第三十話 特別クラス3
少年は吐き捨てるように言って、ちくしょう、と膝に顔をうずめる。どれだけの複雑な思いを重ねても、どれだけの人生を経ても、なお能力者を欲する帝国の思惑は根深い。教育本来の意義や形でさえ、歪めてしまうほどに。
子供に向ける目は、そのようであってはならないはずだ。可能な限り、健康に、健全に育っていくべきであるはずだ。それは理想論だ。オリヴィアとて、それは分かっている。
だが、それでも。決して、子供本人に、"自分は金づる"などと思わせてはいけない。それだけは確かだった。
「私は、オリヴィア・エーレンハルト。一等空佐です」
「え? ……なんだよ、いきなり」
「一等空佐ともなると、それなりの立場ですので、責任や義務なども増えます。知っている秘密も」
少年は困惑しながらも、話を聞いた。その声音の真剣さに、聞き逃してはならないと、そう直感していたのである。
「そう、なのか? 責任とか、全然わかんねーけど」
「もし私が軍人を辞めても、軍隊から抜ける事は許されないでしょうね。……私の夢は、冒険家でした。祖父の影響を受けて、世界のあちこちを見たいと、思っていたんです」
「ふーん」
「それは頓挫しました。私は、士官学校を中途で卒業して、軍に入れられる事になったので。家族が勝手に志願書を出したんです」
「……それは……」
酷いな、とラインハルトから言葉がこぼれる。それは、自身の境遇と、重ねた部分もあっただろう。そうですね、とオリヴィアは返した。
「いつもそうです。私の父と兄は勝手ばかりで」
「毎日そんな調子だったのか?」
「母が死んでからは。……それが辛かったのだとしても、そんなこと知ったことではありません」
彼女とて、母の死は辛かった。だが、オリヴィアはその死と向き合ってきた。経典を諳んじれるほどに、目を閉じていたって墓の場所が分かるぐらいに。そうして来なかった者の苛立ちなど、彼女にはただ理不尽以上のものではなかったのだ。
あるいはオリヴィアにとって、他人に本当の想いをこぼすのは、これが初めてだったかもしれない。いつも外面を気にして、家族の事を、悪し様に思うことはあれど、口に出したことはなかった。
指には力が入り、手は自然と拳を作る。吐く息とともに、言葉がこぼれていく。
「私は……軍になんて入りたくなかった」
「……」
「私は、冒険がしたかった」
それは、口に出してはならない本音だ。ラインハルトにも、なんとなくわかった。空を見上げた彼女の顔は見えなかったが、悲しんでいるような気がした。
何を言えば良いのだろう。どう声をかければ、この少女は多少なり、救われるのだろう。望まずに軍に入り、若くして多くの悩みと苦労を抱え、まともに本音も語れない。似たり寄ったりな状況の自分に、何が出来るというのか。
何もできないうちに、オリヴィアは顔を降ろし、目線をヴルカンドラへと戻した。目元は、艦長帽の影に隠れて見えなかった。
「でも、あなたはそうじゃありません。まだ、間に合う」
「……間に合うって?」
「あなたはまだ軍人ではない、と言うことです。……もし、他の道に進みたいなら、お手伝いしましょう」
私は帝国軍人だから、という言葉は、呪いのようになってオリヴィア自身に降りかかる。帝国軍人だから、エーレンハルト家だから、多くの事を諦めなければならなかった。
だが、ラインハルトはそうではない。それなのに、何も知らないままに軍人として出荷され、そして死んでいく。それでは、まるで――まるで家畜のようではないか。
彼女にはそれが許せなかったのだ。せめて生きる道ぐらい、自分で決めてほしかったのだ。それは逆説的に、「自分で決めたかった」という思いの表れかもしれない。たとえそれが、多くの人の、多くの思惑に背くものだったとしても。
傷ついた魂の、慟哭の叫びが、ラインハルトの身体を揺するように撫でていく。今まで出会ったことのない人の姿を前に、彼は思わずつぶやいた。
「なんで、そこまで」
「救った気になりたいだけです。過去の自分を。未来の自分を。何も変わらないと、分かってはいますが」
