第三十五話 掲げし盾4

 ――ヘイクトゼン襲撃事件、通称"真昼の閃光"事件が巻き起こったのは、帝国暦402年、七月二十日のことである。正確に言えば、襲撃自体はそれよりずっと前。遡れば三年も前から記録があったという。

 一連の襲撃事件に対し、忸怩たる思いを募らせていた駐屯軍指揮官であるヘルマー・ベッケンバル一等空尉(当時のことであり、引退までに二等空佐となった)は、その日の日記にこう書いている。


「我らは勝った。ようやくの勝利だった。皇帝陛下に合わせる顔もないが、それでもこう記す義務が私にはある。帝国にこの勝利を捧げよう。皇帝陛下に栄えあれ。万歳、万歳、万歳」


 インクの滲みが後世にまで残るほど、強い筆圧の文字でのことだった。


 さて、一般的に"真昼の閃光パル・ローント"と呼ばれる事件において、死傷者は約八十名ほどに及ぶ。うち駐屯軍の死者四名、負傷者は七名で、重症は二名。残る死傷者はすべて"光の腕パル・ディアロッカ"のものだ。

 紛れもなく、駐屯軍側の勝利である。

 勝因はやはり、結果として大型艦計五隻が駐屯軍側にそろった事が大きい。これは偶発的な要因もあったものの、数は正義という戦いの理念そのままの結果である。


 しかし一方で、艦長の視点から見れば、被害こそ少ないが、課題も残る結果であったとされた。第三艦隊一番艦"ねじれ鋼"艦長、アデーレ・バルツァーは「もっと上手くかく乱出来た。準備を怠ったね」とこぼしていたという。

 最も大きくこの戦いを批判したのは、作戦立案にも深くかかわったオリヴィア・エーレンハルトである。彼女はこの戦いについて問われると、決まって「ヴァルカンドラは早すぎる」と返した。


 初めて他の艦と合流して動いたことで、余計にそう思ったのだろう。ヴァルカンドラ一隻が早く動けても、他の艦が追い付けないのだ。作戦立案においても立ち回りで頭を抱えた。

 一隻で突っ込んだところで、かく乱以上の仕事はできないと判断し、結果として固定砲台のような動きにならざるを得なかったのだ。これは、高い機動力と火力で敵戦線を揺るがすという、巡洋戦艦の理念とは真逆の動きである。

 いかに巡洋戦艦とはいえ、一隻きりではヴァルカンドラの性能を生かしきれない。この船に随行できる中型艦か大型艦が欲しい、という結論が彼女の口からこぼれ出た。


 そして、彼女の本音は日記にのみ綴られる。こちらは、ヘルマー一等空尉の物とは違い、あくまでも平素の記録と大差ない筆遣いだ。しかし、死者数を記す線は、かすかに震えているようにも見えた。


「もし私が、もっと敵をかく乱できるよう努めていれば、あるいはヴァルカンドラが自在に動けさえすれば、死者ゼロを達成できたのだろうか」


 それは所詮、妄言と言ってもいいほど荒唐無稽なことだ。戦場で死者が出ないなどありえない。ヴァルカンドラに追従できる船などいなかった。何度か書き直した痕跡から、彼女自身、"たられば"の愚痴でしかない事は分かっていたのだろう。

 だがそれでも、彼女はそう思わずにはいられなかったのだ。死者はすべて、駐屯軍に所属する小型艦からのものである。これは、比較的小規模とはいえ、空戦隊を抱えるオリヴィアにも他人事ではなかった。


 一層精進せねばならない。その日の日記はそう締めくくられる。守るといわず、生き残るといわず、ただ勝つために必要なことだと。




「失礼します。あー……あの、オリヴィア艦長。物資の搬入が八割方完了したとの報告がありました。あとは燃料の補充と、各種安全用具の保全点検さえ済めば出発できます」

「ん……ああ、失礼しました。ようやくですか」


 エリザからの報告で、ハッと我に返る。気づけばすでに日も登り、朝の仕事が始まっている時間である。ヘイクトゼンの総合学校旧校舎、急遽設けられた執務室の中で、オリヴィアはうつらうつらと船を漕いでいたのだ。

