第二話 演習飛行1

 ヴァルカンドラは特に大きな異常もなく、第一演習地点の付近にまで航行を続けた。そもそも、飛行テストはすでに、かなり入念に行われているのだ。武装を積んで出立できた時点で、航行への支障はあまりないだろうと技術者たちは予見していた。


「……武装時巡航の計測結果はどのようになっていますか?」

「巡航速度での航行は支障ありません。武装や装甲の剥落も見受けられませんし、エンジンや反重力炉の負荷も予測範囲内です。おおむね順調かと」

「そうですか」


 ぶっきらぼうに答えたオリヴィアは、手元の報告書の一枚目に"順調"とだけ記載した。提出が必要となる報告書はまだまだ分厚い。何日かかるだろうか、という暗い予想は、オリヴィアの仏頂面をわずかに曇らせた。

 とはいえ、それは初めから予想されていたことだ。そもそも、数日間の連続航行に支障がないかといった試験まで含まれているのだから、まったく順調に進んだとしても、最低でも二週間はかかるだろう。

 そんな無情な計算結果に、オリヴィアは一瞬瞑目する。それから諦めたように小さく息を吐き、テスト内容を再確認した。


「では次に、観測機器のテストと、並行して精神感応テストを行います。アルハム二等空尉、操舵を変わってください」

「了解しました、操舵権限を譲渡いたします」


 端末を操作するかすかな音。それ以外は、こそこそと喋るような声はあるが、至って静かだ。出立時の騒ぎが大きすぎただけとも言えるが、それでも異様な沈黙具合であった。

 ――おそらく、試されているのだろうな、とオリヴィアは無言の中で思う。この艦長は、四角四面の艦長であるのか、それともフランクな艦長なのかを、判断しようというのだ。

 彼女としては、そこまで私語や行動を厳しく縛るつもりはない。もとより信用の薄い身である以上、軍規以上の制約を掛けたところで、どこかで反乱を受けるオチが容易に想像できる。とはいえ、仕事ができないと侮られるのもそれはそれでまずい。彼女はさっそく自分の仕事にとりかかった。


 目前、艦長用のコンソールの両側面には、腕一本分ぐらいの大きさの筒が、左右にそれぞれ一本ずつ備わっており、その中に満ちた銀色の柔軟金属は、不自然なことに重力に逆らい筒の中に残り続けている。一瞬気後れしたオリヴィアは、それでもまなじりを決して、両腕をその中へと突っ込んだ。

 ずるり、と腕が沈み込んでいく。液体でも、固体でも、まして気体でもない。鉛の湖に腕を突き入れたかのような、得も言われぬ感覚。

 口をきゅっと引き締めながら、肘ほどまでを筒の中へと入れていくと、やんわりと開いた拳の間に、銀色の液状金属が入り込んで固着し、彼女の体と船を繋げてくれた。

 大きく、深呼吸。それから誰かに、あるいは自分に言い聞かせるように、一言だけ告げた。


「――接続を開始します」


 目を閉じ、手の輪郭を意識してぼやけさせる。液状金属の詰まった筒が、オリヴィアの手と、船の境界線をなくしていく。


 大型航空艦の運用にあたって問題になっていったのは、周辺状況の確認だった。通常の海を行く船舶であれば上からの視界だけで事足りるが、航空戦艦は下方の警戒も必要不可欠。

 かといって下部に確認用のガラス窓などを設置すると強度が担保できないし、兵器類の邪魔になってしまう。大型化すればするほど、周辺観測の困難さは加速していった。


 それゆえに、大型航空艦の運行には、精神の同調が行える人間が必要不可欠なのだ。船との同調を行えば、下方確認用の観測窓を用意しなくても、航空艦の死角をなくすことができる。まして、船の状況も、文字通り手に取るようにわかるのだから、その有用性は言うまでもないことだった。

 ただ、精神の同調や感応をはじめとした超能力を行使できる人間は貴重である。だからこそ少女に過ぎないオリヴィアが、いくら志願したことになっているとはいえ、こうして軍に居るのだ。

 精神感応の能力を持つ者を軍は欲しがっており、志願に付随した多少の違和感など握りつぶされてしまったという訳である。彼女にとってはまったく不都合な話であった。

 もしかすると、父と兄は、それが分かっていて志願という形でオリヴィアを軍に"志願"させたのだろうか。だとすればとんだ悪知恵だ。


 余計なことを考えていると、頭に一瞬、鋭い頭痛が走る。それから、閉じたはずの瞼の裏に、青い大地と、低く見える山々が見えた。真下の街道には、旅人らしき乗馬者が、呆れたようにこちらを仰ぎ見ている。

