第三十一話 特別クラス4
「軽率だったねぇ、オリヴィア」
「……はい……」
「まぁそういうなアデーレ。仕事の邪魔になるよりはましだ」
子供ひしめく教室の中、両艦長に挟まれて、オリヴィアは息苦しいような心地で身を震わせた。二人はそれを見て笑うが、彼女としては後悔でそれどころではなかった。
怒りとやるせなさのままに言葉を吐き出し、一睨みして無許可のデモを蹴散らしたオリヴィアだったが、相手は仮にも市民である。軍人が軽々と動いていい相手ではないと、やんわりとしたお叱りを受けたのだ。
事実その通りだ、と受け入れてしまった彼女は、もう取り返せない失態を悔やむしかなかったのである。
しかも、後悔に身もだえる時間もなく、子供たちのさなかに放り込まれ、軍人として話さねばならない状況となってしまった。幸い、子供たちのほとんどは軍人らしい軍人の方へといっているので、そこまでの負担はない。
ただ、心休まらない状況であることに違いはなかった。
「……なぁ」
「む。ラインハルト・ワーグナー」
「ラインハルトで良いよ。話、聞いてもいいか?」
「私に、ですか?」
彼女は不安げに周囲を見渡した。
エリザもブルーノも子供たちに話しかけられており、ダミアンも同じ状況だ。今のところ余っている子供はいないように見受けられ、しばらくはオリヴィアの出番もないだろう。
彼女は小さな頷きを一つすると、校庭の方へとラインハルトを連れて歩いて行った。何を話すにしても、ここは窮屈だった。
滲むような薄い曇天の下、二人は並んで花壇へと並ぶ。どことなく甘い花の香りに、かすかに雨の匂いがする。
無駄な考えを巡らせていた頭も、少しだけ晴れて、なんだか若くなったような気がした。気がしなくても、オリヴィアは若いのだが。オリヴィアは両手を広げ、じっくりと深呼吸した。
その動作は、どことなく子供らしさがあって、ラインハルトはしばし呆けることとなる。
「あー……今朝、なんか来てたよな。旧校舎の前の方に」
「ええ、デモ隊が居ましたね」
「前皇帝支持派……って、何なんだ? 先生に、聞いてみたんだけど、答えてくれなくて」
少女はくったりと、そんなことか、と首を傾げる。とはいえ、歴史の教科は、彼の時分ではまだ早いだろう。
オリヴィアは軍事のあれこれを学ぶより前に、歴史のことを知っていたので、これはちょっとした驚きであった。少なくとも彼女は、軍事のことを学ぶよりは、そっちのほうが好きだったのだ。
「では僭越ながら、お教えしましょう」
「センエツ……? あ、うん。頼む」
「まず、前皇帝が生前退位なされた、という話はご存知ですか?」
「……たしか、親父がそんなこと、言ってたような気がする」
なら前提はよし、とオリヴィアは頷いた。小難しい話の時は、多少なり前提を知っているだけでも、かなり違って聞こえるものだ。
彼女は顎に指を当て、言葉を練った。歴史の世界に身を投じるのであれば、一言一句を聞き逃さないのではなく、要点をとらえる事こそ大事なのだ。川を歩いて渡るときのように、"飛び石"が必要なのである。
その飛び石を用意するのは、うんちくを語る人間の腕の見せ所だった。
さて。帝国四百年の歴史は、脈々と流れる大河のように、時にうねり荒れ狂いながら、とめどなく流れて現代まで至っている。そんな中での先帝の時代の終わりは、ほんの二十年ほど前のことで、つい最近のことと言えよう。
もちろん、ラインハルトもオリヴィアも生まれていない時代の話になるが、歴史の大海原から見れば些細な違いである。
先代、"蹂躙帝"ゲオルグ=アーノン・クフィシュトーゲン。愚帝と囁かれるほどに色々と問題のある人物であり、実際にいくらかの事件も起こしていたが、最も著名なのはその在位期間の短さだ。
その長さ、たったの五年である。成人と同時に即位し、その後死ぬまでの数十年間を皇帝として生きる、という経歴もさほど珍しくない中、これは異例中の異例と言える。
