第46話
2人は急いで病院へ向かった。
矢上の話によると、深鈴は施設で突然倒れて救急搬送されたとのことだった。矢上は、施設の担当者から有賀蓮弥という息子がいると聞き、急いで電話したという。
言われた病室に近付いた時、蓮弥の足が止まる。
「蓮君!?急がないと…!」
「…ハッ…ハッ…」
蓮弥が過呼吸気味になっている。
背中を丸めて、苦しそうである。
「蓮君…!?大丈夫!?」
「…あ、会うのが…こ、怖い…足が…うご…かない…」
蓮弥の震えが止まらない。
涙がぽろぽろと溢れる。
「…蓮君!私を見て!」
菜子は蓮弥の両肩を勢いよく掴む。
蓮弥はハッと驚き、目を丸くして菜子を見る。
「蓮君。蓮君の過去は、私の想像以上につらくて、苦しくて、悲しいと思う。でもね、今お母さんに会わないと、蓮君は絶対に後悔する。もしかしたら、また苦しい思いをするかもしれない。でも、もう会いたくても会えなくなるかもしれないんだよ?会わなかった後悔の方が絶対に苦しい。蓮君を確かに愛してくれた、貴方の曲を書いてくれた、たった1人のお母さんだよ。会わなきゃ。」
「……そうだね……ありがとう。」
蓮弥の震えが止まった。
そして、菜子の手を強く握る。
「…一緒に来て。お願い。」
「はい。そばにいます。」
菜子は強く彼の手を握り返した。
––ガラッ。
「有賀君…!待ってたよ。」
病室には、矢上と看護師と、深鈴がいた施設の担当者がいる。
彼らの背後のベッドには、深鈴が眠っている。
「…母…さん…」
蓮弥は恐る恐る深鈴に近寄る。
深鈴は痩せ細り、肌の色も悪い。
昔の母とは似ても似つかない。
しかし、確かに自分の母親であった。
信じたくない。逃げ出したい。嘘であってほしい。しかし現実が、それを拒む。
「…すまない。最善を尽くしたが…病気がかなり進行していて…あとはお母さんの生命力に賭けるしかない…」
矢上はぐっと拳を握った。
「…そんな……」
蓮弥は深鈴に触れた。
すると、深鈴はゆっくり目を開ける。
「…!母さん…?」
「…その…声、は…蓮…弥…?」
深鈴はか細い声で言う。
「…そうだよ。蓮弥だよ。」
蓮弥は深鈴の手を握った。
「…そこに…いるのね…」
深鈴の目から、ツーッと涙が流れた。彼女はもう首や頭を動かす力もなく、目もぼやけて見えていない。だが、蓮弥の存在を確かに感じ、喜びに溢れている。
「母さん…なんで…?俺がわかるの…?」
「…最後に…神様が…思い出させて…くれたのかな……ごめんね…」
「…ううん、謝らなくていいよ。」
「……ごめんね…蓮弥…貴方に…ずっと……謝りたかった…」
「…もういいって。気にしてないよ。俺もごめん。ずっと母さんに会いに行かなくて…」
「…いいのよ…私のせいだもの……元気で…いてくれれば……それでいいの…」
深鈴は苦しそうに呼吸をしている。
「…母さんも元気でいてよ。病気なんかに負けるなよ。俺、話したいこといっぱいあるんだ。1番はね、大事な人ができたよ。母さんにちゃんと紹介したい。だから、元気になってよ。」
蓮弥はぽろぽろと涙を流しながら話す。
深鈴はそれを聞いて、わずかに微笑む。
「…そう…大事な…人が……本当に…良かった…大きくなったね…」
深鈴の呼吸が徐々に弱くなっている。
「…榛原菜子って言うんだ。菜子だよ。ここに来てるよ。」
「…菜子…さん…」
「は、はいっ。」
菜子は涙を拭いて、深鈴の近くに寄る。
「…蓮弥を…よろしくね…」
「…はいっ。」
菜子は涙が堪えきれず、ぼたぼたと涙が垂れる。
「…蓮弥…」
「何?」
深鈴は力を振り絞り、布団から手を出した。
蓮弥はその手をