第三十七話 真昼の閃光2

 呆れたような声を上げる侵入者に、彼女は淡々と言葉を続けた。それは義務であり、また線引きでもあった。少女のオリヴィアではなく、帝国軍人のオリヴィアなるための。

 ぼんやりと、右手が重い。脳が熱い。ビリビリとした剣呑な思考の中で、のどが渇いたな、とかすかに思った。


「帝国法に基づき、捕虜にも人権が保証されています。拷問や虐待のたぐいは皇室の気高きご意志によって禁止されており、しかるべき待遇での寝食が与えられます」

「何だこの子供は? ふざけやがって」

「おい、相手にするな、さっさと指令室を占領しに――」

「なお、投降を行われない場合にはその限りではなく、射殺も許可されています」

「が、あぁッ――!?」

「っ、お前ッ!」


 甲高い炸裂音が3発。彼らの意識の逸れた瞬間、オリヴィアは迷わずに後ろでの銃を振り上げて引き金を引いた。ラインハルトが息をのむ声がいやに耳に響く。

 悲鳴のようなうめきとともに男の片方が倒れた。オリヴィアを無視して動き出そうとした方だ。予期しない負傷は、より強い痛みをもたらす。放たれた弾丸は足と手に着弾していた。


 男をよく見れば、被弾した箇所が悪かったのか人差し指と中指が吹き飛んでいる。もはや銃は握れない。もう片方の男は慌てて銃を構えた。狙いはめちゃくちゃだが、当たれば人は死ぬだろう。

 自分の方を向く銃口を見ながら、オリヴィアは自分の思考が急激に冷えていくのを感じていた。

 敵工作員からも一発の弾丸が放たれる。拳銃弾よりも長く鋭いライフル弾。回転をともなった弾丸は空を裂き――


 そして、何にも命中することなく静止した。


 精神感応能力は、能力者を中心とした狭い範囲にしか適用されない。だが逆に言えば、のうちであれば、戦艦規模の物体に干渉する感応力を発揮できるのだ。能力評価C+のオリヴィアでも、弾の一、二発程度を止めるのはたやすい。

 もちろん、発砲を予期して力場を張り巡らさなければならないし、そうしている間は大きく動けないが、それでも正面戦闘における優位性は言わずもがなである。


「な、ん……っ!?」

「すぐさま投降に応じなかったため、艦長権限で発砲させていただきました。……あとで始末書ですね」

「ぐあ!」


 呆ける男の腕めがけて、オリヴィアはまた3発の弾丸を放った。足を狙わなかったのは、先に銃を落とした方が良いという判断からだ。命中は肩口に一発、手の甲をえぐった弾が一発。あとの一発は耳をかすってあらぬ方向へ行った。

 痛みに体勢を崩しながらも、男はどうにか銃を持ち上げる。なさねばならぬ大義か、あるいは短慮な怒りか。どちらにせよ、今の生活を捨てた以上、戦う以外の選択肢はないのだ。まして、こんな子供に負けるなど。

 そうして再び上げられた銃口は、しかし人間をとらえる事はなかった。


 振り上げられる足。振り回せば武器にもできるほど頑丈に作られたブーツのつま先、それが己の顎めがけて蛇のようにしなる。それが男の覚えている最後の光景になった。


「……はぁー。面倒なことになりましたね」


 仰向けになって気絶した男を前に、オリヴィアは大きく息を吐き出す。同時に、張りつめていた精神がかすかにゆるみ、空中で静止していた弾丸がからりと音を立てて落下した。

 もう一人の男は出血と痛みを前にして言葉を発する事すらできず、撃てもしない銃を握ったまま、オリヴィアを睨むばかりだ。苦悶を秘める呻きがおどろおどろしく響いている。

 また蹴りで気絶させてもいいが、近づくと妙な抵抗を受けかねない。


 少し逡巡したあと、オリヴィアは男に数歩、手の届かないギリギリの位置まで近づく。青白い顔で睨む視線。だが、敵からの殺意など大したものではない。味方から向けられる害意の方が、彼女にはよほど怖いのだ。

 一呼吸。そののち、猛禽のごとき眼差しをもって、オリヴィアは真向から視線を受け止め、睨み返した。その視線に憎しみも殺意もなく、凪いだ湖面のような、全てを受け入れ制する冷徹さだけがあった。

