第三十二話 掲げし盾1

「不審な船影、かね」

「はい……」


 オリヴィアがブーツの音を辿っていくと、そこではダミアンが報告を受けていた。会議室の中、何人かの軍人――オリヴィア配下のクルーもいる――が座り、話を聞いている。


 向き合う相手は軍服の、どことなく気真面目そうな男である。青い軍服と胸元に輝く街の紋章から、おそらくは駐屯軍人であろうと察せられた。それが白昼堂々、学校の施設にまで来たというのだから、自体は相当重いものなのだ。

 彼女はまなじりをギリと引き絞ると、一歩前へ進み、口を開いた。


「何事ですか?」

「は? え? ええと、この子は……」

「ああ、その子も艦長だから気にしなくて結構。オリヴィア艦長、こちら駐屯軍のヘルマー一等空尉殿だ」


 少女がぺこりと最低限の礼儀を示せば、納得したのかしていないのか、軍人の男は続けた。


「つい先日より確認されていた武装組織――"光の腕パル・ディアロッカ"と名乗る、大型艦二隻を有する大規模な集団でして」

「……規模はかなり厄介ですが」

「まぁ、我々に話すべき内容とは思えんな。駐屯軍だけで解決できるのではないかね」


 艦長二人が訝し気にそう問えば、ヘルマーは悔しそうに顔を伏せた。それがそうもいかないのだ、と。


 帝国都市駐屯軍と一言に言っても、規模はピンからキリまで様々だ。ごくごく小規模ながら、私設軍のごとく自由に動かせる駐屯軍があれば、それこそ空軍と変わらない規模のものもある。

 ヘイクトゼンの軍備はと言えば、中間よりも少し小さいぐらいであろうか。大型艦が二隻に、中型艦が十数機。真正面から大型艦とやりあうには、少し心もとない戦力だ。

 どちらかと言えば内地で、安穏とした場所であるから、仕方ない部分はある。そして本来であれば、それで問題もなかったのだ。彼らの仕事の半分以上は警邏であり、総戦力よりは、すぐさま動かせる機動力の方が重要だったのだから。


 ただ、ここに来て仇となったのは、その総戦力の少なさである。


「先日、大型艦の動力機関が、老朽化で爆発事故を起こしまして……」

「ああ」

「うーん」

「しかも主力の重巡洋艦が、です。修理にはまだ、一ヶ月か二ヶ月か……もう一隻は軽巡洋艦なので、真正面からやりあうには……」


 畢竟ひっきょう、大型艦というのは金食い虫だ。可能な限り費用は削りたいし、整備も人件費や整備費がかかるので、できれば頻度を減らしたい。

 そうした倹約とは名ばかりの放置の果てに、大型艦は崩壊する。単純な質量が大きいだけに、修理となれば何ヶ月もかかってしまう。この問題は、帝国の正規軍においても頻発する悩みの種である。


 内地の整備班は冗談交じりに、「どこまで費用をケチれるか勝負してるみたいだ」と呟くが、現場にとってはなんの洒落にもならない。費用と整備のつり合いが取れずに滅んだ小国さえあるのだから。

 それゆえ上からも下からも突っつかれる戦艦管理者は、いつ見ても青い顔をしていて、オリヴィアをして同情せざるを得ないほどだった。


「ふーむ。聞きたいんだがね」

「アデーレ艦長。何かありましたか?」

「いやさ、目撃したってだけなら、別に何かされると決まった訳じゃあない、だろう? なにか事情でもあるのかい」


 ――聞かれたくなかったんだろうな。


 途端に渋くなったヘルマーの顔を見て、オリヴィアはぼんやりと思った。苦虫をかみ潰したような、という言葉は、こういう表情を指すのだろう。軍人らしい几帳面な眉が、ぎゅっと縮み歪む。唇は不機嫌な山なりを描いていた。