 風を感じる。空に吹く、冷たい風だ。表面装甲を撫でて、無粋な武装群にかき分けられ、また大気へと散っていく。太陽が近い。ギラギラと光っている。

 そこまで思って、オリヴィアは自分がヴァルカンドラに引っ張られていると気づき、ハッとして頭を振った。もう一度頭痛がしたが、それ以降はすっきりと消えた。

 小型艦や中型艦で練習はしてきたが、大型艦ほどの大質量と同調を行うのはこれが初めてだ。意識を船の方に持っていかれると、引っこ抜いてもらわなければ死んでしまう。

 意識して機体を介した超視界の明度を下げ、頭に入ってくる情報の量をそぎ落とす。そうすることで、ようやく自分としての感覚を取り戻し、意識はどうにか人型を保つ。それから、もう一度ぐるりと周囲を見渡していった。


 見える。下も、後ろも、ずっと遠くも見える。船に同調して、視界を借りているからだ。観測機器の全てに加え、鋼に伝わる感触さえも、いまや彼女の感覚の統治下にあるのだ。数値的な詳細ではなく、あくまでも直感的なデータでしかないが、それは彼女に一種の万能感を覚えさせた。


 機体が振動する。彼女が動かしているのだ。ちいさなを動かし、空をさくと、推進力のままにヴァルカンドラが西へ西へと回り始めた。時折薄く目を開いては、コンソールに映る方位を確かめ、次なる目標地点に船先を向けていく。

 エンジン出力も問題ない。武装も確認がてら軽く揺らすと、良好な感触が帰って来た。よく油が差されている。後で整備士に、労いの一つでも入れておかねばならない。

 その後、一通りのことを確認して、故障だとか損傷だとかが全くないことを確認すると、オリヴィアは一度目を開いて人の世界へと戻り、それから大きく息を吐いた。


「接続終了。船体と接続機器に問題なし、方角そのまま、演習地点Bにまで……?」


 そこでようやく、オリヴィアは周囲からささやき声さえ聞こえないことに気が付いた。周りをゆっくりと見渡すと、総合司令室の船員がみな、彼女の方を見て目を見開いている。そうでないのはエリザと、どこかマイペース気味なアルハムだけだった。


「……どうかしましたか?」


 オリヴィアが首をかしげるが、誰も何も言わない。しかたなく副艦長のエリザに目を向けると、彼女は苦笑しつつ答える。


「いえ、火器系統が動いたので。オリヴィア艦長が動かしたのですね?」

「ええ。それが何か……ああ、そういうことですか」


 彼女の感応能力は、帝国基準の能力判定で言えばC+、つまり"最低限より少し上"だ。これ以上のB判定やA判定ともなると、大型航空艦を一人で動かせるらしい。そこまで埒外の能力は持っていないが、しかし彼女でも、人や機器の力を借りずに、少し船を動かすぐらいのことは出来る。

 とすると、この空気から察せられる事は、オリヴィアがそれだけ、期待されていなかったということだ。気まずそうに逸らされる周囲の視線は、そのことをわかりやすく示していた。


「……その、申し訳ありません、艦長」


 誰かが謝罪を切り出す。黒い髪、青い目、通信士のハムト三等空尉であろう。若いが、オリヴィアよりはさすがに上だ。落ち着いた雰囲気を感じさせる垂れた目が、より情けなく下がっていた。


「まぁ、構いませんよ。若輩者なことは事実ですから」


 この際仕方ない。と、彼女は思っていた。大型航空艦における艦長の職務は周囲の観測、戦闘時の操舵、戦闘指揮と多岐にわたり、航空戦における命綱とさえいえる存在だ。

 その仕事がこれほどに若い少女に任されたと言うのだから、船員の不安はいかほどか。それが分からないほどオリヴィアも愚かではない。そうした不安を和らげるのも、ある程度までは彼女の仕事である。


「……仕事をしてくれれば、私語も構いません。私を気にせずとも結構。アルハム二等空尉、操舵をお返しします」

「了解……操舵、再開します」


 私もどうにか、最低限はこなします。それを言ってオリヴィアは黙りこむ。そのうち、再び話し声が響き出した。

 前途多難。ため息をついた彼女の超視界の向こう、船の進行方向には、暗雲が立ち込め始めていた。

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