第10話 お悩みガール

 勢いよく廊下を駆け抜け廃れた部室のドアを開けた。

 中に入ると、部室の真ん中で膝から崩れたかのように座り込み、両手で顔を抑えている白山がいた。


「おい白山……いったい何が……!」




 俺が立ち尽くした視線の先……そこには白山が入部審査で描いた作品『一番大切なもの』が暗色の絵の具で無残にも無差別に塗りつぶされていた。

 

 驚きのあまり声が出せなかった。そして白山の小さくてか弱い泣き声と鼻を啜る音だけが静かな美術室に響き渡る。

 

 何か白山を元気付ける方法は……。俺はどうすれば良いのか何をすればいいのか全くわからなかった。

 

 そして勢いよく青の両肩を掴んだ。


「おい青、なにがあったんだ」


「……わからないんだ。僕が部室に来た時にはすでに茉莉ちゃんが泣いていた」

「……くっ」


 青の両肩を掴んでいた手を離し現状を整理するために思考を巡らせた。


 放課後、おそらく白山が部室の鍵を持って美術室に入室した。そこで無差別に塗り潰された自分の絵を発見して泣き崩れる。

 つまり第一発見者は白山茉莉。


 そこで部室にやってきた青がその光景をみて驚いた。そして何があったかを白山に直接聞いた。そして白山をそのままにして俺を探しに学校中を走り回った。といったところか……。


 考えられる中で一番可能性が高いのは……『いじめ』だろうか。




「なあ白山、だれにやられたか心当たりはあるか?」


 白山は制服の袖で涙を拭い小さく鼻を啜った。


「……わかりません」


 心当たりはないのだろう。

 それからしばらく沈黙が続いた。


「……白山、今日はもう帰れ。このままここに残っていても何も解決しない。あとは俺に任せてくれないか。それと青には白山を家まで送り届けて欲しいんだけど頼めるか?」

「……うん、わかったよ。春はどうするの?」

 

 青は少し残念そうに俯きながら言った。


「俺はこの場をもう少し調べて顧問に報告しにいく。まだ何か手がかりがあるかもしれない。それと作品を壊されたときのクリエイターの気持ちは俺が誰よりも知っているつもりだ。だから絶対に犯人は見つけ出す」


「わかったよ。じゃあ一応気をつけてね」


 青は泣き崩れた白山を介抱しつつ荷物の整理をして二人で部室を出て行った。


 一人残された部室で思考が彷徨っている。

 可哀想だとか憐れむような感情はないのだけれど、まるで自分の絵がぐちゃぐちゃにされたような、まさに他人事ではない憤りを感じた。


 その時ふと思ったことがあった。これは推測だが白山がここに来た時、すでに部室の鍵は空いていたとしたら……。そうであれば美術部の部室の鍵を借りたやつが犯人に限りなく近づく。


 念のため部室の状況をスマホのカメラで撮影し職員室へと向かった。


 仮にこれがいじめだと仮定しても俺は白山がいじめられるようには見えない。


 


「失礼します。部室の鍵を返しに来ました」


 職員室につくなり鍵を緑色の鍵受けにかけ貸出名簿を見る。……美術室、美術室。

 ん? 

 どうやら今日借りたのは白山。昨日借りたのが宇都宮。

 これだとなんの手がかりにもならない。犯人からすれば、わざわざそんな証拠は残さないのが当然だろう……やれやれだ。


「すいません。今日って美術部の顧問の倉橋先生っていますか? ちょっと伝えておきたいことがあるんですけど」


 とりあえず誰でもよかったので近くにいた先生に声をかけた。


「倉橋先生なら今週はもう出てこないよ、出張に行ってるから」


こんなときに出張か。ほんとに神出鬼没だなあの先生は。


「わかりました。失礼します」


 職員室からでて玄関に行き靴を履き替えた。とりあえず青に連絡するか。

 白山を家まで送り届けた頃だろうか……。


 まだ運動部の掛け声が聞こえてくる。夕暮れで赤く染まった校舎を背に、ふらふらとした足で校門を抜けてから青に電話をかけた。


「白山を無事に送り届けたか?」


『うん。今ちょうど送り届けたところだよ。そっちは?』


「……正直なにもわからん。倉橋先生も今週は出張でいないらしいからな……。神出鬼没だよ、あの先生は」


『そっか、なら明日また学校で話そう』


 電話越しの青が少し急いでいるような雰囲気でそう言った。

 青の『明日また話そう』が少し気になったが、気付いた時にはすでに電話が切られていた。


 ま、明日か……。



 夕暮れで赤暗く染まった校門を出てすぐ、スマホの時計を確認すると18時30分であることがわかった。もうこんな時間だったか。




「あ、春ちゃん」


 ……俺は短時間で思考を巡らせ脳をフル回転させる。

 右から来るか左から来るか……。

 そして全神経を集中させた俺の脳が出した結論は『時計回りに振り向く』だった。


「ここだよ」


 耳元で囁かれたその言葉とともに、俺の敗北が決まった。


「……なんで時計回りに振り向くってわかったんだ?」

「今までの全てが本当の布石だったんだよ」


 今までの全てが布石だと……もはや軍師レベルではない、軍神だ。


「お前は本当に未来でも見えているのかよ」

「春ちゃん、残念だけどもしここがスラム街だったら既に200万くらい盗まれてるよ。お姉さんはそんな春ちゃんが心配だ」


「残念だけどここはスラム街じゃありません」

「おやおや、ここがスラム街じゃないってどうして証明できるの?」


 相変わらず上目遣いで詰め寄ってくる羽流。


「……ここは日本だ。そして四木高校の目の前だ。俺は今日、日本人の先生から日本語で現代文つまり日本語の授業を受けていた。……そしてなにより俺は生まれ育ったここが日本だと信じている。」

