第四話 演習飛行3

 絶え間ない振動音と、不機嫌そうなガコガコというよくわからない機械の稼働音。機関室へ踏み込んだ彼女が味わったのは、そうした雑味あふれる、砲雷撃戦とはまた別の戦場であった。

 もし一時でも機関が正常に動かなくなればがあれば、ヴァルカンドラはただちに正常な航行ができなくなる。それが長期化したり、動力機関が完全に崩壊するような事態になれば、ヴァルカンドラはただちに空飛ぶ鉄くずになり、その後しばらくすれば空飛ばぬ鉄くずとなり果てるだろう。

 そうなれば一貫の終わり。艦長とはまた違った立場で、ヴァルカンドラのクルー全員の命を守る。それが彼らの仕事であり、また誇りでもある。


 だから、オリヴィアがのこのこ歩いてきても、彼らはそれを一切顧みず、あちらこちらへ工具やらなにやらをもって走り回っていた。


「親方! 替えの工具一式持ってきやした!」

「親方、第三予備エンジンのボルトが外れてます!」

「オイルの予備はどこだ!?」

「馬鹿野郎! てめえがそこに置いたんだろうが!」

「馬鹿とはなんだこの野郎!」


 なんともうるさい。機関のたてるごうごうとした重低音に、なお負けぬ怒号の嵐。彼らは不調を警戒しつつ、燃料の具合を確かめ、エンジンそのものの負荷もいちいち確認せねばならない。

 一瞬の見逃しが死につながることを考えれば、仕事を怠ることなどできない。それゆえに、彼らだけは交代制で最低でも連続した六時間の睡眠を義務として、そして権利として持っているのだ。


 とはいえ、今は彼らの仕事を見に来たわけではない。立派に働いてくれていることは評価に値するが、艦長としての仕事はまた別だ。

 オリヴィアは、なんとも情けなく、またハラハラとした様子のブルーノに帰っていいとだけ伝え、機関室の中をいつもの仏頂面でのしのしと歩き始めた。


 すると、次第に視線も彼女へと集まり始める。あののしのし歩いてる子供は誰だ、お前の隠し子か、いやちがう、そんなくだらない会話が聞こえてくる。そして彼女が艦長のオリヴィアらしいと気づき、次第に静かになった。

 その静寂の中で声を荒げていられたのは、ジュロイ機関室長ただ一人のみ。ジュロイは彼女など存在しないかのようにふるまっているが、目は明らかにオリヴィアのことをとらえていた。

 壮年を少し過ぎたぐらいの、がっしりとした男である。背は低いが、全身にくまなく張り巡らされた筋肉は、肉の要塞とでもいうべき堅牢さを誇っているように見えた。

 彼が手に持った六角レンチを振り回せば、機関はスムーズに動き、不調はまたたくまに修復され、サボり魔は青ざめた顔で働き出す。機関室の"親方"。航行継続の可不可を判断する権限も持った、艦長と並ぶ船の支配者の一人だ。


「ジュロイ二等空佐」


 オリヴィアが声をかける。彼はそこで、ようやく気付いたかのような素振りで彼女の方を見て、突然息が苦しくなったような顔をした。


「オリヴィア艦長殿、どうかされたか」

「ええ。エンジンの調子をお聞きしようと――」

「エンジンは問題ない。……話はそれだけか」


 ほとんど被せるようにジュロイが言う。黒い目が、強い視線でオリヴィアの方を射抜いてくる。帰れと言っているのだろう。まともに会話する気などないのだ。

 まして、ここは彼女にとってアウェーである。彼が睨みつければ、機関室の面々も続いて睨まざるを得ない。小さい背には重すぎる、無数の痛い視線。胃がギリギリと限界を訴えていた。