 しかし三人の視線を受けると、やがて諦めたように頭を振って、訳を話し始めた。


 いわくこの街は、ここ何年も、彼らの謀略に苦しんできているのだと。


「……最初は、そこらの盗賊と変わらないような、ケチな奴らでした。警邏隊との小競り合いはあれど、追い散らせば逃げていく程度の連中だったんです」


 怪しいといえば怪しいが、しかしそれ以上ではない。深追いして、軍に被害を出すようなことがあれば、それこそ問題である。

 防戦一方ではなく、治安を維持するために、定期的に近隣空賊の討伐隊も出す。これは帝国の駐屯軍には義務付けられた行いだ。しかし基本的にそれ以上のことはしない。手間が掛かりすぎるからだ。


 その辺、街の治安維持も兼任する駐屯軍の辛いところである。義務と費用と手間、その兼ね合いの中で、出来ることを取捨選択していかなければならない。

 結果として、選択が誤りだったとしても、真っ当な理由でなじれる人間など、少ないものであろう。


「ところが、どうしてか被害が出るのです。常にマークし、近づくたび追い散らしていたはずなのに、街や町民には被害が出続けました。対策しても上手くいかず……そのたびに"光の腕"は規模を拡大していったのです。今や、我々を恐れずに、略奪行為を繰り返す始末。おそらく、今回も……」


 唇をかむその姿に、かすかな同情が浮かぶ。何をやってもどう対処しても、解決できない問題を前に、悔しい思いをずっと抱えて来たのだろう。

 それに加え、こうした事情を正規軍であるオリヴィアらに知られる事は、ヘイクトゼン駐屯軍全体の信頼に関わりかねない。だからこそ言いたくなかったのだ。その気持ちは痛いほどわかる。


 オリヴィアには未だ、そうした任務失敗の例はないが、己の失敗を恥じ苦しむ気持ちだけは知っている。他二人の艦長は、もっと渋い顔でいた。同じような経験があったのかもしれない。


 苦しみを共有すればするほど、人と言うのは同情的になっていくものだ。オリヴィアの頭の中ではすでに、どのように人員を配置するべきかと、考えが浮かび始めていた。


「……近場に出たのであれば、これをなんとしても、撃滅したかったのです。戦力のあるうちに……騙すような不躾な真似をして、申し訳ありませんでした」

「いや、まぁ、構わんさ。同じ軍人だからな。国を、街を守りたいという気持ちを無碍にはせんよ」


 ダミアンの言葉が全てである。その場に居合わせていた軍人一同は、ゆったりと頷き、そして動き出した。


「とはいえ本部に連絡が必要だね。……通信手、こっちへ来な! 話がある」

「アデーレ艦長、改めて駐屯軍とのすり合わせも必須です。そちらの通信手とも話を合わせて、艦内で会議を行うべきでしょう。ヘルマー一等空尉、お願いできますか?」

「は、はい! ……ですがその、よろしいのですか。我々は――」


 オリヴィアはヘルマーの手を取った。少々見上げるような形だが、うつむきかけていた彼には丁度いいぐらいであった。

 我々は負けたのだと、続けるつもりだったのだろう。なじりの言葉を吐きかけられると思っていたのだろう。もしかすると既に、誰かに言われたあとだったのかもしれない。

 

 だがオリヴィアは、己を卑下する言葉など、聞きたくなかったのだ。それは彼らの努力と、覚悟と、悔恨のすべてを否定する言葉になってしまう。責任感と卑屈は違う。オリヴィアは己にも言い聞かせるように、身近な言葉を、ハッキリ告げた。


「我々は、帝国軍人です。ね?」

「は……」

「あなたは努力の限りを尽くし、職務を果さんとしたのでしょう。だからこそ悔しいのです。……だからどうか、その悔しさを誇ってください」

「……はい」


 努力しなかった者は悔悟を抱く事もない。手を伸ばせばこそ、届かなかった結果を見て涙するのだ。それを否定することはしないでほしい。彼女は手を握り、確かに告げる。

 ヘルマーの手は震え、目は強く閉じられた。おのずと揺れるほどに力の入った瞼の隙間から、一筋か二筋、光る流れが見えていた。


「おやおや。驚いたねえ、ダミアン」

「ああ。大人顔負けだな」

「エーレンハルトの馬鹿どもの娘にしておくのが惜しいほどさね。オリヴィア、今からでもバルツァーの子にならないかい」

「待てアデーレ、うちも欲しいぞ。オリヴィア君、どうだね」

「いえ、あの、艦長方。仕事してください」

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