 予期せぬオリヴィアの動きを前に、男に生じる動揺を見逃さず、オリヴィアは囁きに近い小声で告げた。幼子を撫でるような声だった。


「"いい子だからお眠りケフェン、イノス、ベート"」


 それきり、男は苦悶が嘘だったかのようにパタリと倒れ、眠った。精神感応を放ったのだ。目と目を合わせ、動揺を誘ってからであれば、距離が離れていてもこの程度は容易いことであった。


「え……し、死んで……っ!?」

「ません。眠っただけです。そちらの男も気絶で終わらせています。……止血と拘束をしますので、手伝ってください」

「え、あ、て、手伝うって」

「とりあえず服を脱がしてください。ついでに、その服で止血と拘束を済ましますので」

『――艦内の各員に告げます。武装侵入者が確認されました。艦内戦闘に備え、非戦闘員はすみやかにヴァルカンドラから退避してください。繰り返します――』


 どうやら別所でも襲撃者が現れているらしい。艦内放送が響き渡り、にわかに騒がしくなりつつある船内で、簡素な医療行為と拘束を済ませたオリヴィアは、すぐさま立ち上がった。出来るだけ早く動くべきだ、と判断したからだ。


 ヴァルカンドラ艦内セキュリティは強いが、絶対とは言い難い。そもそも敵戦艦に乗り込んでの鹵獲戦術など極めて前時代的なものであり、現代戦においては対策よりコストの方が重視されていた。

 飛行戦艦は金食い虫なのだ。削れる部分は削らねばならない

 そのため、防衛用の設備が全ての通路に施されている訳ではない。一般人を連れている以上、すみやかに最も厳重なセキュリティに守られた部屋、つまり総合司令室へ護衛すべきだと考えたのである。


 弾倉を交換し、次なる戦いに備えるオリヴィアを、ラインハルトはかすかに震えながら見ていた。弱音を吐かないのは、男児としてのプライドであったのだろうか。

 そんな彼に、少女はただ告げた。出来るだけ、感情の起伏を抑えながら。


「……これが、軍人と言う仕事です」

「これが……」

「どの道を選ぶにしても自由ですが。軍人になるなら、覚悟はしておいてください」


 ――戦って殺す覚悟ができないうちは、軍人が守らねばならない。健全な国家、健全な軍隊とはそういうものだ。たとえ彼女自身が、それに反する存在だとしても。

 責任がオリヴィアの心を覆っていく。いつもは重くのしかかるそれが、今だけはありがたかった。引き金の感触も、溢れ出る血も、直接命を奪う感覚でさえも。責任感の脆い皮膜さえあれば耐えられる。

 いびつな覚悟を胸に、彼女は銃を強く握り、それから振り返った。


「歩けますか? 総合司令室まで行きますよ」

「……ああ。そう、だよな。ゆっくりはしてられない……」


 ギリと歯を食いしばる音が二つ。一つはオリヴィア。一つはラインハルトだ。


 少年とて、幼いながらに物は考えている。自身を巡る欲の渦にいた彼にとって、人の感情を読むことは、息を吸って吐くように自然なことだ。

 だから、オリヴィアの感情もわずかだが見えた。硬く閉ざされた仏頂面の仮面の向こう、絶望と慟哭を責任感で押し潰すその姿が。

 いったい、どれだけの仕打ちをすれば、自分と同じぐらいの子供がこうなるのだろう。ラインハルトはそう思わざるを得なかった。


 ――まだ人生経験の浅い少年だろうと、持論というものはある。つまり、"覚悟"というのは、"できる"という自負を伴って背負うべき、というものである。自分がそうしたいから背負うものだと。

 自責で背負う覚悟とは、往々にして無理を呼ぶ。身体を傷つけ、心を砕くものだ。オリヴィアと話すまでのラインハルト自身がそうだったように。


 ――こいつに。今のこいつに、直接人を殺させるべきじゃない。絶対に。


 それが軍人である少女にとって、その場しのぎの偽善でしかないと分かっていても、ラインハルトは強く拳を握った。武器を持たない手でも、出来る事をさがすように。

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