第十六話 交差する稲妻6

 ――王国の航空戦艦について、帝国空軍はかなり詳しい情報を持っている。

 なにせ、長年の敵国なのだ。数百年にわたって対面してきた相手であるからして、相手がどんな戦術に重きを置き、またその戦術をどのような方法を用いて実行してきたのか。

 戦いの場がここ五十年ほどで陸から空へ上がっても、そのやり方は変わらない。時折戦闘において墜落した艦を拿捕したり、捕虜や亡命者から情報を聞き出したりもする。それは王国も同条件だろう。


 だから、そうして蓄積された敵艦の情報を一通り見ていたオリヴィアは、が何という名前なのか知っていた。


「……重戦艦"月を覆う者アポミネテス"……」


 前戦役において、帝国軍を引っ掻き回した恐るべきちから。重武装、重装甲、そして長い航行可能距離。横に広がった長方形の翼は、過剰とさえ言える武装を搭載するための骨組みだ。それは、どことなく鷹を思わせる形状であった。

 空飛ぶ要塞といっても過言ではない、王国の切り札が一つ。それが、突然、彼女たちの目の前に現れたのである。


「さっきまでレーダーに反応はなかったはずなのに!」

「馬鹿っ、そんなこと言ってどうなる! この光景が現実だろうが!」

「光景っていったって――盲目でもない限り、目視でもあんな船、見逃さないぞ!? どれだけ遠くてもだ!」


 怒号がする。突如として帝国の最優先破壊目標の一つが出現したのだから、当然ともいえた。この船に、十とも二十とも知れぬ帝国空軍の船が挑み、そして散っていったのだ。ヴァルカンドラ一隻でどうにかなる話ではない。

 アポミネテスは変わらず、その黒い船体をこちらに向けて、天を覆うがごとく佇んでいる。火砲がこちらを向いている。不気味な沈黙であった。

 動けない。下手に動けば、火砲が降ってくるだろう。偽装大型艦への降伏勧告のために、船を停止し始めていたのがあだとなった。逃げるにも、戦うにも、初速が足りないのだ。


「か、艦長……」


 誰かの呻くような声がする。オリヴィアは、それを聞きながら、黒い天の蓋をにらみ返していた。なぜとか、どうやってとか、そんなことは忘却の彼方にある。今彼女の頭の中にあったのはただ一つ。"何をする気か"だ。


「……落ち着きなさい。アレがこちらを落とす気なら、もう落ちています」


 ヴァルカンドラを撃墜するだけであれば、もう撃っているだろう。この船はそこまで装甲が厚くはなく、船体のサイズからしてそれは目視でもわかるはずだ。大型艦の砲をまともにたたき込めば、一撃でへし折ることができるだろう。

 だが、そうしない。ということは、何か理由があるのだ。ヴァルカンドラを打ち落としに来たわけではないのだ。だから落ち着かなければならない。


 恐怖と混乱のさなかに、わずかな納得が生まれた。逃げるのか戦うのか、そんな二択を迫られたような気分でいた者たちも、次第に落ち着き始める。

 静寂。敵国の船と船がにらみ合っている最中ということを踏まえると、いっそ奇妙にさえ思えるほどの静寂。それがしばらく続いた。数分か、数十分か。誰も時間を計っていなかったので、ひどく長く感じられた。


『――帝国ノ、戦艦ニ、告グ』

「っ!」

「お、王国艦からの広域通信です!」


 ひび割れたような声。変声機ボイスチェンジャーだろう。かろうじて男性らしき特徴が聞き取れるが、それ以外は何もわからない。強すぎる調声のために、声があちこち割れているのである。

 しかも言葉一つ一つを区切っているので、まるで抑揚がない。声の割れ方もあいまって、石が無理やりにしゃべっているような感じがした。


「……回線、繋げられます?」

「ええと……周波数合わせました! 回線開きます!」


 ぷつり、何かがちぎれたような音とともに、声と声がつながる。先ほどの広域通信のような、一方的なものから、相互に届くものへ。緊張が走るなか、オリヴィアはつばを飲み干して喉を潤すと、通信の相手と向かい合った。