当然、そこには高度な政治戦の駆け引きがあり、ゲオルグ本人の意志による退位ではない。
それを成したのは、ゲオルグによる戦火の広がりを重く見た現皇帝、通称"硬岩帝"、レヴィナス=アーノン・クフィシュトーゲンであった。
さて、このような顛末があって現皇帝の時代は築かれたが、最大の障害となったのはこの即位の流れにある。
あまりに異例の早期退位を見れば、そこにレヴィナスの策略があったのは決定的に明らかだ。そうである以上、この皇帝の交代劇を、不当だとして声を上げる者たちがいた。これが前皇帝支持派である。
彼らの多くは、武器商人や酒保商人、あるいはそれらを擁立する貴族の類であり、つまり軍需産業を中心とする人間たちだ。戦争が無くなれば儲けが減るのだから、ある程度当然と言えた。
また、ゲオルグに従順し、領土などの利益を受けていた貴族たちも、レヴィナスの即位を不正なものだとして声を上げた。時には反乱も起こるなど、かなりの大騒動であったのだ。
現状では落ち着きつつあるが、それでも反乱の火はくすぶっている。このようなデモ団体も、皇帝レヴィナスが認めた言葉の自由のもとに、あちこちで演説やデモを行っている状況なのである。
「じゃあ、あれもその一つか」
「ええ、そうりますね」
「……軍人になると、あんなのの相手もしなきゃならないのか?」
「分かりやすい外敵ばかりでは、ありませんから」
オリヴィアは目を伏せた。時には帝国の民でさえ、手に掛けなければならない。軍人とはまこと心労絶えぬ仕事なのだ。実感のままにため息をつくと、背後の花が揺れ、夏の匂いがわずかに漂う。
「そっか。大変なんだな」
「否定はしません。……ですが給料は良いですよ。福利厚生もばっちりです」
「……あんた、俺を軍人にするの、反対なんじゃないのか?」
「おすすめはしませんよ。ただ、選択肢を捨てるべきではありません。楽に見える道が幸せとは限りませんし、厳しい道にも誇りと喜びはありますから」
「そういうもん、なのか」
少年はそれきり黙り込んだ。少女はそれを、どことなく嬉し気に――表情はもちろん、鬼の如き仏頂面であるが――見ていた。
しかし、にわかに教室の方が騒がしくなる。オリヴィアの耳に大した言葉は聞こえてこないが、話し声は教師や子供のものではない。アデーレやダミアンの声と、あわただしいブーツの音だ。
底が硬いために、カツコツと鳴り響く足音は、彼女にとって慣れ親しんだ音である。つまり、軍人の足音なのだ。
行かねばならない。そんな直感に突き動かされて、オリヴィアが立ち上がると、ラインハルトもようやく騒ぎに気付いたようだった。
「な、なんだ?」
「さて、分かりませんが、私は行ったほうが良いでしょうね。……ゆっくり、考える事です。あなたには時間があるのだから」
彼女はそういって、慈雨のごとき微笑を見せた。慈しむような、あたたかい掌が肩に乗せられ、そしてすぐに離れる。教室棟へ振り返った彼女の横顔は、すでに冷静沈着な軍人の顔へと戻っていた。
呆然としながらも、ラインハルトはつぶやく。
「じゃあ、あんたはどうなんだ」
すでに背は遠く、つぶやきは届いていないだろう。だが、年の程がそう変わらないであろう少女に、諦観を与えた絶望が気に食わなかった。
"あなたには"ではないはずだ。少女にも、選択と時間の自由があってしかるべきだったのに、それは奪われてしまった。魂のひび割れが、彼女をこんなにも優しくしたというのなら、ラインハルトにはそれさえも腹が立つ。
「あんたにだって……明日を、自由に望む権利ぐらい、あったはずだろ」
吐き捨てた言葉を拾うものはいなかった。ただ健気に咲く花を除いて。
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