第19話 人生の楽しさ


「結局さ、茉莉ちゃんは中学の時から二人いたってこと?」


「春さんが言っていた通り、中学の頃の私はいじめられていました。もともと私と気が合う人がいなくて、単に私だけ浮いていたんですよ。こんな性格なんで。

 ある日のホームルームで多数決になった時に、私だけ少数派に手をあげて主張したら、周りから、冷凍ビームかってくらい冷たい目で見られて……。その日の放課後にクラスの数人から女子にトイレに呼び出されて、嫌味や妬みを言われて……それがいじめのキックオフでした。


 もちろんその時の私は言い返しました。トイレで激しく言い争いをしました。最初はその子たち全員まとめて東京湾に沈めてやろうって思っていたんですけど。結局悪いのは自分だから、自分が変わらないとって思ったんです。


 1ヶ月くらいは反抗していたんですけど、だんだんと抗う気力も無くなって、2ヶ月経ったあたりでとうとう反抗する心が折れましたね。そしていじめはだんだんとエスカレートしていきます」


 茉莉は辛辣な顔つきでたんたんと話を続ける。


「でも多数決の多数派が必ずしも正しいとは限らないじゃないですか! だから私は私が思った通りの支持をしました。そしたらもうサンドバッグのように袋叩きですよ」


 そう話す茉莉は笑顔を見せた。


 彼女は自分自身の過去の辛いエピソードを笑い話に変えてみせた。自分の過去を打ち明けた友達ができて成長し、強くなったのだろう。


 たしかに多数決というのは必ずしも多数派が正しいとは限らない。つまり多数決に正解はない。多数になった方が必ずしも正しいとは限らないのだ。


 だからみんな同調圧力によって手の上がりそうな方を支持する。いや支持するかのように調していく。その方が話し合いをせず楽に済むから。周囲から目の敵にされないから。


 だが茉莉は自分の主張を曲げなかった。


『私はこうだから』『私はこう思っているから』と。だから彼女は標的にされた。


「カッコいいじゃん。その状況で自分を貫けるやつなんて今時なかなかいないだろ。茉莉が美術部の後輩で誇りに思うぜ」


 強気な茉莉だったが、目線を遠い方に向けて少し動揺を隠している様子。

「え、な、なんですか急に褒め過ぎなんですけど……。別に私、春さんのことまだ何とも思っていませんので……」

 

「まだ?」


「あっ、い、今のは言葉の綾ですよ。どれだけ女の子に対して失礼なんですか。もっと紳士になってくださいよ、まったく」


「意味がわからないんだけど……」


「先輩のくせにそれくらい自分で考えてよ」


 俺は首をかしげた。


「今さらになって何を考える必要があるんだ? も、もしかしてお前3人目の茉莉か」


 茉莉が『はぁ』とため息をついたあと、大きく深呼吸をする。


「私を一人の女として見ろって意味ですよ」


 茉莉が頬を赤く染めながら目を逸らしてそう言った。


「春はほんとにそういうところ鈍いよね。大丈夫だよ、茉莉ちゃん。僕がいるから」


 話を理解出来ない俺に対して青が会話に参入してきた。


「すいません、青さんは優しくてとても頼りになるんですけれど、私『もやし』には興味ないんですよね……」


 その言葉を聞いた青が春の方を見る。


「……もやし」


 今まで築いてきた茉莉との信頼が崩れるかのように青が膝から崩れ落ちた。どうやらしばらく立ち上がりそうにない。顔から血の気が引いて青だけに青ざめている。

かなりショックを受けたのだろう。


 あの宇都宮青を言葉だけでノックダウンさせるとは、白山茉莉、恐るべし。


「ところで茉莉はどうして『一番大切なもの』を塗りつぶしたりなんかしたんだ?」


「実を言うとあの絵を塗りつぶしたのは私なんです」


「えっ?」


「いじめられたことで学校に行けなくなった私が願った理想の自分。その気持ちが生み出したもう一人の茉莉は、私に無いものが揃ったとても良い子でした。でもそのせいで私のバランスは崩れました、嫌なことがあったら全てもう一人の茉莉に託してたんです。 これじゃ何も変わらないと思った私は二人と仲良くなっていくもう一人の茉莉を見て、自分の居場所が奪われていくような気がしたんです……」