『コチラ、王国空軍、第一艦隊、アポミネテス』

「……返答する。こちらは帝国空軍第三艦隊所属、ヴァルカンドラ。アポミネテス、要件を述べられたし」

『攻撃ヲ、中断セヨ。本艦ハ、、中型艦ノ、回収ヲ、目的トスル』

「拿捕、ですか」


 嫌な手だ。舌打ちが一つ吐き出されたが、音が届いていなかったのか、通信相手はなにも言わなかった。

 仮にも正規軍の船が、そう簡単に拿捕されるものか。言い訳なのは目に見えている。だが、実際に戦闘を行ったのはほとんど空賊艦だった。空賊に拿捕されていたのだと言われればそれまでで、人員さえ回収してしまえばいくらでも誤魔化しが効く。


「……帝国領内への侵入に関しては、何か言い訳がありますか?」

『……緊急避難ダ』

「便利な言葉ですね」


 オリヴィアは少し目を伏せると、そのまま黙り込んだ。


 ギリギリと、胃が悲鳴を上げている。鋭いような、鈍いような、なんとも言えない苦しさが舌の上にまでこみ上げてきた。こんなもの軍人の仕事ではないはずなのに、とオリヴィアは少し泣きそうになった。

 というのも、これは高度に政治的な判断が必要とされる案件だ。下手をすればまた戦争が勃発しかねなかった。

 このまま素通しとなれば、帝国空軍が黙ってはいないだろう。だが、ここで偽装大型艦の撃墜に成功しても、ヴァルカンドラが無事では済まないことは明白である。どちらにしても、独断専行のそしりを受ける可能性も考えられる。


「見逃すべきだと、愚考いたします」

「……エリザ副艦長?」

「通信記録は取っています。大丈夫、帝国軍もここでオリヴィア艦長を処断するような愚は犯しません。艦長が言った通り、撃ち落とされもしません。……大丈夫、です」


 沈黙を破ったのは、傍らに座っていたエリザであった。

 彼女は、オリヴィアほどではないとはいえ、かなり青い顔をしていた。しかしそれでも、何気ない様子で喋りかける。通信に声が入らない用慎重に。だが、確かに届く声で。


 それのなんと頼もしい事か。隣に立っていてくれる、自分とともに考えてくれている。胃の痛みが、少しだけ、温かさにかわった。


 人に頼るのは情けないことだ。自分で考えないのは甘えだ。オリヴィアはずっとそう言われて育ってきた。だからそうなのだとぼんやり思って生きてきた。

 けれど、この最悪な状況下で、今はその温かみがただ嬉しかった。情けないと言われてもいいも思えたのだ。その"情けなさ"が、ほんのすこしだけ、彼女に余裕を生んだ。余裕は思考になった。


 火器管制長が負傷した今、規律的な斉射攻撃は不可能だ。こちらの指示で撃つことはできるだろうが、散発的砲撃ではアポミネテスの相手など到底できまい。

 また、船員の身体・精神的な余裕もあまりない。連続の任務であることに加えて、突如として現れた王国戦艦に対する混乱は、未だ落ち着いていないのだ。ベストなコンディションからは程遠いのである。


 勝てない。少なくとも、今この場では。脳裏を駆け抜けていく澄んだ思考の波は、彼女にその答えをもたらした。勝てない戦いに身を投じるのは馬鹿馬鹿しいことだ。まして、相手は比較的便済まそうとしているのだから。オリヴィアの腹は決まった。


「いいでしょう。この場はお見逃しいたします。ただし、後ほど政府から正式に抗議いたしますので」

『了解シタ。王国政府ニハ、コチラカラ、伝エテオク。ゴ理解、感謝スル』

「どういたしまして。お帰りはあちらです」


 この答えでよかったのか? もっと正しい答えがあったのか? 彼女の懊悩を置き去りにして、偽装大型艦に牽引用の重力錨をひっかけ、くろがねの鷹は去っていった。後には鯨だけが残された。


「ああ……もう。これからどうなるやら、ですね」

「ええ、まったく。まずは報告書をどうするかからですね、艦長」

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