第十九話 オリヴィア艦長の休日2
――休日というのは、もしかすると滅び去るためにあるのか?
オリヴィアは半分、現実から逃れながら思った。もう半分は諦めだ。
「や、や、どうも。お邪魔してしまって」
「すいません、席がどうしてもなかったので……」
「構いませんよ。不可抗力ですから」
いよいよ席も混んできて、相席を求められたオリヴィアの前に現れたのは、ブルーノとエリザであった。どちらもラフな服装であり、ブルーノの両手には買い物袋らしきものが複数抱えられている。
当然、彼の両手はふさがってしまい、エリザの口は店員とのおしゃべりでふさがっている。これでは愛のささやきようもない。どこか残念そうな男の顔を、オリヴィアはしれっとした顔で無視する。
二人にとっても、休日における上司との遭遇など
「にしても、ここは良いですね。涼しいですし、コーヒーもおいしい!」
エリザが無邪気なふうに笑うので、二人もつられたように笑う。船の中の息苦しさがないだけで、人はこうも明るく振る舞えるのか。あるいは、辛い作戦行動からの解放によって気分が高揚しているだけかも知れないが、暗いよりは良い。
オリヴィアもコーヒーをすすり、新聞をぼんやりと読み進めた。もう二、三ページ残っているのだ。金を払っているのだから、最後まで読まないともったいない、と彼女はいつも最後まで読む。興味のない部分までもだ。
すると、それを横からエリザが覗き込む。しれっとオリヴィアの隣りに座っていたあたり、抜け目ない人物であると言えた。
「なにか愉快なこと、書いてありますか?」
「帝国軍のプロパガンダとか愉快でいいですよ。……冗談です、そんな顔しないでください」
「それ、間違っても軍で言わないでくださいね?」
「言いません。まぁ、特に愉快なものはなにも」
実際、彼女の持つ新聞は、かなり肩肘張った文体の新聞である。そこらのゴシップ雑誌とは違い、公的な調査を経た内容が多いために、面白いと言い切れる記事は少ない。
渋い目で新聞の字を流し見ていると、ブルーノがそれを見て、ポツリとつぶやいた。
「艦長、ほんとに笑いませんねぇ……ほとんど表情も変わりませんし」
「まぁ、そういう顔ですから」
オリヴィアはそういって、彼の追求から逃れる。確かに、オリヴィアの顔は南方出身の母に似て目以外の彫りが浅く、それ故に常に睨みつけているような恰好に見える。これは骨に手を出さない限り改善不能な特徴だろう。
しかし、実際はそれだけではない。彼女の目つきや表情の悪さは、生まれつきのものでもあるが、教育の影響も大きかった。
常に表情を出すことを禁じられ、また適格な判断を下さなければ殴られ、あるいは怒鳴られるような環境だった。
"人間である前に軍人であれ"。父と兄が、呪いのように繰り返してきた言葉。脳裏に深く刻み込まれたその傷が、彼女に普通の少女として生きることを許さない。どれだけ苦しみ、悲しんでも、それを表情であらわすことさえできない。
そうしたがんじがらめが、彼女の無表情を作ったのだ。それは、誰にも心を害されないための鉄壁であり、彼女の自由を
そんな様子をおくびにも出さず、少女はまたコーヒーをすすった。手が少しだけ震えていた。
「……あ、空鯨級の二番艦の話題もありますよ。愉快かどうかはともかく、私たちにも関係のある話では?」
そんな中、エリザがはたと気づいて、今まさにめくろうとしていた新聞を指で押しとどめた。目線の先には確かに、そのような記事も入っている。冒頭の大見出しほどではないが、それなりのスペースがとられているあたり、注目度の高さがうかがえた。
――雲鯨級二番艦、順調に建造中。どのような調整を施すのか? 帝国技術工房の意見を聞く。
そのような内容が記されていたので、ほうと声を漏らし、オリヴィアも目を走らせた。