オリヴィアはそう言って、はたと立ち上がる。こちらを柔らかく見守る月が、もう頂点から落下し始めていたのだ。そろそろ寝ないと明日がまずい。ラインハルトもわたわたと立ち上がった。
「今日明日とは行きませんが、近いうちに手を打ちます。自由に選べるその時が来たら、あなた自身で選んでください」
「選ぶ……」
「あなた自身が進みたい道を。軍人でも、花屋でも、弁護士でも。選んでもいいのです、子供なのですから。……選べるように、します」
彼女はそう言って、ひょいと屋根から飛び降りた。一階建てとはいえ、地上からの高さは四メートル以上ある。あっと声を漏らしてラインハルトが屋根の縁まで駆け寄ったが、オリヴィアはすまし顔で無事に着地していた。
感応能力ゆえの技か、身体能力ゆえの技か。驚愕に声も出ない少年を前にして、少女は少しだけ、年相応のいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ではおやすみなさい、ラインハルト・ワーグナー。学業にはしっかりと励むように」
何なんだ、という思いさえ、薄っすらと冷気を帯びた風に吹かれて消えていった。
規則正しく鳴り響くブーツの音が、ゆっくりと遠ざかっていく。ラインハルトは夜が明けるまで、短い夜の中を歩きながら、自分の将来のことを考えていた。暗く閉ざされていた未来のことを。
翌朝、寝不足のままに起床したオリヴィアは、コーヒー片手に嫌な報告を受け取ることとなった。
「はぁ、デモですか」
「ええ、デモらしいです」
外からワァワァと聞こえてくる、雑多な雄たけびで起こされるのは、大層不愉快な経験だった。苦いコーヒーをずずと啜りながら、のろのろと姿勢を正す。
「"前皇帝支持派"によるものだそうです。正統後継者がどうの、と」
「……それで軍にデモを? なんとも、暇な方々もいるものです」
「まったくですよ。もう、私たちは暇じゃあないのですけれど」
エリザの言う通り、第三艦隊――というより、その幹部層に、暇と呼べるようなものはあまりない。この後補給やらなにやらの処理は必要不可欠であり、それが済めば他の艦長と話し合って、休暇の差配もしなければならない。
加えて、それが終わったところで、軍としての仕事がなくなってしまうわけではない。船員の問題行動があれば咎め、駐屯軍からの頼みがあればそれも考慮して動く。こと、帝都から離れた途端、第三艦隊の仕事は多い。
そんな中で、意味もないことをする人々の相手をする暇はない。帝国の文句は帝国に言うべきであり、そうするための手段もまた許されている。そうである以上、補給に立ち寄っただけの軍に叫んだところで、なにかが起こるということがあろうか。
軍事クーデターでも期待しているのだろうか、とオリヴィアは首をかしげる。聞けば、許可も取っていない違法デモだというのだから、もはや呆れるほかない。
とはいえ、宿舎の前に陣取って騒がれては、船員たちも外に出られない。すでにアデーレやダミアンが対処に動いていたが、今のオリヴィアは寝起きな上に感傷的であった。つまり、むかっ腹が立っていたのである。
「……私が出ます」
「え? あの、艦長? オリヴィア艦長ーっ!?」
呼び止める声もむなしく、オリヴィアは民衆の前に立つ。その途端、辺りら静まり返った。その幼い軍服姿を前にして、言葉を失ったのだ。
堂々たる立ち姿で、猛禽よりもなお鋭い目をして、彼女は言った。
「実に非合理的ですね」
「なっ……」
「訴えの前に書類を書かれてはいかがです? 役所に行けばもらえますよ。……それとも、判子も押せないような主張、という自覚がお有りですか?」
――こんなことより、先に解決すべき問題は、いくらでもあるだろうに。艦長帽をぐいと被り直しながら、オリヴィアはぼんやりと天を仰いだ。腹の怒りも収まらぬ曇天であった。
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