第4話 突然の訪問者
「誰、今の女」
「ぅわっ!」
あたりも薄暗くなっていたためその声の人物を視認するため目を細めた。
「なんだ喜奈か。驚かすなよ」
喜奈は玄関の前に堂々と腕を組んで立ち塞がっている。
浮気された彼女みたいな事言いやがって。
「……ごめん。私にはお兄の安全を見守る義務があるから」
どんな義務だよ。それに妹に見守られるほど頼りない兄と思われているのは中々に遺憾だ。
「耳浦羽流って覚えているだろ?」
「なーんだ耳浦さんか。心配して損した、損して心配したよ」
……?
「なんか耳浦さんって私と同じ匂いがするんだよねー」
「そうか? 柔軟剤も違うと思うけど……」
喜奈が呆れ返った顔で俺を睨む。
妹に向けられる蔑むような目つきというものは全男性の憧れなのではないだろうかと喜奈の目を見ながら思っていた。
「お兄はバカか。――匂いっていうか雰囲気っていうか。あんまり上手くは言えないんだけど仲間みたいな感じ」
「……よくわからんけど。そういえば今日は部活ないのか?」
「今日は働き方改革ならぬ部活動改革で休み」
部活動改革……羽流も同じようなことを言っていた。確かにこの二人はつまらない意味で同じ境遇の仲間なのかも……。
〜 翌日〜
高校2年になってから2回目の朝を迎えた。
今まさに世間一般にいうブレイクタイムの真っ最中だ。
木製の椅子に軽く腰をかけ、机の上には食べ終わったパンのクズが散らかる皿が1枚、そして2枚と並ぶ。その横に置いてある白いマグカップの中には淹れたてのブラックコーヒー。
ゆらゆらと蒸気が立ち昇っていて、ほのかに漂ってくるコクのある深い香りが安らかな楽園へと誘う……あぁ。
「もう一眠りしようかな……」
「ダメでしょ」
喜奈が言った。
喜奈はセーラー服姿でとなりの椅子にはカバンが置いてある。すでに登校の準備は済ませており待機中だ。
「お前はほんとその歳でしっかりしてるよな。兄として誇りに思うよ」
すると喜奈が残り
「お兄がしっかりしていないから、私がしっかりしているんだよ。少しは大人の階段を昇ったらどうなの。もう少しは成長してよ」
……なにその『早く私のレベルまで上がってこい』みたいな顔。
俺だってもう高校2年生だ。もっと自覚のある行動を取るべきことくらいわかってる。でも家にいる時くらい甘えてもいいじゃないか。……と楽な方へと逃げてしまうのが俺の悪い癖だ。
この癖はそう簡単に治りそうにない……。
俺はニュースでも確認しようとポケットからスマホを取り出した。液晶に目をやると時刻が7時30分を示している。
「もう七時半だけど、出発しなくて大丈夫なのか?」
喜奈は振り返って壁にかけてある時計を確認した。
「うん、もう行くよ。ありがと」
喜奈は少し慌てた様子で部屋を飛び出して学校へと向かった。
その日の放課後、机上を整理して勉強道具をカバンに乱雑に放り込んだ俺は後ろの席で待っていた青と一緒に部室へと向かっていた。
50分の授業は長い。
人間の集中力は僅か数分だと言うのになぜそこまで長い時間をかけるんだ? 誰だって集中が続かず眠くなるに決まっている。 俺がもし時間割を決めるなら1教科に当てる時間は20分・10分休憩・20分で合計50分にする。
その方が確実にタイムパフォーマンスも上がり効率がいいんだ。
だが俺は思っていることを周囲には話さない。
それは自分が変な奴や変わり者という風に思われるからだ。現に俺は変わっている、おそらくこれからもクラスの連中とは馴染めないだろう。
だがそれでいいんだ。別に仲良くなる必要なんてない。俺は大人しく誰とも何とも関わらずにこの学校生活を終えたいんだ。
「そういえば春……今年って誰か入部するの?」
青からの不意の質問……。