 昨日は砲弾の爆発事故があり、それの処理で眠れなかったのだ。けが人は出た物の幸い死者はなく、せいぜい無駄にかかった出費の始末書を書くのに手間取った程度である。問題はそれが、彼女の睡眠時間を著しく削ったことだが。


 少し前にブルーノが置いていったコーヒーを啜りながら、報告書を流し見る。舌の上が苦いのは、冷めたコーヒーだけの問題ではないだろう。


「結局、追加で半月ほど使ってしまいましたね。報告会を思うと頭が痛いです」

「通常弾とはいえ、砲弾を大分使いましたから……ねじれ鋼の装甲補修にも時間がかかりました。まぁ、ヘイクトゼンからの報告もありますから、空軍本部もある程度配慮してくれますよ」

「だといいのですが。……ああ、エリザ副艦長もそろそろ休んでくれて構いません。本来は休日のはずでしょう?」

「仕事を残したままだとゆっくりできませんから……」

「……まぁ、そこは同意しますが。私もこれから仮眠を取りますから、副艦長もどうか休んでくださいね」

「艦長もですよ。ご自愛くださいね」


 むしろ休んでくれないと困るのはオリヴィアである。なにせ、エリザは副艦長。現場、特にヴァルカンドラ艦内における上司は少女ただ一人。

 となれば、エリザがもし倒れようものなら、その責任問題はオリヴィア・エーレンハルトが食らうことになるのである。軍法会議やら寝不足やらより、そちらの方が致命的に胃に悪い。

 もちろんその話は艦長のオリヴィアにも適用される。少女は曖昧に頷いた。


 苦笑して部屋を立ち去っていくエリザを見送れば、不意な眠気が彼女を襲った。いよいよカフェインも悲鳴を上げているらしい。


「……この後は、確か……ああ。艦内を、案内しなくては……」


 とにもかくにも、この眠気を払わねば話にならない。眠気でふらつく体をどうにか突き動かして、寝台に沈むと、意識は急速に眠りの闇の中へと落下していった。思考の片隅で、ラインハルトに頼まれた案内のことを思いながら。




 ――さて、真昼の閃光事件は、歴史的にみてもそれなりに大きな事件である。第三艦隊が成立してから、初めての組織だった戦闘であったこともそうだが、一番はその規模であろう。

 大型艦数隻、たかだか犯罪組織の一つがそれほどの規模になったこともそうだが。なによりの問題は、帝国領土内において、市民の"裏切り"が発生した点である。


 こと、帝国内においても治安の問題というのは常にあり、特に現皇帝の即位にまつわる問題からは多くの離反者を生んだ。口に出さずとも、行動にまでは及ばずとも、民衆と貴族の双方において、不満を抱えた者たちは少なくない。

 だがこれほどまでに明確に、民衆が帝国に対する反逆を企てた例は、これが初めてのことであった。研究者の間では、この後々のちのちにおける民衆の決起や反乱の増加は、この事件が世に広まった事が切っ掛けだといわれている。

 たとえ小さなくすぶりだとしても、火は火、熱は熱だ。決して馬鹿にしてはならない類のものである。


 第三艦隊の残した人員の協力もあり、すでに爆破未遂や窃盗未遂を起こした犯人たちは検挙され、事態はひとまずの終息を見せた。

 だがその時、彼らは忘れてはならない事を一つ、見逃してしまった。


 ――はたして、裏切り者がどれだけいるのか、という視点だ。

 それは致命的なミスだった。小規模であってくれと。裏切り者たちは、ほんのわずかの例外であってくれと。第三艦隊にも、駐屯軍にも、そんな思いがあった事は否定しきれない。


 だがたとえ、まだいるかもしれないと予想を立てていたとしても。"裏切り者"たちが、既にと呼べる規模へと膨れ上がっていたことなど、到底予想もつかなかっただろう。


 空が不穏さをにじませて、まだらな雲で埋まる。それはまるで、オリヴィアの長い長い一日、その始まりを告げるかのようだった。

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