第二十四話 暗闇の神様1

 帝国の国教たる黒天教における主神は、月にして夜たる神である。


 かの神クシェルダルケはそもそも原初の暗闇であり、この暗闇の中で万物と命の光が生まれたのだ。初めの命の光が太陽になった――と、されている。

 暗闇たる創造者はその光をたっとび、自らと同じ空へ上げ、共に命を包む安らぎとしてある事を定めた。これが太陽にして光の神、ペクト=ルヘルだった。これによって大地が照らされ、初めて命が命として自らを見る事ができるようになった。


「……というのが、黒天教における創世です」

「へえ……夜の神っていうから、結構怖いのかと思っていたんだけど」

「そもそも、名前からして"抱きしめる闇クシェルダルケ"ですからね。母神の面が強いです」


 薄暗さが揺らめく教会の中で、二人の話し声が妙に響く。神官たちは時折それを見ていたが、特に注意しようという動きはなかった。それもそのはず、二人以外には神官たちが行き来する程度で、ほとんど人がいないのだ。

 加えて馬鹿騒ぎしているわけでもなく、黒天教について語っているだけなのだから、止める理由もなかった。


「にしても、本当に人いないし、なにもないね……」

「ええ、まあ。名ばかりの国教だって言われたりするぐらいですから」


 イベントでも祈祷日でもなければこんなものだと、少女――オリヴィアが言う。どうにもやりにくそうな顔をしていた。


「じゃあ、僕らは変人ってわけかぁ」

「そうなりますね」


 もう片方の少年はといえば、エドワードである。ジャーナリストの卵たる彼は、何が楽しいのか、カラカラと笑っていた。

 ――どうしてこうなったのでしたっけ? 心に浮かんだ疑問を前にして、オリヴィアは三十分ほど前のことを思った。




 オリヴィアはいつもの通り家を出て、今日の用事を済ませに行った。というのも、そろそろ休暇の終わりが近づきつつあったからだ。夏も本場を少し過ぎ、朝方が少し涼しくなって来た。

 すでに次なる任務はオリヴィアのもとに届いており、クルーたちにも伝達が終わっている。正直憂鬱であったが、いかないという選択肢もないので、オリヴィアは心を決めるべく教会に向かっていた。


 彼女は黒天教の信徒である。週に一度は礼拝に赴いているし、祭礼にも顔を出している。ただ、この熱心さは、軍にいても家にいても何かと行動を制限されていたという点が大きく作用している。

 オリヴィアの家は厳格な指導を彼女に行っていたし、軍部の方では扱う機密情報も多く、あれをするな、これをするなと言われることがしばしばあるのだ。

 特に、艦長ほどの地位にいると、課せられる制限の数も尋常ではない。


 だが教会へ祈りに行くといえば、大抵の場合止められなかった。これは国教である黒天教に対して無碍な態度を取れば、今後の軍のあり方に関わりかねないからだ。

 下手に個人に対し礼拝を禁止するような命令を出せば、今後黒天教では軍人の葬儀を行わない、などという自体にも繋がりかねない。

 そうなれば軍人の死に大変な不名誉を与えることになってしまう上、士気にも影響が出ることは想像に容易い。


 黒天教は基本穏やかかつ寛容な宗教であり、おそらくちょっとやそっとのことでそのような事態に繋がることはないだろう。だが、警戒してしすぎるということもない。

 そうした帝国、そしてその軍部の慎ましい信仰のやり方につけ込んだのがオリヴィアであった。


 とはいえ、別に信心がないわけではない。むしろ、教義について知らない帝国民も多い中、ある程度暗唱できるほどの知識を有しているのだから、相対的に見れば十分に敬虔な信徒と言える。

 何故かといえば、それは彼女の母が、早くに亡くなったことに由来していた。


 オリヴィアの母――オレリア・エーレンハルトは、生まれつき病弱な体を持っていた。肺と心臓にそれぞれ重い病を抱えており、激しい運動はそれだけで死の危険があったのである。

 しかし、オレリアはそれを意にも介さず暴れまわるお転婆だった。由来不明の剛力によって、大の大人数人をいっぺんに投げ飛ばせるような人間であったことも重なり、彼女は使用人から大層恐れられていたという。

 なにせ高貴な血を引く人間であるから、手荒にすると首をはねられかねないし、かと言って止めなければまずい。だが押さえつけるようなやり方では余計に激しい運動になりかねない。

 そのため、オレリアの侍女たちは三枚舌などと呼ばれていたらしい。つまり、口先だけでどうにか彼女を抑えていたのだ。


 そんな彼女も、時が経ち、紆余曲折のすえ、エーレンハルト家に嫁入りした。子宝にも恵まれて二人の娘、一人の男児を授かることとなったが、一方で体調は悪化の一途を辿っていくこととなる。

 空気が悪いのか。食べ物が良くないのか。様々な試行の後、寿命だ、と医師は言った。もともと、ここまでしか生きられない身だったのだと。


 刻一刻と自らに迫りくる死の影を見て、オレリアはどう思ったのだろうか。少なくとも、オリヴィアの知る母オレリアは、いつも笑っていた。死する寸前も。死したその後でさえも。

 オリヴィアはそんな母の考えを知りたくて、教会へ赴くようになった。説法を何度も聞いたので、今では教義について語れるし、聖書もある程度そらんじられるようにもなった。だが、未だに答えは見つからない。


 そうして再びの任務の前に、人の死について考え事がしたくなった彼女は、黒天教の教会に赴いたのだ。考え事をするのには丁度いい場所だった。

 実際、黒天教の教会は基本的に人気ひとけがない。そもそもからしてアレコレとご利益を与えてくれるような神でも無ければ、黒天教の行事としては葬式ぐらいのものである。

 そのため国教として据えられているにも関わらず、驚くほど教会への来訪人数は少ない。死と密接にかかわっている事が仇となったのか、死をもたらす邪なる神と同一視されることさえあり、不吉として捉えられるパターンの方が多いのだ。


 そのため、誰かと出会うような心配もせずに、のこのこと表れたオリヴィアの目にエドワードの姿が飛び込んできたのである。


 アルフェングルーで出会った少年は、まるで以前であった瞬間を切り取って盛って来たかのように、何ら変わりないように見えた。何処となく垢ぬけない雰囲気に、妙に似合うキャスケット帽。

 その姿を見て、声をかけてしまったが運の尽き。


「エドワードさんですか?」

「え、あ……オリヴィアさん! 奇遇ですね、お元気でしたか? いやぁ、アルフェングルーから帰ってすぐに、黒天教関連の記事を作るからって任せられまして――」


 そんなふうに、エドワードが機関銃のような速度で口を回すので、あまり口のうまいたちでないオリヴィアにはとても対応できなかった。

 どうにか会話は続けておかなければと、適当にあいづちを打っているうちに、いつの間にか場所は教会の中に移っていて、黒天教についてあれこれと語らされる事になっていたのだ。

 この見習い記者は、きっと腕利きのジャーナリストになれるだろう。そう思ってオリヴィアは眉間をもみほぐしたが、もはや後の祭りであった。


 現状を再確認したオリヴィアは、まぁいいか、とため息と同時に諦めた。別段うんちくを語るのが嫌いと言う訳でもない。エドワードは聞き上手であり、時折質問したり、感心を示したり、熱心に話を聞いていた。

 これも記事の為なのだろうが、話を無関心に聞かれるよりはずっと良かった。うんちくは聞いてくれる人を常に待っているものであるから。


「にしても、また出会えるとは思えませんでしたよ! ほんと偶然ですね」

「ええ。月の導きに感謝、ということにしておきましょう」

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