第22話 兄の責任

「ただいま」


「あーおかえりお兄」


 めずらしく玄関まで喜奈が出迎えてくれたことに少し驚いた。


「ん? 喜奈一人か?」


「うん一人だよ。お兄を待ってた」


「ん? ……ああそうだったな。お帰りなさいのキスだったな……」


「な、なななんでそうなるのよ! もう。そういうところ本当きもいから」


 なんだ喜奈のやつ、満更でも無さそうじゃないか……。


「冗談だよ。とりあえずリビングで待っててくれ」


「はーい」


 玄関で靴を脱ぎ丁寧に揃えた。そして自分の部屋に行き制服を脱いで部屋着に着替え、リビングへと戻ると、すでに喜奈が椅子に座って待っていた。気が利く妹はホットコーヒーまで淹れてある。


 出来た妹だ。


「……それで話って?」


 二人で机に向き合って座った。


「ああ、実はお前の記憶力のことなんだけど。あの日、喜奈から話を聞いてずっと思っていたんだけど一度聞いた人の声が忘れられないって辛くないのか?」


「あーそのことね。まあもう慣れちゃったかな」


 喜奈は気付いていないかもしれないが、俺は見逃さない。話の途中で目を逸らした事に。


「そうか。――実は喜奈の話を聞いた後、紹介された白衣の先生と俺も会ったんだ」


「えっ?」


 手に持っていたマグカップを机の上に置いた。


「そしてその病気のことを聞いてきた。その病気の名前は【怪奇現症】と言うらしい」

 すると喜奈がスマホを取りだして検索しようと画面をフリックし始めた。


「調べても出てこないぞ。なぜかはわからないけどその病気の情報は隠されているんだよ。そして喜奈。俺はお前のその病気を治したいと思っている。治せるのならなんだってするつもりだ。それに対しての喜奈の意見が聞きたい」


 そう言うと喜奈は少し黙り込んだまま俺の顔をじっと見つめている。


「やっぱりこれ病気だったんだ。……治るのかな? でももう慣れちゃったし、テストも余裕で満点取れるから気に入ってるんだけどねー」


 そう言ってまた目を逸らした。喜奈は強がっている時や自分を偽っているときは絶対に俺と目を合わせない。


 つまり気に入っているというのは、嘘だ。


 強がっているだけなんだ。俺は誰よりもお前を理解している……つもりだ。


「本当に辛くないか? 無理だけはするなよ」


「うん。全然平気だよ。しばらくこのままでもいいかなって感じ。私この病気、気に入ってるし、お兄にも迷惑掛けられないし」


 もうやめてくれ喜奈。


 意地を張らないでくれ。


「迷惑な訳あるかよ。……本当に大丈夫なのか?」


「お兄、ちょっとしつこいよ。大丈夫って言ってるじゃん」


 ……何年一緒にいると思ってやがる。


 ……無理しないで少しは兄に甘えろよ、そんなに俺が頼りないのか……。


「なあ喜奈、本当に……」


「うるさいなぁ! 放っておいてよ!」


 喜奈が勢いよく両手で机を叩いた。

 

 その衝撃で机が揺れてマグカップが倒れホットコーヒーが溢れた。


 だが俺が見ていたのは溢れたコーヒーではなくて喜奈の表情。


 だってもう限界じゃないか……。


 ごめん喜奈。今まで気付いてやれなくて本当にごめん。


 いつの間にか俺は喜奈のところに行き無言で抱きしめていた。


「ち、ちょっとお兄、離してキモいから」


「……今まで気付いてやれなくてごめんな。もう無理するな。兄ちゃんが絶対にお前を病気から救ってみせるから」


「ねぇ! ほんとに、離してよ」


 喜奈が抱きしめている腕を振り解こうとする。


「離すもんかよ」


「は、なに…言ってるの…意味…わからないし」


「意味がわからなくてもいい。俺が助けたいから助けるんだ。ただの自己満足だ」

俺はそのまま妹を強く抱きしめた。


「なにそれ……ほん……とに…きも…いんだから……」


 喜奈は泣いていた。今まで張り詰めていた糸が切れたのだろうか。普段から強がってばかりだった妹が初めて兄ちゃんに弱みを見せてくれた気がする。


「いいからこのまま兄ちゃんに抱かれとけ。今日だけだからな」


「……うん」


 鼻を啜る音と、とても小さくてか弱い泣き声がリビングに響く。


 喜奈はずっと前から限界を超えていた。狂ってしまうほどのストレス、決して忘れられない人の声。それらが限界を越えるとどうなるのか……。


 答えは圧倒的なまでの無感情。


 それは感情を無にしないと自我を保てないからだ。


 倉橋先生が喜奈のことを天才と表現したのは記憶力ではなくて感情を無にしつつ、それを誰にも気付かれないように装っていたからなのかもしれない。やはり倉橋先生が一番のミステリーだ。


 本当に怖いよ、あの人は。


 しばらく抱きしめたままいると、やがて喜奈が泣き止んだ。


「……もう、抱きしめなくてもいいか?」


 すると喜奈が俺をぎゅっと強く抱きしめる。


「……もうちょっと」


「ああ、いつまででもいいぞ」


 そう言って、そっと喜奈の頭を撫でる。


「今まで辛い思いをさせてごめんな」


「……うん」


「喜奈の痛みに気付いてやれなくてごめんな」


「……うん」


「兄ちゃんらしいことが出来なくてごめんな」


「……うん」


 また喜奈が泣き出した。2度泣きだ。


「ねぇお兄、……私って…本当に…治るの?」


「ああ。兄ちゃんはな、喜奈と喜奈のためにこの街を守るって決めたんだ。だから絶対に治るよ」


「……信じていい? ていうかもう信じてるからね」


「そう言ってもらえると兄として頑張れそうだよ」


「じゃあ、任せ、る……ね」


 喜奈の意識がなくなった。どうやら疲れて眠ってしまったようだ。


 今まで本当に辛かったのだろう。学校でも家でもどこにいても喜奈は一人で闘っていた。まるで茉莉と同じように。


もう一人で闘う必要なんてないんだ。


今日からは兄ちゃんが一緒に【怪奇現症】と闘ってやる。


だから今日はもう、ゆっくりと休んでくれ……。 

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