で燃えてるんでしょうね」
「ええ……?」
「いえ、失礼。少し試してみただけです」
そして最悪の想定通りだった――という言葉は、なんとか飲み込む。火を吹き消しても、熱はしばらく残っていた。
感応能力の相互干渉。まだ研究の浅い現象ではあるが、先んじて展開された能力は、あとから発動された能力を弾き、あるいは歪める傾向にあることは判明している。それを踏まえて考えるならば。
「急ぎましょう。既に気づかれているかと」
強力な現象感応能力。それも、残滓に触れただけで精神感応能力が捻じ曲げられたとなると、おそらく至近。既に探知されていると見た方が良い。
二人が駆け出すのと同時、ガンガンとがなり立てるような足音が、どこからともなく響き出した。まだ距離はあるが、足音の接近の方が早い。舌打ちを一つ吐き出し、ラインハルトをせかす。総合司令室まではまだかかる。あえて入り組んだ道を走っても、到着までに追手を撒けるかは未知数だ。
「敵を引き連れていくわけには行きません、よね」
「なんだって!?」
「独り言です。ラインハルト、次の道を左に曲がったら小部屋で隠れていてください。……追手の方はここで始末します」
少年が部屋に飛び込んでいったのを見届けてから、オリヴィアは立ち止まって振り向いた。足音がぐんと迫る。銃声のように荒々しいそれが、曲がり角のすぐそこまで迫った時、彼女は迷わず五連射を放つ。
炸薬の破裂音が高らかに鳴り響く――だが、着弾の音は一度もなかった。
「……あぶねえなぁ、クソガキ。人さまに銃を撃ったらダメだろォ?」
べちゃり。その代わりとばかりに響いたのは湿った落下音で、オリヴィアがそちらをちらと見れば、黄銅色の水たまりが広がっていた。
弾丸を溶かされたのだ。それも一瞬のうちに。着弾さえしなかったことを考えると、おそらくは強力な熱波のようなものが放たれたとみるべきか。少女は言葉を返さず、ギロリと侵入者を睨みつけた。
背の低さからすると、年はオリヴィアよりいくつか上、といったところだろうか。燃え上がるような赤い髪と日に焼けた肌は、王国人に近しい特徴だ。くたびれた軍服はあちこち焼け焦げていたが、やはりこれも、王国軍の意匠が見て取れる。
そして、顔の上半分を覆う、煤けたような白い仮面。目元の穴以外は装飾もないそれの奥から、真っ赤な瞳が少女の方を見ている。
これが勝算であろうか。オリヴィアは銃を構えながら無言で思う。
「ムカつくぜ……返事もなしか?」
「……」
「軍服のガキ……クソ悪い目つき……てめえがリーダーの言ってた
こちらを睨み返す視線はするどく、声は高い。女なのだろうか。多くの考えをまとめながら、乾いた口でオリヴィアは言う。
「――あなたには投降の権利があります」
「あァ?」
「あなたが投降するのであれば、帝国の法に基づき、あなたは捕虜として扱われます。皇帝陛下の御名のもとに生存権と人権を保障され、所属国家との交渉後に解放されます」
「……へえ。なるほどねぇ」
「もし投降の意思が認められない場合、射殺も許可されます」
女はその言葉を鼻で笑い過ごすと、その口元に
「お前はそうしなきゃ殺せねえって訳か?」
「……ッ」
「オリヴィア・エーレンハルト……だっけか? いいぜ、やってみろよ。……投降する気なんぞ、ねぇ!」
無に立ち上る炎の中でたか笑う女。熱風に吹かれて、短い髪を巻き上げられながら、彼女は高らかな声で告げた。
「オレはヒュリアス。白夜隊の六番隊長ヒュリアスだ……覚えとけよ、死ぬほど恨むことになる名前だぜ」
「……ええ、後ほど軍司令部に伝えておきます」
女が動くのと同時、オリヴィアは再び発砲した。
ヒュリアスの振るう腕の先から炎の塊が放たれる。速度は大したことはないが、恐るべきはその熱量だ。撃ち込んだ弾丸が片っ端から溶かされていく。緊急携行用の軽い弾丸であり、確かに溶けやすい材質ではあるが、それでもちょっとやそっとでどうにかできるものではない。
転がるようにして火の玉を回避しながらまた三発。今度は能力を込めて弾道を曲げた。それぞれにバラけた軌道を描いた金属の暴力は、しかし新たに生み出された炎の塊に焼き溶かされた。
「無駄無駄ァ!」
「キリが有りませんね……」
「腕や足の一本ならッ! 焼き切っても死なねぇよなぁッ!」
広げた五指に炎が灯る。オリヴィアが出せる炎もそうであるように、自身に影響は出ないようだ。今度のは小粒だが、おそらく熱量は同じ。当たれば宣言通り、手足を失うこととなるだろう。
「そらそら! どうした!」
まき散らされる火の弾丸。飛び退り、転がり、弾倉を交換しながら後ろへ後ろへと向かうオリヴィアを、炎を放ちながらヒュリアスがあざ笑う。
言動とは裏腹に歩み寄るようなスピードは、おそらく絶え間ない炎の連射のため、精神を集中する必要があるからだ。堂々としたその歩みは、炎に包まれた道の中、火を司る天の大神が一柱を彷彿とさせる。
だが対するオリヴィアは、ただ静かに乾いた脳の中で、眼の前の敵を見据えている。そこに恐れも怯えもなく、冷徹無比たる軍人の姿がそこにはあった。
――弾を溶かすのは示威行為ですね。拳銃弾であれば溶かすより止めたほうが負荷は少ない。基礎である物質への感応能力は弱いと見るべきでしょうか。
――となると、能力に使える精神力もそう多くはないはず。であれば。
スライドを引いて弾を込める。頼りない携行暴力だが、手の届かない場所にもあたるというのは、まこと飛び道具の利点と言えよう。
オリヴィアは再び銃を構え、そして撃つ。
「無駄だってのがまだ……ああ?」
「……ふう」
「どこ撃ってんだよ、お前?」
軽い引き金の三連射が、乾いた音を奏で、弾丸は宙を舞い。そして検討違いの方向へ飛んでいった。だが、想定通りのことだ。なにせどこも狙っていないのだから。
ヒュリアスが着弾箇所を訝し気に睨んだその瞬間、オリヴィアは壁に生えていたボタンめがけて、思いやりのかけらもなく拳を叩きつけた。
当然のことではあるが。ヴァルカンドラ、ひいては飛行戦艦は、上空大気による影響を減らすため、基本的に密閉されている上、特に反重力機構の
防火用の遮断壁に、消火剤――そして、
手動による装置の発動によって、たちまち細い雨が室内に降り出す、ヒュリアスはようやく、オリヴィアの目的を理解したらしい。
ヒュリアス自身が放った熱気が水を水蒸気に変えていく。だが、この雨の中で、炎はその猛威を残し続けることなど出来ない。より多くの燃料がなければ。
もうもう立ち込める霧の中、二人の視線が交差する。
「てめぇ……」
「鬼ごっこと行きましょうか。逃げ隠れは苦手ですが、忍耐には自信がありまして」
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