第三十六話 真昼の閃光1

 かつ、こつ、かつ、こつ。あるじの来訪を告げるかのように、ブーツの足音がヴァルカンドラに響いていく。一部の隙もなく敷き詰められた金属板は、柔らかな足音を立てるという選択肢を与えない。

 とはいえ、それにもずいぶん慣れた。済めば都と言うほどでもないが、少なくとも頭が痛くなるような事はない。胃痛は別の要因だ。


「なんか、すまねえ……」

「いえ……まぁ、軍務も終われば暇ですから。ずっと部屋にいるのも気が滅入りますし」


 彼女の後ろを気まずげに続くのはラインハルトだ。眠気を隠せないオリヴィアを見ての言葉であろう。通路に突き出た金具に引っかかり、なかなか歩きづらそうにしている。

 戦艦内部の見学を頼んだのはほかでもない彼自身なのだ。この後、出発する前に子供たちに見学をさせる予定もあり、その予行練習としてオリヴィアが受け負ったのである。


「ああ、それは姿勢維持棒バランスグリップです。緊急時に掴むものですから、あちこちに生えていますよ」

「何に使うんだよコレ? あいてっ」

「他の艦はそうでもないですが、空戦時のヴァルカンドラは大きく傾いた形で動く事が多いので。……遠慮せず、道の真ん中を歩いた方が良いかと」


 機動力が高く、上下左右へ急旋回をおこないがちなヴァルカンドラ内部において、通路は危険領域だ。咄嗟にどこかへ掴まる事が出来なかった場合、下手すれば船の中でと言う可能性もある。

 そうした危険を少しでも避けるため、ヴァルカンドラの通路には五メートル単位でコの字型の取っ手が備え付けて有り、クルーたちもとっさにこれを掴んで体を支えられるよう訓練を積んでいるのだ。

 万が一、船体が地面に対し直角になるまで傾いたとしても問題ないよう、くぼみもいくつか設けてある。そこに足を引っかけ、姿勢維持棒にしがみつけば、艦が地面に垂直になっても立っている事が出来るのである。


 とはいえ、これらのほとんどは気休めのようなものだ。だからこそ、船員はいくつも滑落防止用の装備を身に着けているし、落下してしまうような角度に至る前に警告を行うのだが。


「空戦、かぁ。オリ、じゃなかった艦長さん……艦長殿? はその、経験があるのか……ですか?」

「無理にかしこまらなくても構いません。まぁ、ありますよ。新聞にも載っていたかと思いますが」

「あー、そう? 新聞か……そういや、ちらっと見たことあったな」


 あれこれと話しながら道を進む。食堂、小型艦の発着場、それから砲座の一部。道を特定できないよう、わざと大きく遠回りで、迷うような道を選ぶ。子供相手に警戒しすぎだとも思うが、空軍の見学マニュアル通りの対応なので仕方ない。

 総合司令室は機密の宝庫であるため案内できないが、それでもラインハルトは楽しそうにあちこちを見ている。オリヴィアにはよくわからない感覚だが、やはり男児となると、こういうものが好きなのだろう。

 ブルーノのはからいで小型艦――といっても、旧式の哨戒艇だ――に乗った時は、興奮しすぎて倒れるのではないか、と心配になるほどだった。


「さて、この辺で案内を……」


 そんなヴァルカンドラ見学も一段落し、太陽も中天に至るころとなった。先ほど食堂で早めの昼飯は済ました以上、これ以上出来ることもない。早めに切り上げようと、オリヴィアは口を開き、そしてすぐにやめた。

 脳裏をピリピリと、何かがよぎる感覚。船とつながっている時とは違う者の、オリヴィアの精神感応能力が、高らかに警笛を鳴らしているのだ。足を止めろと。


 船乗り――とくに感応能力を多用する事になる人間にはしばしばある症状らしい。船とつながる感覚によって少なからず脳が、無意識に危険が迫る兆候について知らせるのだ。

 未来予知や危険感知と言えるほど便利な力ではない。だが、先輩艦長二人は、口をそろえてこう言うのだ。「その感覚に従え、決して無視するな」と。

 多くの船乗りはそれを、船神の加護などと呼ぶ。気高き船乗りにだけ、船の乙女はささやくのだと。


「……ええと、なんかあった、のか?」

「わかりません。ですが……今、何か聞こえましたね」

「え。あ、確かに聞こえる」

「静かに」


 耳をすませば、遠くで何か音がする。甲高く響く、規則的な響きは、間違いなく足音だ。それに対しオリヴィアは、普段から悪い目つきをもっと細めた。

 ヴァルカンドラのクルーの足音は、ある程度一定のものだ。全員、正式採用の滑落防止措置が施されたブーツを履いているのだから、普通に歩いていればそう大きく逸脱することはない。

