第7話 喜奈の秘密

 白山が絵を描き始めてから1週間が過ぎた。


「それでは第一回入部挑戦者、白山茉莉ちゃんの作品です。タイトル【一番大切なもの】どうぞ!」

白い布で覆われたキャンバスに額縁が形取って置いてある。そして白い布をゆるりと青がめくった。



 そこに映るのは白山の家族が小さな食卓を囲む食事風景、小さな弟たちもみんな笑顔で楽しそうにご飯を食べている。

 絵に光が直接差しているわけではないが眩しいと思えるような笑顔の輝き、そこには亡くなったと聞いた白山のお父さんの姿も写っていた。


 暖かい絵だ。息を呑むのも忘れるぐらい魅入ってしまう。白山の一番大切なもの、それは『家族』だった。


 筆のタッチなどはまだまだ荒っぽい部分もあるが、この絵に込めた彼女の熱が伝わってくる。


「そっちで来たか……」


 お金でもなく愛でもなく……絆。

 俺の言葉に少し驚いた表情の白山が思わず声を漏らした。


「えっ?」


「タッチとか影の描写はまだまだ荒削りだけど、この絵からは幸せに対して強い思いが伝わってくる。まぁ荒削りとは言ったがその分伸び代もある。これだけの絵が描けるのに美術部で絵を描けないなんてもったないと思っただけだよ。ただ忘れないで欲しいのは絵が上手いと褒めた訳じゃなくて絵が好きだという情熱に対して称賛しているだけだからな」


 つまり合格である。


 それを聞いてフォローをしてくれていた青に白山が飛び跳ねながらハイタッチを要求する。


「やった、宇都宮さん私やりました」


 青がハイタッチに応じてから白山に声をかける。


「入部おめでと。それとこれからは同じ部員なんだから青でいいよ」


 こくりと頷いた白山。


「じゃあ美術部としての正式な活動は明日ってことで今日は解散するか」


「え、もう解散するんですか?」


 白山が少し不満そうな顔で俺を見つめる。

 もっと絵を描きたいのだろう。


「これも一種の部活動改革だよ。美術部の活動方針はやるときはやる、やらない時は早めに切り上げるだからね。

 美術部の活動は主に創作だから長い時間を費やせばいいって事でもなくて、創作のモチベーションが高い時や集中できる時に集中してやる事が大事なんだよ。それ以外の時間に英気を養う。的なことを春が言ってたね」


 やっぱり流行ってるのか部活動改革……。


「アスリート選手だって技術的な練習は1日に数時間しかしない。それ以外は体力トレーニングや本を読んだり体を休めたりしている。そうすることで1日に数時間しかしない技術練習をとても濃密な時間にするんだ」


 と、いかにもカッコいいことを言ったものの、それはただの詭弁であって、本当のところは早く帰りたいだけなのだ。


「じゃ帰ろうぜ」


 美術室の片付けを終えて消灯と施錠をして校門をくぐった。


「そう言えばみんな帰り道が一緒な方向だね」


「ほんとですね。なんかこういうのって青春って感じでいいですね」


 夕暮れの校舎を背景に白山が目を輝かせながら言った。『青春』と……。

 白山は部活にも随分と慣れた感じで楽しそうだけれど、入学式の日や初めて部室に来た時とは少し雰囲気が違う。


 違うと言うよりは真面目になった気がする。

 まるでバラから棘がなくなったように。棘がなくなりただ美しいだけの存在になったかのように。

 高校生になって自分の立場を自覚したのだろうか、彼女は成長したのだろうか……。




「ただいま」

「あ、おかえりお兄」


 家に着くと喜奈が出迎えてくれた。


「なんだ喜奈、帰ってたのか」


「まぁね。今日はお父さんもお母さんも旅行でいないから。非常に残念なことに、お兄と二人きりだよ。せっかく詩那しなと遊ぶ予定もキャンセルしたんだからね」


「あー確か、お前の友達の若宮だっけ?」


「あれ、苗字まで言ってたっけ? ……そういえば言ってたね」


 自分から質問をした喜奈が、自分で答えに辿り着いた。まさに自問自答だ。


「なんだよ。今の間は」


 喜奈が右手の人差し指を頬に当てて天井を見ながら首をかしげる。


「私、記憶力いいからね。てか良過ぎるから思い出したの。……それよりご飯出来てるから早く上がってよ」


 脱いだ靴をそのままにしリビングへと向かった。向かう途中でリビングからわずかに漏れるその匂いが奏でる旋律に反応しない訳にはいかない。


 今日はカレーだ。


「スプーンは自分でとってよね」


 喜奈がカレーを器に盛り付けている。

 ほんと俺と違って出来た妹だ。


「なぁ、他になんか手伝えることない?」


「お兄にいいこと教えてあげる。仕事っていつまでも与えてもらえると思っていたら大間違いだからね。自分からやるべきことを見つけるのが仕事だよ」


 ……は?