 だが彼女とてただでは引けない。ここでひいては今後においても響いてくる。震え、今にも勝手に下がっていきそうな足をどうにか引き止めて、彼女はむしろ、一歩前へ。


「話はまだあります」

「俺にはない」

「……ジュロイさんっ! あんたがガキみたいになってちゃ世話ないでしょ!」


 む、とジュロイの唸る声。ブルーノはまだ、機関室の中にいた。それどころか、オリヴィアの隣に立って叫んだ。援護射撃してくれるというのだろう。正直、ハリボテのように立っているのがやっとの彼女には、それだけでも心強かった。


「若造が……階級が同じだからといって」

「あんたが!」

「ブルーノ、もう大丈夫です。ありがとう」


 オリヴィアは、もう一度、目の前の業突く張りを見つめ返した。彼のつり上がった瞳は、放った言葉を取り消す気など更々ない意思の現れだ。

 だが、彼女とて引くことはできない。ジュロイが機関室のみなを背負うように、オリヴィアもヴァルカンドラという船を背負っているのだ。


「私は若輩です。若輩もいいところです。ですから、侮っていただいても全く構いません。異論反論、大いに結構」

「なに?」

「ですが!」


 破裂するような、高い雄叫び。私は艦を背負う身だ。この背が揺るぐものか。言葉よりも雄弁に、その目で語る。ジュロイが僅かに怯んだ。


「その代わり、あなたにも仕事はしてもらう。私を若造と侮るなら。自分が若造でないというのなら。それ相応の働きを」

「ぬぅ……!」

「……ひとまず指示にさえ従ってくれるなら、それ以上は求めません。要件はそれだけです」


 オリヴィアは踵を返した。これ以上ここに立っていると、味方の少なさに涙でもこぼれてきそうだったからだ。ブルーノが慌ててあとに続き、他には誰もついてこない。

 背を追ってくる視線も、機関室の扉が閉まれば途絶えた。


「……はぁー」


 魂ごと引っこ抜けるような、そんなため息。


 なんとかなった。指示に従わないとは言わせなかった。それだけで及第点は取れるだろう。

 結果だけを見れば、完璧な行動や言動だとは思えなかったが、そもそもこの幼い身で、カリスマなど発揮できようはずもない。これが今できる精一杯だった。


「無茶せんでください、艦長……」

「するべきことだったのです。でも、助かりました、ブルーノ」


 昇給の監査に色を付けておきますね、と彼女が言うと、男はとたんに微妙な顔になった。自分の半分にも満たない年の少女が、自分の上司であると思いだしたのだろう。

 その顔があんまりにも情けないので、彼女はケラケラ笑った。ここ最近で、一番心地よい笑みであった。


「――!」

「――……」


 ふと、機関室の方から音がした。そういえば、まだ扉の前であった。中で怒鳴っているのはジュロイかと思ったが、そうではない。声の質的に、ジュロイの隣に居た、エリアス三等空佐だろう。

 キョトンと顔を見合わせた二人は、興味のままに、扉に耳をつけてみた。防音性の高い扉だが、どちらかといえば音の拡散を防ぐのが主目的の壁である。耳をつけて何も聞こえないほどではない。

 すると、こんな会話が聞こえてきた。


「幼い子にあんな態度とってどうするんですか、室長!」

「うむぅ」

「うむぅ、じゃありません! お孫さんにもあんな態度取るんですか!」


 あまりにも意外な会話だった。機関室長を、副長のほうがいさめている。いや、これはもはや、叱っているといった雰囲気だ。


「い、いや、そのだな。孫以外は話し方がわからんのだ」

「話し方がわからないからって凄む人がありますか!」

「むぅ」

「お孫さんと同い年で複雑なのはわかりますが、あれじゃ誤解しか招きませんよ! 機を見て謝罪すること! いいですね!?」

「むむぅ」


 オリヴィアはなんだか頭が痛くなった。ブルーノもそんな顔をしていた。そのうち諦めて、艦長席に帰ることにした。ブルーノも会釈を一度送ってから、自分の持ち場に戻っていった。


 ジュロイ=マクセン=バームターム。齢六十近く、いくつもの戦役を超えた歴戦の猛者にして、国許へ帰ってきては五人の孫を可愛がる、孫煩悩な男であった。

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