 だが、このブーツの音は効いた事がない。普段よりもよく響く高質な音は、おそらく金属質の何かが埋め込まれたものか。甲冑でもなければ、一部に鉄板の入った安全靴などであろう。

 今日来る部外者に整備士の類はいない。予定があるのは見学者のラインハルト只一人。


 頭にちらつく多くの可能性。オリヴィアは思考に蓋をして、無言のまま、小さな壁に手をかけた。そこには小さなへこみのようなものがある。ともすれば、誰かが何かの拍子に歪めてしまったのだと思うような小さな傷。

 それは使うのはまだ先だと常々思っていた、緊急時の備えだった。

 指を引っかけて引き下ろせば、巧妙に偽装されていた蓋が外れて、掌より少し大きいぐらいの空間が現れ。そして、鋼色の殺意がその姿をあらわにした。


「銃……」

「ええ。帝国空軍正式採用のクリバルDP7です」

「な、なんで急に」

「使うことに、なるやもしれません」


 既定の位置へマガジンを叩き込み、スライドを引いて準備する。あとは引き金を引けば、人を殺せる。


 覚悟はまだない。口先だけですでに何十人、何百人も殺しているオリヴィアだが、まだその手で殺すだけの決心はつかない。だが、身を護るのに必要なら撃つ。後悔は撃ってからすればいい。

 胃が痛くなろうが、心が苦しもうが、それは自分の責任だ。それだけが確かなことだった。

 震える足を地面に押し付けて抑え込む。足音が近づいてくる。オリヴィアはラインハルトを半身でかばいながら、銃を後ろ手に隠した。


「――画は――か?」

「――司令室は別の――」


 断片的な声。耳を澄ましても、通路の反響で上手く聞き取れない。だが、クルーたちの声でない事だけが確かだった。


 もう間もなく足音の主が来る。そんなわずかな時間の中で、オリヴィアはただ静かに思考を回した。ラインハルトが何か言おうとするのを目で制する。


 思えば、空賊まがいの武装集団とて、第三艦隊の巡回は分かっていたはずだ。小型艇の一つや二つであれば、民間船に偽装するなり、輸送船でひそかに送るぐらいはできるが、大型艦はいくらなんでも隠せない。

 雲の上から奇襲攻撃する程度は十分可能だが、あまり長いとクルーの方が保たない。高高度は未だ、人間が生きられる環境からは程遠いのだ。


 戦力差が分かっていながら、それでも戦いを仕掛けてきた。思いつく可能性は三つほど。

 実働隊に情報が知らされていなかったか。戦力差を踏まえての作戦か。あるいは――油断させるための囮か。


 曲がり角から歩み出て来たのは、はたして予想通り、クルーではなく。


「なんだ、軍服の子供……?」

「構うな……いや、子供だと。能力者か?」


その顔を覆面とベールで覆い隠した、不審な人影であった。


 耳を通過していく言葉を無視し、オリヴィアは立ち止まった侵入者の姿を観察した。

 布と覆面で顔は見えない。服装には一部軍用品が用いられているものの、体格から察するに現役軍人ではないだろう。

 握る長銃はボルトアクション・ライフル。弾倉マガジンの長さを見るに改造品。型番は削り取られた痕跡があるが、形状からすると市販品の狩猟用長銃。最近になって規制が検討されているもの。


 肩の象徴的なエンブレムに、少女は一瞬瞑目し、それから告げた。


「銃を捨て、投降してください」

「は――?」

「帝国軍規則に基づき、捕虜としての扱いを約束いたします。交戦するならば――命の保障はできません。光の腕パル・ディアロッカの方々」


 

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