第二十八話 特別クラス1

「第三艦隊の皆様、お会いできて光栄です。私はアルバート・ジファータ、ここで教官として勤務しております!」


 オリヴィアたち艦長三人は、着陸してすぐ、ゆったりと余裕のある敬礼をもって迎えられた。

 大型艦三隻分の乗組員ともなると、かなり大所帯だ。軍の所有する施設だけでは場所が足りない。なにせ帝国の各地域には、各地域を守護する駐屯部隊が大なり小なり存在するのだ。普段は彼らが使っている以上、居住区画の余裕はそう大きくない。

 そのため、こうした遠征となると、ある程度大型の民間、ないし公共の場所を借り受ける事になる。今回はミッテルト総合教育舎の一部を使う事となった。


 さて、艦長二人が教官アルバートと二、三の話し合いをしている横で、オリヴィアは総合教育舎の内装を見て、なんとも言い難い表情を浮かべていた。

 彼女にとって、学校というのは苦い思い出の場所だ。弱冠十二歳の彼女が士官学校へ入れられたのは、ひとえに父親の指示だったからに他ならない。


 士官学校に、彼女と同年代の人間はいなかった。心が通い合うような友にも出会えなかった。幼いからと侮られ、親の七光りと嘲られ、ずっと一人で学び続けてきた。

 そこに明るいイメージはない。ないからこそ、普通の学び舎というものに興味もある。自分に友がいたのなら、何かが変わったのだろうかと、そう思ったことは何度もあったのだ。


 たがそれが叶うはずもない。もはや士官学校でさえ――中途だが――卒業してしまった身だ。まして帝国最新鋭たる戦艦の船長ともなれば、先行きは限られてしまう。

 普通の人生への夢想を、ため息と一緒に吐き出す。過ぎたことだ。もう取り返せない機会というものはある。たとえ、否応なく失われたのだとしても。


「それで、どこかでお時間がありましたら、子供たちに軍の話を聞かせてはあげられませんか? 軍属を志望する子もいるのですが、駐屯軍は普段忙しいので……」

「ふむ。まぁ、補給に少しかかるだろうから、その間なら構わないのではないかね?」

「そうさねぇ……オリヴィア、どうだい?」


 突然に話を振られて、オリヴィアはきょとんとして首を傾げた。


「……本官のような若輩の話が必要でしょうか?」

「あたしらはもうジジババだ。若いやつの意見が聞きたいってやつもいるだろうさ。おっと、あんたは若すぎかねぇ」

「ま、こういうのも第三艦隊の仕事だ。慣れていくに越したことはない」


 そういうものか、とオリヴィアは眉をしかめた。理解も納得もできるが、それとやりたいかどうかは別問題である。しかし、先達にやれと言われればやるしかないのである。最年少である以上、年上の言うことに逆らって得することなど殆どないのだから。


 かくして艦隊は帰還のため補充を開始し、一週間ほどの休暇となった。ここから、またしばらくはつらい空の旅路だ。英気を養わねば、兵たちの士気も危うい。いくら戦闘が予想されないとはいえ、兵が油断していて良い訳もなし。


「本官からは、特に希望はありません。お二人の好きになさればよいと思います」

「……やれやれ。アデーレ、これはずいぶん重症だぞ」

「全くだ。エーレンハルトの小僧のケツをしばきあげないといけないねえ」


 老人は互いにうなずきあうと、ひとまずの了承を教官に告げた。第三艦隊がどんな予定にどうであれ、今から少し話す程度であれば、職務に支障をきたすような話でもない。


「では、後ほどご案内しますね! 今日はもう授業が終わってしまったので、先に宿舎――あ!」


 突然、アルバートが大声を上げた。酷く慌てたような、あるいは焦るような声。見れば、荷物の影に何かいる。あの位置からなら、ヴァルカンドラの威容が一番よく見えるだろう。


「うげっ、バレた!」

「いけませんラインくんっ、今はお客さんが来てるんですから!」

「知ーらねっ、すたこらさっさだぜ!」


 逃げるべくこちらへと走りだす小さな影。生徒だろうか、若干着崩した学生服の、どことなく生意気そうな子だった。やれやれとでも言いたげなアデーレとダミアンに対し、オリヴィアは彼に、厳しい視線を投げかけた。 

