第十二話 交差する稲妻2

 航行を始めたヴァルカンドラは、意外なほど安穏とした旅路の中にあった。とはいえ、先の襲撃事件といい、これからの強襲作戦といい、緊張が強いられるのだから、その間はある程度リラックスしたいというクルーの願望によるところもあるだろう。

 また、これは追撃戦なうえに敵の進路を大きく遠回りしているため、敵の伏兵を考える必要があまりないというのもあった。実際、航行二日目とはいえ一度の接敵もないのだから、空気の弛緩は避けられない。


 緊張しきりなのも困るが、だらけすぎているのもそれはそれでいけない。そのためオリヴィアは時折席をたっては、あちこちの仕事場を視察し、緊張感を取り戻してやらねばならなかった。

 それがより一層、冷徹だとか、冷血だとか、そういう評価につながることにもなるのだが、オリヴィア自身は特にこれを問題視せず、むしろありがたいとさえ思っていた。

 見た目で侮られることの多い彼女にとっては、名前を聞いただけで恐れてくれたほうが、よっぽど扱いやすかったのだ。


 そんなどこかゆったりとした時間の中、オリヴィアが違和感に気づいたのは、艦長席に戻ってきて船と接続を行ったときのことであった。


「……見られている……?」

「へっ?」

「オリヴィア艦長?」


 ぽつりとつぶやいたオリヴィアの声に、何人かが不思議そうな返答を返す。彼女はそれに反応もせず、超視界であたりを一通り見まわした。

 右舷側に山が見える。左舷側は街道と、それから森。どこにも艦がひそめるような空間は存在していない。だが、船と直結されたオリヴィアの感覚は、確かに何者かによる観察を受けていると主張していた。


 精神感応者による大型艦との接続は、いまだに未知のまま運用している部分が多い。そのうちの一つは、超視界をはじめとした"統合感覚"である。

 観測機器もないのに音を聞き、風を感じ、また一般的に"殺気"と呼ばれるものさえも感知することがあるそれ。ほとんどオカルトの類であるが、しかし一部の学者たちは確かにこれは存在すると訴えた。

 そもそも、精神感応能力というのは、精神と世界を共鳴させる力だ。物質に溶け込んだ意識は、ただ思念の力によって機械を動かし、また機械からの情報は人間の感覚としてであるが感知できる。

 そして、人間のそれよりもずっと高性能な観測機器と同調を果たすことが、人間に新たなる感覚――"統合感覚"、すなわち第六感を会得させているのではないか、という言説が、学者によって唱えられたのである。


「……空戦隊を二つ出して、第三種警戒態勢にあたらせてください」


 実態がどうかはわからない。高価な観測機器を実験のために使いつぶすようなことはできないのだ。だが、オリヴィアはこの一時、統合感覚とやらを信じてみることにした。

 何もなければ、何もないに越したことはないのだから。

 指示を受けた青鴉級が、ヴァルカンドラ後方のハッチから飛びたっていく。藍色の装甲板が、わずかに傾き始めた薄橙色の陽光を反射して黒く輝く。


 果たして、は現れた。


 森の薄暗がりのなかから、ゆったりと浮かび上がる鈍色の影。大きさは三、四メートルあるかないか。小型艦よりももっと小さいが、しかし確かに浮いていた。推進装置によるものか、青い火花が怨霊のように揺らいでいる。

 頭と思しき突起と、明確に伸びた手と足がそれぞれ二本。人間でいうなら手と呼ぶであろう部位には、ゴテゴテとした大きな銃器が一丁。人間が持つにはあまりにもいびつで大きいが、艦船用のものとするなら小型。

 鈍色の影の腕と一体化した銃器は、近代的な武器というよりも、むしろ原始的な爪や牙のようだ。

 つまり、それは。人型の、航空兵器に見えた。


「……」

「か、艦長……あれは、あれはいったい……?」

「新兵器か、あるいは未知の生命体といったところでしょうか。ろくなものでないのは確かです」


 エリザのうろたえるような声をバッサリと切り捨てて、オリヴィアは超視界の中、それをにらみつける。

 甲虫と人間と機械を無理やりに混ぜ込んだら、こんな見た目になるのかもしれない。角度によっては銀色にも見える外骨格の内側から、赤い目が、こちらをじっと見ていた。


 そして――動くときは一瞬。姿が一瞬ブレたかと思えば、人型はすでに、ヴァルカンドラの下方向へもぐりこもうとしていた。


「あれを暫定的に敵存在と認定します! 空戦隊、交戦を許可!」

『了解です、艦長。モルバゼロツーからゼロフォー、俺に追随しろっ、上からたたく! ゼロファイブ以降は左右に広がれ、アレをヴァルカンドラに向かわせるな!』


 唐突に始まった争いに、しかしブルーノは動じなかった。素早く指示を飛ばすと、未知の存在めがけて攻撃を開始した。前戦役を戦い抜いた猛者の風格があった。

 しかし、そんなブルーノでさえも攻めあぐねていることを隠しきれなかった。敵が早すぎたのである。


 空戦における最高速度、最高機動力を誇っていた小型艦。火力は低いが、その分を手数で補おうとする考えの延長線上に青鴉級が存在する。

 だが、人型兵器――のちに、帝国が甲虫型ヴォルノイド飛空兵ドラーニエと呼ぶ――それは、小型艦以上の。否、誰の想定も超えてなお速かった。


『なんなんだ、アレは……!』

『落ちつけ! 足は止めてんだ、機銃掃射だ! あんな紙っペらみたいな装甲で弾を止めれるもんか!』

「ヴァルカンドラも下方機銃で牽制を開始。あの機動力ではまともに狙っても当てられませんから、退路を塞ぐようにばら撒くことを優先してください」

「え? 下方には空戦隊も……」

「小型艦の上部装甲なら機銃弾ぐらい弾きます。いいから撃ちなさい、艦長命令です」

「りょ、了解! 機銃掃射、始め!」


 オリヴィアの指示によって機銃による弾幕が張られる。およそ隙間なく張り巡らされた鋼の雨だったが、虫人はその上を行く。まるで弾をすり抜けていくかの如く、慎重に、だが確実に接近しつつあったのだ。

 弾丸の波がうねり、人型の影を追うが、間に合わない。何と言う飛行速度であろうか、機銃の旋回速度が間に合わないのだ。


 これは脅威だ、と彼女は確信した。あれが兵器にせよ生き物にせよ、その機動力は異様なほど高い。自由に動かせる手足に推進力を持たせることで、不規則な回避パターンを会得しているのだろう。

 おまけに的が小さいこともある。通常の小型艦でさえ十メートル以上はあるというのに、あれはそれよりずっと小さいのだ。小型艦建造時の想定には、それより小さく早い敵との交戦など含まれていない。


 近づいてくる。近づいてくる。オリヴィアのはそれをたしかに捉え、そして冷徹に言い放った。


「空戦隊、船体直下より離れなさい。アルハム、急速下降を開始」

「下降、了解」

「うぁーっ!? か、艦長? アルハム操舵士!?」


 ガクン、と体が一瞬浮かぶ。エリザ復艦長が悲鳴を上げるのも無理はなかった。重力の手に再び掴まれた船が、急速に落下を開始したのである。

 もとより航空艦は上下の移動に強い。そもそも飛行能力の根幹には、重力を制御するための力が備わっている。力の向きを逆転させてやれば、それだけで急速に下降が可能なのだ。

 無論、途中で減速しなければ地面に激突しかねないリスキーな行いだったが、起動翼に搭載された分を含めて、六つもの重力炉を有するヴァルカンドラなら出来ると、半ば思い込みめいた確信がオリヴィアにはあった。


 突如として落下してきた鋼の空に、甲虫兵も一瞬怯み、左腕と一体化した銃器で二、三発をヴァルカンドラの下部に向け発砲したが、その後急速に離脱を始めた。


「む、向かってこない……?」

「あのサイズで軽快に動き回るのですから、私の考えが正しければ、気流の影響をかなり受けるはずです」

「……なる、ほど。こちらは落下するだけですが、向こうは接近しようにもヴァルカンドラに押しのけられた空気の流れに吹き飛ばされてしまう、故に退かざるをえないと」

「そういうことです。それに、あれが兵器にせよ生物にせよ、あの大きさでは燃料スタミナもそう多くはないでしょう。そろそろ……っと」


 オリヴィアが話しているうちに、鈍色の人型兵器は、ヴァルカンドラの方を見ながら飛び去っていった。

 もとより威力偵察なのか、はたまた燃料切れか。正体も目的も不明な怪物は、ひとたび森に突っ込んで姿を消すと、それ以降あらわれなかった。

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