カバンを肩にかけ俺の顔をじっくりと覗き込むように見ている。
「俺は何も聞いてないぞ? でも入部希望者無しって言葉を聞くと少し寂しいような……」
「あれだけ『誰もいない部活がいい』って言ってたのに。でも1年も僕たち二人だと寂しいかも。確かに退屈だもん美術部」
今時なかなか珍しい廃れた木の扉を職員室から借りた鍵で解錠し、横にスライドさせてようやく部室に到着する。
美術室が部室だ。ドアは古くなっているためスライドするのでさえ一苦労で重労働。
美術室の中は大きな6人用の横長のテーブル3台が部屋の真ん中に設置されていて、隅の方には一人用の机もある。壁には歴代の美術部員の作品が飾られているが正直どれをみてもあまりパッとしない。
棚の上には筆や雑巾、模型といった美術用品が煩雑に置かれている。これが今の美術室の現状だ。だがこれを整理しようとは思わない、この散らかり具合が丁度いい居心地を生み出している。
「さてと、この前の続き〜っと」
青が美術室の隅の方にちょこんと置かれている丸椅子に座る。
そして窓を背にして丁寧に画材を並べだした。
俺のいる方向からは何を描いているのかわからない角度で、作業しながらニヤニヤしている。
「この前からなんの絵を描いているんだ?」
「もしかして気になる?」
あれだけ絵を描きながらニヤニヤしていれば誰でも気になるだろ。
むしろずっと聞いて欲しかったんじゃないのか。
「で、どんな絵なんだ」
すると青が描いていた絵をゆっくりと反転させこちらに向ける。
ん?
なにか違和感がある、というよりかなり違和感がある。
そこに映るのはムンクの『叫び』を模写したかのような背景だ。ただ、それと違う違和感の正体は叫んでいる人間が白シャツにネクタイを締めたサラリーマンだったこと。
そして青が声のトーンを上げて自慢げに言った。
「名付けて【文句の叫び】」
「……反応に困るんだけど」
……青は絵が下手だ。
なぜ美術部に入部したかはわからないのだけれど人間には適材適所があるのだろう。青のIT技術やマーケティングの知識は先生すら顔負けのレベルなのだけれど絵に関して言えば小学生より質が悪い。
どうにか絵が上達する方法はないのだろうか。
無言で絵を見ていると青が自慢げに絵の説明を始めた。
「実はこれ、社畜のサラリーマンが日頃の上司の文句を川に向かって叫んでいるんだよ。……どうかな?」
「ならひとついい事教えといてやるよ。青が模写した作品はムンクって画家が描いた【叫び】ってタイトルの絵だ。決して【ムンクの叫び】ってタイトルではない。また一つ詰まらぬ事を学んでしまったな」
青が話の途中で口を開けたまま固まってしまった。
どうやらシステムエラーみたいだ。
そんな俺たちのやりとりを引き裂くように古びたドアが「ガコンッ」と勢いよくスライドした。
誰だよこんな勢いよくドアを開けるやつは。マッチョの入部希望者か? ここにトレーニング機材なんか置いてないぞ。
と思いつつドアの方に目をやる。
ドアの向こうにいるのは小人だった。
もとい、低身長のシルエットが夕日に重なり、ドカドカと室内に歩いてきてようやく気付く事ができた。
入学式の朝、学校まで道案内した女の子、白山茉莉だ。
「本日より入部希望の白山茉莉といいます。よろしくおね、が……あ!」
俺と青を見てびっくりしたのか俺たちに対して指を差した。
別に隠していたわけではないのだけど、なんだか見つかってしまった気分だ。
「あはは、どうも……」
俺は軽く頭をさすりながら答えた。
なんだか荒々しい展開になってきた。
勘弁してくれよ……。
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