 燃えるような赤い髪が短く揺れるたび、近くの従業員から伸ばされる手がすり抜ける。機敏さには目を見張るものがあるし、動きからすると逃げ慣れているのかもしれない。彼はとうとう、オリヴィアの方まで迫ってきた。


 オリヴィアのほうが抜けやすいと見たのだろう。実際、その判断は正しい。二人は歴戦の兵士で体格もよく、並び立った姿は巨壁のようである。しかも、船に乗り込んでの白兵戦も経験しているのだから、陸戦兵たちと比べても戦闘力は劣らない。

 しかし、"オリヴィアなら抜けられる"――そう判断したのであれば、それは間違いであると言えた。


 横をすり抜けようとする少年に対し、彼女は優しく、添えるように手を伸ばす。指先が触れるか触れないかの微妙な間合い。そして伸ばしたて手を、ひょいと上に上げた。それ以上をする必要はなかった。


 なぜならその途端、オリヴィアの指の先で、少年がふわりと地面から浮かびだしたからだ。


「おわぁっ!? な、なん……っ!?」

「軍事機密ですので、見学には申請が必要です。逃げるのもあまりよくありません。諜報員と疑われてしまいます」

「おわーっ!?」


 よく見れば、オリヴィアの指は、服にさえ触れていない。当然これは、精神感応能力のたまものである。


 感応能力は、人の精神に由来する都合上、本来であれば能力者の体に繋がったものしか強くは動かせない。それほどに脆い力なのだ。しかしある程度使い方を学ぶと、精神の感応範囲を薄く広くすることが可能になる。

 当然、伸ばせば伸ばすほど能力は希釈され、出力は落ちていくが、仮にも船の末端を動かせるほどの出力を持つことを忘れてはならない。

 帝国基準における能力強度C+、船を動かせる最低限に近しい力とはいえ、成長途上の少年を浮かす程度はどうということもない。宙に浮かされ、グルグルと回されている少年を前に、アデーレはケラケラと笑っていた。


「かっかっか! こりゃ、お見事だねぇ」

「恐縮です」

「まーわーすーなー!」


 少年が喚くが、オリヴィアは我関せずといった様子である。同年代の人間とはいえ、礼を伴わない行動に対する彼女の答えは何時も同じだ。

 彼女にとって、礼儀とは敬意である。敬意を払わない人間に払う敬意などない、というのが、短い人生の中で得た彼女の答えであった。


「す、す、すすすいません! お手を煩わせてしまって」

「なあに構わんよ。子供は元気が一番さ……機密に触れる前ならまぁ、かわいいものだ」

「ところで、お名前は?」


 オリヴィアが回転を止めると、少年はとたんに不貞腐れたような顔になって3人の方を見た。なんとも生意気そうな顔である。

 というと失礼だが、そうとしか言いようのない顔なのだ。青い顔で平謝りするアルバートを尻目に、少年はぶっきらぼうに名乗った。


「……ラインハルト。ラインハルト・ワーグナー」

「はい、ではワーグナー。何をしにここへ?」

「戦艦を見に来たんだよ! ってか降ろせよ!」

「見るだけなら結構ですが、言葉はもう少し丁寧に」

「はぁっ? 早く降ろ――!?」


 にらみつける瞳を前にして、ラインハルトと名乗った少年は、思わず黙り込んだ。


 彼女自身、自分の目つきが悪い事は、ある程度自覚している。そして、それを抑えようとする事も普段はしない。それが彼女の自然体である。

 それでいてなお睨みつける場合、彼女の目はまるで復讐鬼がごとき鋭さを帯びる。憎しみに近い視線へと変貌するのだ。それを前にして、なお反抗的な態度を取るだけの胆力が、ラインハルトにはなかったようだった。


「……して、ください」

「はい。アルバート教官、しっかり捕まえておいてくださいね」

「あ、は、はい! もちろん!」

「では……宿舎への案内を頼みます」


 これからちょっとした休暇だというのに。あまりにも悪い幸先に、オリヴィアは思わず瞑目し、ため息をついて、案内されるまま宿舎へと向かっていった。

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