第二十九話 特別クラス2
割り当てられた場所は、少々こじんまりとはしているものの、しっかりとした木製の建物だった。少しの埃っぽさと、古い木の匂いがして、どことなく懐かしい感じがした。
当然、来たことはないのだが、そういう気にさせるだけのあたたかみのある場所だったのだ。
オリヴィアの聞くところによれば、ここは元々校舎だったらしく、生徒の増加に応じて建て増していったのだが、より多く生徒を迎えられる新校舎ができてからは、ほとんど手つかずだったのだという。
居心地は悪くない。むしろ、良いと言ってもいいだろう。人目を忍ぶようにして持ち込んだ本も、彼女の安息に、いくらかの貢献を果たしていた。
「はぁ、なるほど。それで不機嫌でいらしたのですね」
「ええ、まぁ……」
問題が一つあったとすれば、省スペースの為に、個室がなかった事だ。教室を再利用している以上、個室などあるはずもなく、あっても物置の類になる。そんなところに人を泊めるわけにもいかなかったのだろう。
そこに文句などつけるべきではないのだが、それでも地上で寝る時ぐらいは一人で眠りたいという願いを無視することは難しい。
まして、自分の部下と一緒の部屋で眠るのは、彼女にとってストレスの元である。艦長としての自分を保たねばならない、という重圧が、オリヴィアにのしかかってくるからだ。
エリザは既に寝る準備万端といった様子でベッドの中に入っており、まだ本を読む体勢のオリヴィアとは対照的な状態だった。
「子供は制御不能な所がありますから。でも、よく軍人がいる所にのしのし入ってきましたね、その……ラインハルト君、でしたっけ?」
「ええ。教師殿によると、"特別クラス"の子だという話ですが」
「……特別クラス、ですか。ああ、うーん」
彼女は一瞬、神妙な顔になって呟き、それから大きなあくびで表情をかき消した。知らない言葉だ。少女は本から顔を上げ、くったりと首を傾げた。
「と、言いますと」
「ああ、ええと。能力者特別教育法、という法律について、ご存知ですか?」
「いえ、寡聞にして存じません」
「そうですね……これは一言で行ってしまうと、精神感応能力者の教育について、本人が望む場合に限り、士官学校と同様の能力教育を受ける事ができる、というものです。おそらく、特別クラスというのも、それ関連なのでは」
今度はオリヴィアが神妙な顔になる番であった。その顔を見た途端、エリザはわ、とつぶやいて黙り込んだ。それほど凶悪だったのかもしれない。オリヴィア自身は、自分がどんな深刻な顔をしていたのか、分からなかった。
士官学校。何度聞いても、苦手な名前である。あそこで楽しい思い出など何もなかったのだ。
そこと同じ教育。こんな、小さな子供ための、学校で。無論彼女とて、自身が似たり寄ったりな年齢であることは理解しているが、それでも――否。だからこそ、思うところはいくらでもある。
それからふと、自身の服装に目をやる。軍服だ。若干着崩してはいたが、まだ寝間着ではない。無言のままにボタンを閉じて、服装を整え、静かにベッドを降りた。
「あの、オリヴィア艦長……?」
オリヴィアはエリザから顔をそむけるようにして窓の方を見た。
「お話ありがとうございました、エリザ副艦長」
「は、はい」
「少し、外の風に当たってきます」
ヘイクトゼンは
それゆえ防備を捨て、見た目を重視した街並みが広がっていて、見栄えは良い。砂色に近い白の壁と、夜に溶け込む藍色の屋根が対比的で綺麗だ。だからこそ、ラインハルトはこの町が嫌いだった。
見てくればかり整えて、中身は何もない。ここでは何もできないのだ。そのくせ行動ばかり縛られて、ラインハルトは独りぼっちになってしまった。寂しい、という思いもあったし、どうして俺が、という思いもある。
だが、もはや愚痴を言う相手もいないのだ。家族でさえも他人のようになってしまった。シンと静まり帰ったヘイクトゼンの屋根の上、一人背を丸める。思いを吐き出せず、苛立ちばかりが積もっていく。
そうしていつか、破綻する日が来るまで待つのだ。自分か、環境か。あるいは帝国その物が。夜へ落としたため息は、じっとりと湿った恨みの炎のようであった。
「こんばんは」
「うぉわっ!?」
そんなラインハルトは、突然の声にひっくり返って後頭部をしたたかに屋根に打ち付け、低くうなる。ジンジンと響く痛みを抑えながら振り向くと、そこには昼間であった少女――オリヴィアがいた。
「なるほど、発着場を見ていたのですね。確かにここからなら、船全体が良く見える」
自分よりも少し低い背丈。きっちりと着込んだ軍服に、前方を睨みつける姿は、見る者に戦火の幻影を想起させる。幼く小さいのに、こゆるぎもしない立ち姿が、それを思わせるのだ。
何故ここに、という思いを隠すこともせず、ラインハルトの表情は、驚愕から不機嫌へ変わっていった。
「……何の用だよ」
「少しお話をしたいな、と思っただけです」
「俺は話す事なんかない」
「私にはあります。隣、いいですか?」
あまりの強引さに口をつぐんでいると、反論を許さぬうちに、オリヴィアはラインハルトの隣へ座りこんでしまった。屋根は当然、平地など比べ物にならないほど傾いていたが、器用にバランスを取っている。
それから少し、沈黙があった。ラインハルトがちらりと見ても、彼女の表情はよくわからない。ずっと睨んでいるように見える。いったい何を、そんなに憎んでいるのだろうか。
「特別クラス、だと聞きました」
「……それがなんだってんだ?」
「……」
虫の居所が悪い。それを隠そうともしない声に、彼女は何も言わなかった。何も言わないまま、でも目は空を悲しげに眺めている。
その姿に、少年は自分の姿が重なって見えた。憎まれ口でも叩いてやろうと開いた口からは、ずっと思っていた事がこぼれていくだけだった。
「みんな、大バカ野郎だよ。俺なんて、まだガキなのに、変な期待しちゃってさ」
ヘイクトゼンは停滞してしまった街だ。穏やかと言えば聞こえは良いが、機能的でない街の作りは発展を阻害し、主たる産業はあまりにか細く、外に広がることなど難しい。
外貨の獲得手段に乏しく、これ以上内需を増やしていくこともできない。だからこそ、感応能力者の教育に力を入れているのだろう。
急速に人口を増やしつつある帝国においてなお、能力者の数は少ない。そこから、船を動かせるほどの力を持つものは、更に少数だ。
だからこそ、帝国には能力者を保護し、育成するために、無数の法律や援助がある。特に能力者の中から軍人を輩出したともなれば、その支援金はかなりの額になるだろう。
そして"実績"さえあれば、そうした子供も増える。ここを学業都市としたいのだ。能力者にとっての。
十分な金さえあれば、街そのものを立て直せる。道を伸ばし、区を広げ、
だが、だからこそ。子供に向けられる目は、決して健全とはいいがたい。
「俺、いつも先生に叱られててさ。ほら、分かるだろ?」
「まぁ……そうでしょうね。品行方正には見えません」
「うっせ。……でも、能力者だとわかった途端、皆俺のことを放置しだした。いや、違うな。特別クラスの子だから、叱ったりするなって、言われてたのかも」
もし、軍人を目指さなくなったら、大変だから。そんな理由で、子供を健全さから遠ざけたのだ。叱るべき時に叱り、罰するべき時は罰し、褒めるときは褒める。そうして初めて、人は一人でも立てるように育っていくというのに。
逆に言えば、そこまで追い詰められていたとも取れる。子供一人にそんな期待をかけなければならないほど、この街はボロボロだったのだ。
「皆……いやな目になった。外から来るあこぎな商人の目だ。金を巻き上げようとしてる目だ。……俺は皆の金づるなんだ」
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