第二章 明日を望め、ヴァルカンドラ

第二十七話 我らが明日

 さて、一か月の休暇が終わり、第三艦隊六番艦、およびそのクルーたちは新たなる仕事に就いていた。休暇によって英気を養い気力万全やる者、仕事の憂鬱にため息を漏らす者など、艦内は悲喜こもごもといった様相であった。

 だが感情というのは起きやすく引っ込みやすいもので、喜びも悲しみも日ごとに収まっていき、二週間ほどの任務のうちに、フラットな状態まで戻っていた。


「……まさか、火器管制長の選定が遅れるとは」

「今回は先輩方もいますし、火器管制が必要になることはないとは思いますが……」


 就任直前で不正発覚とは、本当に間が悪いことだ。今回は副管制長に代役を務めてもらうしかなかった。帝国の人材不足は本当に深刻である。総合司令室の中、少女は小さくため息を吐き出すと、頬杖をついて前方を睨みつけた。

 左右前方には、二つの船がヴァルカンドラを牽引するような形で飛んでいる。あれこそ、帝国第三艦隊が誇る歴戦艦、一番艦"ねじれ鋼アルブレオン"、そして二番艦"北の星ポートリス"である。


 一番艦アルブレオンは三十年ほど前、大艦巨砲主義のピーク頃に作られた艦であり、船体そのものの老朽化はあれど、機構や兵装を改装しながら現代戦にも対応し、先の戦役でも活躍していた。

 二番艦ポートリスに至っては前戦役における立役者であり、休戦に至る戦闘においても多大なる貢献をした歴戦の船だ。

 そしてそもそも、帝国空域で艦隊が襲われることなど早々有りはしないのだ。およそ安心していいのだが、だからこそというべきか、オリヴィアの胃は痛かった。


 そもそも、オリヴィアは未だ少女と言っていい年齢であり、士官学校を卒業したとはいえ、正式な任務は未だ受けていない身である。軍人としても異例の若さに加えて、本来はここから、巡回任務などをこなしていくのが正規の手順なのだ。

 それらを飛ばして、いきなり戦闘となってしまった。当然、本来艦長として重ねていくべき経験などあろうはずもない。だが、戦闘経験のある艦長を遊ばせておく余裕は帝国空軍にはない。

 また、政府上層部では、ヴァルカンドラの実地試験と市民への披露をより進めたい思惑もある。そうしてオリヴィアは、研修という名目で、国内巡回任務に就くこととなったのである。


 国内の巡回と示威行為は、第三艦隊の基本任務でもあり、本来は演習飛行が終わり次第、研修として組み込まれる予定だった。そのため、ある意味では予定通りとも言えるが、研修ではなく任務の方が主題なのは明白である。


「……とはいえ、任務も大体終わりましたね」

「はい。残るは一都市のみ。そこで補充をすませば、後は帝都に帰るだけです!」


 力強く言い放つエリザに対し、オリヴィアはそうなればいいがとつぶやいて返した。

 何事も起こらなければ、それに越したことはない。だが、ここ最近は何かときな臭いことばかりだ。突然基地を占拠し、計画的に新型船を襲ってきた空賊。裏に見える王国の影。南部連邦の騒動――。

 あげればきりがないほどに帝国には問題が山積みで、これを滅びの兆しと騒ぐ人間もいるほどだ。油断はできないというのがオリヴィアの考えだった。


「油断……そんなに緊張する状況ですか?」

「実際、安全なはずだった演習飛行はあのざまですよ」

「うぐ」


 あまりにも悲観的な思考ではある。だが事実だ。もはや、何も上手くいかないと思っていた方が胃が痛まないと、そんな悲しい諦観が少女の中で暗い影を落としていた。


『そういいなさんな、オリヴィアちゃんよ。あたしらまで不安になってくるじゃあないか』

「っ!? ……アデーレ一等空佐。どうかなさいましたか?」


 それに待ったをかけたのは、ガラガラとした老いた声。オリヴィアはハッとして姿勢を正した。通信越しで、姿が見えないとはいえ、大先輩に対しだらっとした態度で当たる事は出来なかった。

