第二十話 オリヴィア艦長の休日3
「お待たせしました、エピラコッタのケーキです」
歓談――と呼べるほど、軽い雰囲気だったかはともかく――を続けていた三人のもとに、給仕がふと訪れて、オリヴィアの前へ皿を置いていった。淡い色の香ばしいスポンジで出来た、円柱形の小さなケーキである。
「エピ……?」
「"
首を傾げた同僚を横目に、さっそくとばかりの様子で、フォークとスプーンを取り出す。スポンジをフォークで割ってドアのように開くと、幾層も積み上げられた柔らかなスポンジと上等なクリームの層が見えた。
構造はミルフィーユに似ているが、それよりは層の一つ一つが厚い。帝国において古くから伝わるものであるが、最近は費用対効果の問題――つまり手動での大量生産に向かない為、廃れつつある。
「へえ、"古風"……そんな伝統的なものだったんですか、これ。俺の実家だと祝い事とかで出ましたよ」
「地方ではそういうところも多いようですね。帝国が建国されたあたり、まだ村と村の集合体でしかなかった頃からの菓子ですから」
「……帝国にそんな時代が?」
エリザが首を傾げた。はて、と思ったが、そういえば士官学校で史学はあまり学ばれない。教育課程においては最低限で、おおざっぱな歴史について学ぶものの、細部については学者が学ぶものとされた。
実際、オリヴィアがそうした知識を持っているのは、ほとんど本からの知識、つまり独学である。
そうでないものは大抵、帝国が帝国と名乗ったその時からの歴史――いわゆる、"国史書"と呼ばれる類のもので学習しているのだ。建国以前、まだ形になっていない混沌の時代など知る由もない。
さしたる話題でもないと思ったが、見ればブルーノも首をかしげていた。そういえば彼は地方の出で、おまけに戦役上がりのため、士官教育も満足に受けられたわけではない。
ここは一肌脱ぐかと、オリヴィアは小さく咳払いした。うんちくを語りたいのは雑学人の常であり、さらに言えば、それ以外に語るような話題も持ち合わせていなかったのだ。渡りに船と言えた。
「では僭越ながら語りましょう。まず、帝国の原型は、約五百年前に形成されたといわれています」
現在、帝国歴402年。航空戦艦が開発されてから五十年近くが経ち、軍部は致命的な人材不足に頭を抱えつつあるものの、その栄えは疑うべくもない。
しかし五百年前はそうではなかった。そのころはまだ、未だ剣や槍を振り回していた時のことであり、今や帝都がある辺りの地域は、群雄割拠する国と国とが争い合う混沌の時代にあったのだ。
そんな戦争に巻き込まれた村落の類は、時に奪われ、時に焼かれ、時に殺され、ともかく安定という言葉とは遠くかけ離れた場所であった。自分たちを所有する国さえころころと変わりゆくのだから始末に負えない。
争いが続き、多くの尊厳や権利を奪われるままに奪われ続けていた村人たち。重税に苦しみ、これ以上は命にかかわるとなったとき、彼らは互いに監視の目をかいくぐって結束し、とうとう決起した。
「俺たちはずっと昔からここに住んでたんだ。獣を打ち払い、土を耕し、森を切り開いてきた。なのに、なぜ俺たちばかり奪われる?」
素朴な疑問。それが彼らの原点だった。
「俺たちだって、今を生きている! 俺たちだって、明日を生きる権利があるはずだ! これ以上を奪われてたまるか!」
その言葉の元に団結した彼らは、一斉に立ち上がって、とうとう自らを支配する国を打ち破った。村落国家の始まりだった。
彼らはしょせん農民の集まりでしかなかったが、ただひたすらに数が多く、またその信条ゆえに、奪われるものであった多くの村落を取り込んで肥大化した。そうして大きくなり続けた結果、近場の国々を食らいつくしたのである。
多くの争いが終わり、農村の塊でしかなかった彼らに安寧が訪れた時、もっとも先鋒で戦っていた最初の指導者は、こう宣言した。
「ここは我らが生まれ、生き、そして死んでいくと定めた地だ。自然、人、その他の多くと戦って得た地だ。ここは紛れもなく、
我らの土、という表現は、現代で言うと"帝国"を意味している。それこそが帝国の始まりであったのだ。彼らはそれを捻じ曲げなかった。
自分たちの土地で、自分たちらしく生きる。誰も、誰にも不当にこれを奪われることなく、ただ互いに必要なものを与えあう。自然の循環にも似ているそれは、正しく地に生きる人の理というべきもの。
それを踏みにじられたから、彼らは立ち上がったのだ。それを忘れることはなく、幾たびか皇帝の暴走はあれど、帝国は今に至るまで、この題目を守り続けている。
「約束しよう。もう明日に怯える必要はないと。あなたたちが奪われることは、もはやないのだ。我らがそれを許さず、この地を守り抜こう。我らは、ここにて王権を主張する!」
それが、帝国の確かな始まりであった。そのころ、統一の祝いとしてふるまわれたのが、今で言う"
「……と、いうわけです」
分割し食べやすいサイズへ切り取ったケーキを、ひょいっと口の中へ運んだ。しっとりとしたスポンジの素朴なうまみと、深くとろけるようなクリームの甘味が合わさる。積み重ねこそがもたらす美味がそこにあった。
うんうん、と静かに頷く。うんちくを語るのは楽しいが、彼女はこうして甘味をむさぼりに来たのだ。当初の目的が達成できて、大変に満足していた。
しかしふと、しんと静まり返っている店内に気づいて、オリヴィアは周囲を見渡した。ブルーノもエリザも、感心したようにしきりに頷いて、彼女の手元――つまり、ケーキの方を見ている。
それだけでなく、周囲の客も彼女の方を見ていて、その目には興味と尊敬のような光が宿っていた。中には小さく拍手を送るものまでいる
彼女は思わず、顔をひきつらせた。そんなに大声で話していたつもりはなかった。目の前の同僚二人や、店員が静止しなかったことからも、それは間違いない。
ただ、歴史を詳しく知る人間はそう多くない。知っている人間は、あまりこうした場に出てこず、口も開かない。
店もそう広くないので、少し口を閉じれば、別段抑えているわけでもない少女の声ぐらいは聞こえる。多くの客が、たまたま耳を傾けただけなのだ。そしてその話が、意外にも面白かったのである。
客が口を閉じている間は注文が無いので、店員たちも彼女の話を聞いていた。
「……あの、すいません。私にもエピラコッタ? というのを……」
「俺もお願いします」
二人が思い立ったようにつぶやくと、すぐに給仕が動いた。店内のあちこちからも、同じような注文の声が響く。厨房があわただしく動き始めた。
想定外の注目に、オリヴィアは思わず真顔になった。そして、ケーキを切り取ってはかじりだす。無言で。その動きには、見た目にそぐわない妙な威圧感があったが、実際は照れ隠しにも近い動きであった。
しかし、一人用のエピラコッタのサイズは小さい。ぱくぱくと口に運んでしまえばあっという間に尽きてしまうもので、気恥ずかしさが消えないオリヴィアは、皿に残ったスポンジの残りかすを忌々しそうな眼付で睨みながらつつく。
その頬は少しだけ赤かったが、みんなして帝国の歴史を物理的に味わいだしたので、辛うじて誰も見ていなかった。オリヴィアにとって、この日最大の幸運であった。
「むう……」
人前で話すことの苦手さを改めて感じて、オリヴィアはまたコーヒーをすすった。熱いコーヒーも、おいしいが、甘さに慣れた舌は苦味を訴えていた。
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