「ふむ。速力を保ちつつ、どこまで装甲を増やせるのか、という方面で行くようですね」
「高速で動く重装甲艦ですか……しかし、盾だけが早くても仕方ないのでは?」
「その辺はまだ試行錯誤が否めませんね。俺としては、新しい対空火器か、帝国製の
「……個人的には、対空兵器のほうが嬉しいですが」
ん、とエリザが首を傾げた。
飛空兵は目下、艦対艦戦闘における新しい武器となるはずだ。あれだけ強いのだから、帝国もほしい。
しかし、オリヴィアの発言には、否定的な声色が混じっていた。恐怖、ともいえるだろうそれは、普段鉄面皮を崩さない彼女には珍しいことであった。
一瞬、エリザとブルーノは顔を見合わせる。彼は小さくうなずくと、何気ない様子で聞き返した。
「と、言いますと?」
「飛空兵に乗れと、クルーに言いたくないだけです。そんなの、死ねと言っているようなものではないですか」
私は、そんなことのために。
少女のつぶやきが、泥のように重く溢れる。艦長の責務を担うものとしては、あまりに生易しく、人として見るのであれば、ひどく情け深い言葉だった。
彼女も、わかってはいる。飛空兵の導入自体は決して避けられないと。仮にも最新鋭艦であるヴァルカンドラをあれだけ翻弄する小型兵器となれば、帝国もやっきになって導入するだろう。
まして、航空母艦としての性能もある程度備えているのだから、ヴァルカンドラに搭載されないということは、ほとんどありえないことだ。
それに、どんなものに乗っても、落ちるときは落ちる。商用船でも、小型艦でも、ヴァルカンドラでさえも。そして死ぬときにはあっけなく死ぬのだ。たとえ鋼鉄の鎧で身と包んだとて、死の可能性から逃れることなどできない。
だから、これはただのわがまま。ただの、本心。自分の口先一つで、誰かの命を軽々と捨てさせたくはないと、たったそれだけのエゴイズムである。
「……え、と」
エリザが返答に困ったように言いよどむ。癖だろうか、指をすり合わせている。初めて見る、情け深い少女としての一面に、困惑しているようだった。
半面、ブルーノの方はといえば、しばらく顎に指をあてて何事かを考えていた。そこに驚きといった感情はなく、普段浮かべている笑みは消え、ただ凪いだ湖面のようにしずかな目をしていた。
この男も、不思議といえば不思議な男だ。徴兵上がりの戦役兵。地獄を見てきたという割に、苛烈さや過酷さはなく、むしろ務めて明るくふるまっているように見える。
だが、軽薄そうに見える態度の裏に、わずかに見える慟哭と憤怒。渦を巻く溶岩のように恐ろしいそれが、この男を奥深く見せていた。
オリヴィアが心を押さえつけ、ようやく落ち着いたころになって、ようやく彼は口を開く。
「艦長。一つ、ご助言いたしたく思います」
「……なんでしょう?」
「"生きて帰ってこい"と、ご命令ください」
ぱちくり。目をしばたかせるオリヴィア。彼は構わずに続けた。
「死んで来いと言わないでください。それは私たちを殺し、そして艦長、あなたを殺す言葉だ。だから、必ず生きて帰ってこいと、そうご命令ください」
――誠心誠意、その通りに果たしましょう。俺はあなたの部下ですから。
男はそういうと、普段のようにまた軽薄な笑みを浮かべて、ふざけたように敬礼した。
この男は、とオリヴィアはまた思った。この男は、どんな人生を経てきたのだろうか。どんな命の散り際を直視してきたのだろうか。
物資が足りず、人が足りず、それでも石を握りなお殺し合うような地獄の中で生き残ったその魂は、どれだけ傷を負ったのだろう。そして、それを包み、覆い隠し、明るく振舞える心の強さはいかばかりか。
少女は無言でうなずいた。少しだけ強さを分けてもらったような、そんな気がしたからだ。
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