Re:第百七十弐話

※新たに登場した武将達の史実紹介の回と致します。

そして、作者の小休止です。



【真田幸隆:西暦1513年生~1574年没。武田家に仕官して間もなく、信玄が攻略に失敗した信濃・戸石城を謀略だけで落としたとされる武田家随一の智将。】


【真田信綱:西暦1537年生~1575年没。幸隆の長男。幸隆の隠居後に家督を継ぎ各地を歴戦したが、長篠の戦いで織田家の鉄砲隊の攻撃で討死とか。】


【真田昌輝:生年不詳~西暦1575年没。幸隆の次男。信玄の駿河攻め以降、ほとんどの合戦に参加し武功をあげ、信玄が没した後も勝頼に従い長篠の戦いで兄と同じく鉄砲で撃たれ討死したとか。】


【真田昌幸:西暦1574年生~1611年没。幸隆の三男。武田家が滅んだ後、自ら大名と成り、持ち前の知略で周囲の大大名との戦いに耐えた。その後に秀吉が天下を取り、その秀吉に気に入られ関ヶ原の戦いでは徳川家の嫡男率いる大軍勢を僅かな兵力で翻弄し天下分け目の大事な大戦に遅参させた。】


【山内一豊:西暦1546年生~1605年没。律儀だけの男だが、戦での武功ではなく、人柄でけで一国一城の大名までに成った人物。有名な逸話が、信長の馬揃えの時に一豊の妻・千代が実家から貰い隠していた金子で、夫の為に名馬を買って夫の立身に一役買ったという話。】


【毛受勝照:生年不詳~西暦1583年没。柴田勝家に小姓頭として仕えた。信長死後、勝家と秀吉の賤ヶ岳合戦で勝家が敗れた際に勝家を逃がす為、犠牲となったとか。】


【奥村永福:西暦1542年生~1624年没。最初は前田利春(利家の父)に仕えたが出奔した後、その息子の利家に仕官し村井長頼と並ぶ配下と成る。小牧長久手の戦いで、末森城の守将として援軍が到着するまで善戦したとか。】


【村井長頼:西暦1543年生~1605年没。奥村永福よりも早くから利家に仕え、苦楽を共にした忠臣。利家が加賀大名に成った時には金沢町奉行などを歴任した。利家死後、前田家と徳川家の友好の為に利家の妻である芳春院(まつ)を家康が居る江戸城に人質として参る際に随行したとか。】


【溝口秀勝:西暦1548年生~1610年没。賤ヶ岳合戦では秀吉側で奮闘し、大聖寺城主となった。秀吉死後に新発田城へ左遷させられたが、関ヶ原の戦いで東軍(徳川側)に属したので本領を安堵され幕末まで家名が残ったとか。】


【浅野長吉:西暦1547年生~1611年没。秀吉の正室「ねね」の義弟。まだ信長に猿と呼ばれる頃から仕え、秀吉の天下統一に貢献した。秀吉には厚く信頼されて良い思いをしたのに関ヶ原では徳川側に味方した痴れ者。ちゃっかり家名を守ったとか。】


【前田慶次:生年不詳~没年不詳。滝川一益の縁者であったが利家の兄の養子となった事で前田姓に。武芸・歌道・茶道・舞踊に古典と幅広い趣味を持ち、戦国一の傾奇者として有名。隠居後は慶次らしい発想で名を「ひょっとこ斎」と変え、余生を全うしたとか。】


【堀秀政:西暦1553年生~1590年没。通称「久太郎」。文武に優れ「名人久太郎」と称されたとか。】


【堀直政:西暦1547年生~1608年没。堀秀政の従弟。秀政と共に織田家へ仕官した。その後は秀政の配下と成り、秀政死後は越後三条城主となったとか。】


【拝郷家嘉:生年不詳~西暦1583年没。信長の命で柴田勝家に仕える事になり、本能寺変後も勝家に仕えるも賤ヶ岳合戦で秀吉に負け討死したとか。】


【風魔小太郎:生年不詳~没年不詳。忍者集団の風魔衆を従え北条家の目・耳・足として活躍したとか。北条家滅亡後、盗賊まで落ちぶれ運悪く捕まり処刑されたらしい。】

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