 茉莉が生み出したもう一人の茉莉が本物になろうとしていた。


 茉莉は地面を見ながら話を続ける。


「このままもう一人の私が友達をたくさん作って卒業して大学でも友達をたくさん作ってそしていい人と出会って結婚して幸せになるんだなーって。……いじめを解決するために生まれたもう一人の私は、私をいじめから解放させてくれたけど、その代償として私の未来を奪い、虚しい気持ちだけが残りました」


「なんだか……切ない」


「結局はいじめから逃げただけで根本の原因は何も解決していなかったんですよね……。そしてもう一人の私が『一番大切なもの』という絵を描いて……その絵を見た私は自分が許せなくなりました。こんなのは本当の『一番大切なもの』なんかじゃないと、これ以上偽物の関係を作られるくらいなら……いっそ壊してやると。そんな思いが重なっての行動でした」


茉莉が深々と頭を下げた。



茉莉は長い間、自分と戦っていたんだろう。もう一人に学校に行ってもらえば辛い思いをせずに済む。そして上部だけであっても友達がたくさんできるし、周囲からは慕われる。


でもその現状に自分で抗っていた。

本当の自分か偽りの自分かで……。

茨の道か平穏な道かで……。

彼女は彼女なりに必死に答えを探して生きていた。そしてようやく答えを出した……。茨の道に進むと。



「なぁ、茉莉」


 今だに聞き慣れないのか茉莉がピクリと反応して頬を赤く染める。


「……な、なんですか? 告白ならお断りですよ」


「するかよ」


 茉莉が少し残念そうに『はぁ』とため息をついた。


「それで……なんですか?」


「……人生の楽しさってなんだと思う?」


 暗くなった公園で空を見上げると星たちが綺麗に輝いている。そんな星空をぐるりと見回してから茉莉が答える。


「人生の楽しさ……難しいですね。少なくとも私は見つけられていませんね……。

こんなにたくさんある星の中からも、まだ何も……」


 それを聞いた俺も同じくして夜空を見上げた。


「……茉莉を見てて思ったんだけどさ、人生ってだろ? ……だから楽しいんじゃないかな」


「……言ってる意味がわかりませんが……」


「例えば茉莉がゲームをするとして最初からレベル99の最強装備で最強スキルで無双していったら楽しいと思うか?」


「最初は楽しいって思うかもしれないですね。すぐ飽きそうですけど……」


「それだよ。人生もそれと一緒だと思うんだ。世の中のあらゆる物事が自分の思い通りに行ったとしても、楽しいと思うのは最初だけだろ?」


「……そうかも」


「思い通りに行かない。上手くいかない……だからこそ、どうすれば上手く行くのかを考えて勉強したり練習したりする。そうやって夢中になっていく過程が楽しいし上手く行った時の達成感なんて最高だと思わないか?」


「……確かにそうですね。私も少しは人生の楽しさが、わかった気がします。もう一人の私がいなくなって少し寂しいけど、2人も友達が出来たことだし明日学校に行くのがちょっぴり楽しみになりました、二人のおかげで」


(初めて会った時、財布じゃなくて私を盗んでくれればよかったのに)


「ごめん、最後の方聞き取れなかった、なんて言ったんだ?」


 茉莉の目つきが一瞬で変わった。


「明日がちょっとだけ楽しみって言ったんですよ」


(ばーか)


 ちょっぴり楽しみと言いつつも表情は満面の笑みだ。茉莉はこんな顔も出来る。


 茉莉はいじめられていた時の自分を克服しようとしている。少しずつだが確実に前に進んでいる。


 なんだか少しだけだが明日が楽しみになってきた。




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