第6話 片頭痛

 翌日の放課後、俺は机上の片付けをしてから教室を出て職員室に向かっている。

 職員室で貸出名簿に名前を記入して美術室の鍵を借りる。そして校舎の外を眺めながら美術室に向かうイブニングルーティン。


 白山には入部審査と言ったものの何を基準に審査しよう悩んでいる。

 お題は確か……『一番大切なもの』

 

 この際、絵の技術ではなく評価のポイントをタイトルにしてみるか……。


『この世で一番大切なもの? お金に決まってるじゃないですか』白山はそんな人間臭い事を平然と言いかねない器だ。

 仮に男女を描いてきて『一番大切なのは愛ですよ』と言ってきたとしたら……これは際どいがお金の方がまだ人間味があっていい。


 ……悩む。


 職員室から拝借した鍵を開け古びたドアをスライドさせた。少しペンキの匂いが籠っている室内を換気するため窓も開けた。


 すると心地よい風が室内を巡回していく。

 あぁ、春だな。


「じゃあ白山さんはこの画材好きに使っていいからね。それと他にわからないことがあったらなんでも聞いて」


 体に纏わりつく心地よい風に身を委ねていると青と白山が一緒に部室へとやってきた。どうやら白山に部室の説明や道具の説明をしているみたいだ。


 白山も思いのほか楽しそうだ。俺の時とは明らかに態度が違う、表情も違う。笑顔がこぼれている。

 そして椅子に座り画材を丁寧に扱い、絵を描き始めようとする白山を見ていると雰囲気が変わった……。





 

 時計の長針と短針が数字の6に重なる。


「いい時間だし今日は終わろうか」


 青が終了の合図を出すと白山がようやく我に返り周囲を見回した。


「そうですね……帰りますか」


 そして白山がそそくさと画材の片付けを始める。

 強気な印象とは正反対な丁寧さ、繊細さに少し驚いた。


「そういえば白山って中学の時、何部だったんだ?」


 ふと思ったことを聞いたに過ぎない。

 白山の絵に対する集中力から察するに中学も美術部だったのだろう。俺はその答え合わせがしたかった。


「……っ」


 すると突然、白山がうつむいたまま頭を両手で抑え込んだ。

 そして頭を抱え込むように抑え出し心配になった俺と青は急いで白山のもとへと駆けつけた。


「おい白山、大丈夫か!?」


「……あーごめんなさい。片頭痛持ちなんですよね。別に心配しなくても大丈夫ですから」


 両手で頭を抑えている白山の腕の隙間から少し切ない表情が垣間見えた。

 だがそれよりも片頭痛とはあんな痛み方をするのだろうか……。



「あまり無理はするなよ……」


「……もう治りました! 自慢ですけど私、自然治癒のスキル高いんですよ。切り傷とかなら一日で治りますから」


 そこは『自慢じゃないけど』だろ。

 それにしても少し心配だ。強がりじゃなければいいんだが……。


「うっわー無反応……なんなんですかもう。私先に帰りますので」


 白山がなにやら急いだ様子で帰っていった。

 俺も手際よく片付けを済ませすると既に帰り支度を終えている青がドアの前で待っていた。


「僕たちも帰ろうか」

「だな」


 俺たちは部室の消灯と施錠をして薄暗くなった夕暮れの校舎へと姿を消した……。





 白山がデッサンを始めてから4日が過ぎた。


 白山の集中力は相変わらずで絵を描いている時は白山の周りだけ別の空間かのように空気が変わる。まさにゾーンに入っている。

 その光景を横目でチラチラと眺めている俺と青。

 すると白山が軽く両手を上げて伸びをした。


「……くぅうー」


 なんとも可愛らしい声だ。

 白山は先程までの集中力が途切れたようで、脱力感に苛まれたようにぼーっと自分が描いた絵を眺めている。


「どうしたの? 白山さん」


 と青が聞く。


「なんだか今日はもう疲れました。8割ほど仕上がっているので順調かなって」


「そっか、よかったら先に帰ってもいいんだよ。この時間まで活動するって感じの部活じゃないからね。【好きな時に好きなだけやる】が美術部のモットーだから」


「いいですよね、そういうの。では今日は先に帰らせてもらいます」


「うん、気をつけてね」


 そして白山は颯爽と片付けを済ませて美術室を後にした。


「白山さん、真面目だね」


「あぁ、真面目だな。……怖いくらいに」


「……どういうこと?」


「いや、俺のイメージというか今までの印象の白山と今日の白山が違う気がするんだ。まぁ気がするだけかもしれんけど」


「そうかな? 僕には一緒に見えるけど。真剣なんだよきっと」


 ただ真剣なだけか……確かにそうなのかもしれない。

 彼女の絵に対する熱意は本物だ。絵を描くことが本当に好きなんだろう。




 青を残して先に帰ることにした。


 美術室を出た後に窓から見える空の薄暗さで、意外と時間が過ぎていたことに気づく。

 ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、液晶に6時50分と表示されている。意外と長居していたみたいだ。