 そんな様子を察したのか、またガラガラとした声を上げて、一番艦アルブレオン艦長アデーレ・バルツァー一等空佐が笑った。


 かくしゃくとした老婆である。なにせ、オリヴィアと同じように――とはいえ、オリヴィアよりは成年に近かったが――若くから軍に所属し、それ以来ずっと功績を上げ続けてきた大ベテランだ。だからこそ少女も緊張せざるを得なかった。


『お堅いねえ、お堅いお堅い。呼び方なんぞ、"おばあちゃん"でも構わないんだがねぇ』

『オリヴィアはお前のひ孫よりも若いだろう。今更年をごまかしたところで無駄だぞ』

『黙りなダミアン、ここ十年の間もデリカシーってもんを学ばなかったみたいだね』

『おや、がさつが服を着て歩いているようなお前が言うのか?』

「あの、通信で喧嘩は……」


 返された辛辣な言葉は、二番艦ポートリス艦長、ダミアン・ロート=フォーゲルンである。こちらは叩き上げの軍人で、先の戦では大きな戦果を挙げ、激戦のさなか孤立しながらも、クルー全てを生還させた勇士である。


 どちらも、こんなちっぽけな任務についてはいるが、本来なら前線の方でどこかの国とやり合っていてもおかしくない実力者である。将官たちの考えはオリヴィアにもわからないが、それだけヴァルカンドラを重要視しているということであろうか。

 なんにしても、勘弁してほしいというのが正直なところである。先輩二人が積極的に話しかけてくる環境は、彼女にとって胃痛の元でしかないのだ。その上で、先輩の仕事ぶりを見て、自分なりに反省していかなければならない。


 彼女とて士官学校に通っていた身ではあるが、これは酷く疲れた。現場仕事にまだ慣れていないからだ。船の上の生活も体への負担が大きく、オリヴィアは日に日に疲弊しつつあった。


「失礼します。オリヴィア艦長、発着場から連絡がありました。"機影確認せり、所属を報告されたし"、とのこと。他艦からは"連絡を代表されたし"と」

「艦長方々、失礼します。ハムト、通信をそちらにつなげてください。……こちら帝国空軍第三艦隊所属、六番艦ヴァルカンドラ。同じく、一番艦アルブレオン、二番艦ポートリスが随行。発着許可および誘導を願います」




 ――ヴァルカンドラの航行開始は惨憺たる試練とともにあったが、次なる航空は比較的穏当なものとなった。

 国内では中心に近しい領域での任務ということもあっただろうが、やはり大型艦三隻で連れたって飛んでいたことも大きかっただろう。空賊はこぞって逃げ、遭遇したものはすぐさま降伏したので、ろくに戦闘はしていない。


 しかし、先輩二人に挟まれながらの航行は、相当に緊張したのだろう。オリヴィアにとっては平穏な旅路さえ辛く、彼女の日記においては「ナメクジのやうに無心で這い回りたい」などと世迷言が書いてあったと言われている。


 さて、目下の帝国において最も大きな懸念は、人材不足である。カンテブルク戦役においては、互いに使用したガス兵器などの影響で、致命的な損害が出たのだ。一時期は帝国軍の存亡そのものがかかるほどであった。

 戦役上りの半ば強制的な登用に、オリヴィアら若年層の緊急採用。だが、すぐに解消されると思われていた人材不足は長引き、急場しのぎだったはずの対応は常態化した。


 帝国政府もなんとかこの問題に解決しようと、急ピッチで兵卒や士官の教育を進めている。だが、それが各都市群に与える影響は大きい。より多くの兵士を算出すれば、より多くの支援金を得られる機構も仇となっていた。

 それはかねてよりあった歪みをおし広げ、いまや、帝国の原型さえも脅かさんとしていた。そして、国の歪みとは、得てして争いに利用されるものだ。暗闘となればなおさらである。


 そんな行く先の闇を知ってか知らずか、オリヴィアはもう一度帝都の方を見つめてから、祈るようにつぶやいた。


「何も、なければいいんですが」


 言葉は曇天に響くことなく、少女の不安げな声は鋼の鯨の心音がかき消していった。

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