「成長しているね。合格だよ、春ちゃん」

「……はぁ。なに合格ってこれ試験なの?」


「そんなことより今帰りだよね? 一緒に帰ろっか」

「まあいいけど」


 いいとは言ったものの羽流とは最近よく会う。ついこの間までは帰宅時間が全く合わなかったのだけれど……。


 おそらく白山が美術部に入部したことで帰宅時間が遅くなったからだろう。


「ところで春ちゃん、【お悩みがある】って早口で言うと【お悩みガール】になるんだよ」


「お悩みガアル……それで?」


 羽流がキリッとした目つきでこちらを睨む。


「それだけだよ。文句ある?」

「……いや、いつもならこの展開から羽流の微妙な雑学を聞かされるのかと少し期待していたんだけど……」


 羽流が「期待」と言う言葉を耳にした瞬間、キリッとした目つきから微笑みが蘇った。


「なら期待に応えようか。――もし【お悩みガール】が目の前にいるとしたら、春ちゃんならどうする?」

「お悩みガールって直訳するけど、悩みがある女の子って意味でいいんだよな?」


 羽流がおおきく振りかぶって勢いよく右手の親指を突き立てて言った。


「……正解!」


 なんなんだよ、その動作。


「……まあ、悩みを聞くだろうな」


「じゃあ、もしそれが誰にも言えない悩みだったとしたら?」

「多分無理には聞かない。誰にも言えないって事は何かしらの理由があるからだろ? それに聞いて欲しいなら自分から言うと思う」


 それを聞いた羽流がゆっくりと下を向いた。


「でもガールっていうのは、それでも聞いて欲しいと思っているものなんだよ。結局のところ一人で抱え込むことが一番辛いんだけどね。悩みって誰かに話すだけでもだいぶ心が軽くなるから」


「……確かにその通りだと思うけど、羽流に言われても説得力が皆無なんだが……。だって悩みとか無いだろ、お前」


 眉間にシワを寄せてムスッとした表情を見せる羽流。


「そんなことないよ。吹奏楽部では【お悩みが羽流】とも呼ばれているからね」


 ……吹奏楽部の闇を聞いた気がする。


「お悩みが羽流って、全ての悩みの元凶は羽流ですって自分で言ってるようなもんだろ」


 羽流が両手を叩きながら楽しそうに笑った。


「あっはっはー、確かにそうだね」


 しばらく歩き、周りの風景も変わってきたところで俺は話題を変えた。


「――ところで今日なんだけど……」

「え何、真剣な顔で。もしかしてお悩みボーイ? 全然聞くよ、むしろ話して、お願い」


 本当に調子が狂う。


「美術部に入部した女の子の事、覚えているよな?」


「あの小さくて可愛い子ね。この前廊下で見かけたよ」

「……いじめられているような気がするんだ」


「……クラスの友達とは楽しそうに話していたし、そんな風には見えなかったけど何かあったの?」


「実はこの前、入部審査として、1週間かけて彼女に絵を描いてもらったんだけど、今日

の放課後、美術室に行った時に彼女が描いた絵が暗色の絵の具で塗り潰されていたんだ」


「えっ! ……それでその子は?」


「その場で泣き崩れていたよ。俺はどうしても犯人が許せないんだ。白山が一生懸命に描いた絵をあんな風にする犯人が……」


「そんなことがあったんだ……。彼女、白山ちゃんはなにか言ってた?」

「犯人には心当たりがないって。それ以外は何も。かなりショックを受けていたから今日は家まで帰らせたんだけど、羽流も何かわかったら教えてくれないか?」


「うん、できることなら協力するよ。でも春ちゃん、確かにいじめの可能性は高いけど、いじめって決めつけるのは良くないよ。他の可能性だって十分にあり得るからね……」


 他の可能性か……。

 十字路に差し掛かり羽流が足を止めた。


「じゃあ私こっちだから。あ、それとさっきの質問」

「さっきの質問?」


「お悩みガールの話。――私の答えは誰にも言えない悩みを抱えていたとしても、自分が助けたいと思った相手なら相手が嫌がってでも悩みを聞くだからね。またね春ちゃん」


 コツコツと足音を立てながら帰っていった。

 

 無理にでも悩みを聞くってことか……。

 おそらく相手の気持ちを尊重することも大事なのだけれど、それと同じかそれ以上に自分の気持ちを尊重することが大事ってことか。


 ……なんだかんだ深いところに着地したな。


 流石だよ。

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