 準備を済ませ二人して椅子に座った。


「いただきます」


 甘口であること以外は、どこにでもある普通のカレーだ。

 今成家は全員辛いものが苦手だ。苦手というよりは辛い食べ物の美味しさがわからない。よくグルメ番組で辛いものを食べている映像が目に入り込むが、辛い食べ物のどこに旨味があるのだろうか。

 むしろ辛さが食材そのものの旨味を消しているのではないだろうか。そして極め付けは副作用。副作用と大袈裟な言葉を使ったのだが、副作用と言えるほど被害は甚大である。異常なまでの汗、口の中の痛み、腹痛、締めのトイレ。あれを修行と呼ばずして何を修行と呼べるのだろうか……。


「ねぇお兄、何考えてるの?」


 唐突な喜奈の質問。


「強くなるためにはどうすればいいのかを考えてた」


「何それ。もしかして厨二病? 高校2年生にもなって高二病だね、へへっ」


 そう言って喜奈が笑った。喜奈の笑顔はいい。

 去年の冬あたりから俺に対してのあたりが多少は強くなったが、本質はとても優しくて兄である俺よりしっかりしている。そしてなにより家族想いだ。


「そういえば今日、美術部に新しく新入部員が入ったんだよ」


 喜奈が口に運ぼうとしていたスプーンを止めて皿の上に戻した。


「美術部って青さんと二人だけのあの美術部のこと?」

「あぁ、その美術部のこと」


「ふーん。その人って男? それとも女?」

「喜奈より身長が低くて茶髪でショートの女の子だな」


 喜奈が少し寂しそうに「そうなんだ」と言って皿に戻したスプーンを再び口まで運ぶ。俺に後輩ができた事がそんなに嫌なのか。


「入学式の日に道端で財布を拾ったんだ。そしたら『この泥棒がぁ!』って言いながら勢いよくその子が走ってきて渾身のドロップキックを喰らっちゃってな。もちろん俺は吹っ飛んだよ。今思えば最悪の出会い方だったと思う」


 喜奈は俺の話に興味なさそうに「そうなんだ」と言ってカレーを食べ続けている。


「それで絵を描いてもらったんだけど、反省すべき点はたくさんあるけど絵からは圧倒されるような迫力と暖かさがあって良かったんだよな」


 喜奈がとても興味無さそうに聞いている。


「そうなんだ」


「……もしかして喜奈はゲームに出てくるNPCになったのか? さっきから同じ言葉しか返してないけど」


「NPCってなに?」


 喜奈が不貞腐れた顔で俺を眺めている。


「RPGとかに登場する操作できないキャラクターのことらしい。コンピューターが操作しているから、どんな質問をしても同じ答えしか返ってこないんだってさ。青が言ってた」

「青さんってそういうの詳しいよね」


 カレーを食べ切った様子で両手を上げて軽く伸びをしている。


「つまりお兄にもようやく青さん以外の友達ができたって事だね」


「それより喜奈も中学3年生だろ、新しいクラスはどうなんだ?」

 

 喜奈はスマホを操作しながら俺の話を聞いている。


「普通だよ。今年も詩那と同じクラスだったけど、それ以外のトピックスは皆無だっねー」

「てことは若宮とは3年連続同じクラスってことか?」


「そうなるね。海星かいせい中学のツートップが3年連続同じクラスで学校中大騒ぎだったよ。それくらいしか話題がないのかねー……」


 海星中の最強ツートップ。若宮詩那と今成喜奈。この二人のなにが最強なのか、どこが最強なのか……。

 

 それは圧倒的な学力である。


 中学一年の時から満点以外とった事がない規格外の天才二人。そして俺の妹。

 どこで俺たち兄妹にこれほどの差が出たのかタイムリープして昔の自分に喝をいれたいと常日頃から思う。


「喜奈っていつそんなに勉強してるんだよ。その学力をお兄ちゃんにも分けてくれないか? 半分とは言わないぞ、5分の1でいい」


 喜奈はスマホを両手で触りながら呆れた顔で答える。


「お兄、学力を分けてくれって言ってる時点でバカ丸出しだよ」


「ぐっ……」


「でも……なんて言うんだろ。……私の場合一度聞いたことは基本忘れないからね。正確に言えば忘れられないが正しいのかな……」


 さっきまでの呆れ返った表情とは打って変わってシリアスな横顔が垣間見える。


「忘れられない?」


「うん、私も少し前に悩んでいて先生に相談したら『今度詳しい先生を紹介するから診てもらいなさい』って言われてさ、次の日に別の学校から白衣を着た女の先生が来て、その人に言われたの」


「……なんて?」


「『悩むことはない、時間と共に解消するよ』ってそれで後でネットで調べようと思って症状の名前も聞こうとしたんだけど、その先生は『用事があるからまた今度ゆっくり話をしよう』って言ってどこかにいっちゃったの……」


 天才だと思っていた妹は何かの病気だったって事か……?

 よく一瞬しか見てない映像なのにまるで写真のように脳に記憶されていたりする瞬間記憶なんとかみたいな一種の超能力みたいなやつか……。


「一度聞いたこと……それって音楽とか雑音とか全ての音が忘れないのか?」


「ううん、私が忘れられないのは人の声だけ」



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