第8話 白山茉莉の問い

 

 人の声だけが忘れられない……。


 恐ろしい病気な気がする。でも白衣の先生が『時間と共に解消する』と言っている以上、恐らく大丈夫なのだろう。


 喜奈がスマホを操作しながら話を続ける。


「私天才だからね。それに比べて詩那しなは前回のテスト危なかったみたい。一問だけ答えに辿り着けなくて山勘で当たったとか言ってたし……」


「それでも5教科満点は驚きだな……」


 喜奈が眺めていたスマホを机に置いて真剣な表情に変わった。


「でも正直これ以上詩那には頑張って欲しくないんだよね。私と詩那って仲良いじゃん? でもライバルでもある訳だし詩那がどうしても負けられないって物凄く必死に勉強してるの。そんな詩那を見ていられないんだよね。私は詩那といろんなところに行って遊んだりしたいだけなんだけど、周りが期待するプレッシャーと負けられないプライドがあるから、詩那は辛い思いをしてまで頑張るんだと思うの」


 親友の事だからか珍しく熱弁する喜奈。


「そこまで頑張れるのは良いことなのでは……」


「頑張るのは良いことだけど頑張りすぎるのはあくだよ……。本当の悪はそういう期待を持たせる周りなのかもしれないけれどね。だから私、今度のテストでわざと間違えようと思っているの。もちろんこれは企業秘密だからお兄との会話は必然的に極秘の家族会議になったわけだから。……兄妹だけの禁断の家族会議」


 そう言って俺の顔を見つめる喜奈。

 相変わらず喜奈の瞳は綺麗だが……。


「変な言い回しをするなよ。最後だけ切り抜いたら変態兄妹みたいじゃないか……」


「……まあそうゆうことなんで。もしたまたま詩那に会っても言わないでよね」


 そう言って喜奈が食べ終わったお皿を台所に持っていった。


「……それ、ずるくね?」

 

 喜奈が振り向き無言でニコッと笑顔を見せた。


 ……それもずるくね?


「お兄、先にお風呂入るね」


 どうやら後片付けは兄の役目らしい。

 やれやれだ。少し固まったカレーの汚れを落とすため、洗い物は早めにやっつけようじゃないか。



 翌日放課後


 青の提案により白山が描いた絵は美術室に飾られる事になったのだけれど飾る場所が決まっておらず、イーゼルというデッサン用の台に置きっぱなしになっていた。


 そして部活を終えた俺たち3人は部室の消灯と施錠をしてから夕焼けの帰り道へと飛び出した。

 白山はいつも楽しそうに部活をしている。


 感情というものは伝染するのだ。泣いている人を見ると悲しくなる、笑い声を聞くと笑えてくる。

 そして楽しんでいる人を間近で見ているとこうも部活が楽しくなるのか……。

 白山から大切なことを学んだ気がする。


「なぁ、ジュージャンしようぜ」

「……ジュージャンて何ですか?」


 素っ頓狂な顔で質問する白山。


「ジュースじゃんけんの事だよ。じゃんけんで負けた人が勝った人にジュースをご馳走する。僕は乗ったよ、こういうのは言い出しっぺが負けるって相場が決まってるからね」


 青が自販機の目の前で白山に説明した。


「いいですね負けませんよ」


 そして『最初はグー』の掛け声とともにじゃんけんをした結果、案の定言い出しっぺの俺が負けてしまった。


 本当に相場は決まっているのかもしれない……。


「じゃあ青からな、どれだ?」


「じゃあ青にちなんでブルーハワイで」

「ねーよ、そんなもん。かき氷か」


 ニヤニヤとしている青に判断を委ねるとブルーマウンテンのボタンを押した。


「次、白山は?」


 頬に手を当て悩んでいる白山。


「じゃあ私は……白ウーロン茶で」

「あーあの飲むだけで脂肪が燃焼するってやつか。……ってねーよそんなもん。逆に飲むと脂肪が付きそうな名前だろ」


 白山が「すいません」と楽しそうに笑いながら言って烏龍茶のボタンを押した。


 ……平和だ。


 現状を変えたく無い。そう思っていたのだけれど、いざ変化すると案外良いところもある。それでも退屈で平凡に過ごしているつもりだが、白山がいる事でまるで全ての背景色が変わったみたいだ。


 俺たちはジュースを飲み終え再び帰路についた。

 青と白山、3人で話す他愛無い会話が今までと違って新鮮だと感じていた。



「私、青春してるなって感じです」

「なんだよ急に」





 ――分岐路に差し掛かり白山がピタっと歩く足を止めた。まだ4月からなのか辺りはすっかり暗くなっている。


「……もし私がいなくなったら二人はどう思いますか?」


 俺は白山の言葉の真相が理解できなかった。

 理解できなかったからこそ、素直に思ったことが声となって発せられた。


「……寂しいだろ」


 俺がそう言い放った言葉に対して一番驚いていた表情を見せたのは青だった。

 そして青がそれに続くように言う。


「確かに寂しいよね。だって美術部がまた二人になるじゃん?」


 白山が俯いて少しの間、黙り込む。


「……二人に出会えて良かったです。じゃあ私はこっちなんで」


 白山は分岐路を右に曲がった後、俺たちの方に振り返って軽くお辞儀をした。


「茉莉ちゃん、よかったら家まで送ろうか?」

「いえ、ひとりで帰れるので大丈夫です」


 青の優しさを軽く吹き飛ばす白山。


「気をつけて帰れよ」

「任せてください。」


 そうして俺と青は白山の背中が闇夜の中に消えるまで見送った後、二人で静観した夜の街を横目に歩き出した。


「ねえ春、茉莉ちゃんいい子だね」

「ん、そうだな。もしかして惚れたか?」


「や、そうじゃなくてさ。ちょっといい子過ぎるというかね……」


 青が思っている事はなんとなく俺も感じていた。俺たちと歳が近いにしては真面目というか大人過ぎる。いずれにしろ不確かで、どこかふわふわした様な気持ちだ。


「それは俺も思っていた。白山からは何か違う、引っかかる感じがする。そして時折寂しげな表情を浮かべている……そんな気がする」

「ほんとよく見ているよね、春は」


 青が何かを考えるように空を見上げている。

 白山の事がものすごく気がかりだ。 


「なあ青、他人の過去を探るなんてどうかと思うかもしれないが、白山のこと調べてくれないか?」


 青は見上げていた空から俺の方へと視線を動かし意外そうな表情を見せる。


「らしくないね、他人に関わるなんて……」


 他人……もしそう割り切れているなら過去を知りたいだなんて思わない。俺が白山の事を知りたいと思う感情はなんなんだろうか……。気になる、放って置けない。好奇心なのだろうか……。




「他人じゃないだろ……」



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