「あ、春ちゃん」


 玄関で靴を履き替えてドア開けたタイミングで聞き覚えのある声に呼び止められる。


 ……その手には乗らない。

 人間は失敗から学ぶ生き物なんだ。

 俺の名前を呼んだことを後悔させてやる。と意気込んだ俺は勢いよく反時計回りに振り返った……。


「ここだよ」


 振り返った方向とは逆方向から声が聞こえる。……またしてもやられた。


「どうして俺が反時計回りに振り向くってわかったんだ?」


「布石を打ったからね、この前」


 ……は? 相当の腕前の軍師だ。

 この前会った時に『必ず時計回りに振り向くから』と言ったのは今日この時に俺を反時計回りに振り向かせる布石だった? 未来が見えているんじゃないかとさえ思えてくる。尊敬を通り越してもはや怖いくらいだ。


「春ちゃん、今がもし戦国時代だったら200回は暗殺されてるよ」


 ……幼馴染だからなのか何も思わないが羽流は結構モテるらしい。吹奏楽部のマドンナとかなんとか青が言ってた気がする。

 毎回こんな変な言い回しを俺にするあたり恋愛面で損をしているんだろう。

 って童貞の俺が何言ってるんだよ。


「残念だけど今は2022年だから暗殺されません!」


「おやおや、今が2022年だって証明できるのかい?」


 上目遣いでの質問……。

 誰から構わず上目遣いを使うのかよ。


「ニュースを見てもカレンダーを見ても今は2022年だ。間違う理由がない」


 羽流ががっかりするように小さくため息をついた。


「じゃあ春ちゃんは、その目に見える情報を何を根拠に信じているの?」


「……根拠はない」


 ……根拠なんてない、日付は日付だ。

 そう決まっているからだ。歴代の偉人たちが作ってきた時代、刻んできた歴史を何一つを疑うことなく信じているからだ。


「だよね。でもその考え方は今の時代、少し危ないよ。今が2022年なのは事実だけど、何を根拠にそれを信じたのか。自分の考えを持たないと」


「何が言いたいんだ?」


「みんなが思っている以上に世の中の変化は激しいんだよ。もしかしたら戦国時代にタイムスリップするかもしれないし、異世界から誰かが転生してくるかもしれない。ありえないと思うかもしれないけど、可能性にゼロは無いんだよ。だからこそ、そう言った根拠のない【固定概念】は身を滅ぼすきっかけになるかもしれないよ」


「……おっしゃる通りだ」


「よろしい。――ところで今帰りだよね? 一緒に帰ろっか」


「別に、いいけど」


 校門をくぐり羽流と二人で歩き出した。

 すっかり辺りは真っ暗になっている。校舎を横目で見ていると美術室の電気はまだ付いている。どうやら青はまだ頑張っているようだ。


「そう言えば吹奏楽部って1年生は何人くらい入部したんだ?」


「えーっと、9人だったかな。私はその子たちの事、野球部の3軍って呼んでる」


「羽流の後輩じゃなくて良かったよ。その子たちが可哀想だ……」


「えへっ、冗談だよ。……ところで美術部にも1人、可愛い子が入部したらしいね」


 羽流がにんまりした顔で俺の顔を見つめている。


「あー、でもまだ体験入部なんだけどな」


「ふーん、どんな子なの?」


「入学式の日に水色の……っ」


「……水色の?」


 ……危なかった。

 幼馴染だから、お姉さん気質の包容力なのかはわからんが羽流といるとつい口が緩んでしまう。


「俺にもよくわからないんだ。強気で喧嘩っ早い性格のわりに真面目で几帳面な一面もあったり、言葉遣いも少し変わった気がする」


「それってもしかしたら……」


「……?」


「思春期なのかもしれないね」


「まあ、そういう歳だからな」


「ただ私が言えるのは、さっきも言った通り、固定概念に捉われたらダメだよ。目に見えるものだけが全てじゃないから、本質を見極めないとね」


「よくわからんけど……おっしゃる通りだな」


その後も羽流と他愛もない会話を続けながら、ようやく家に到着した。


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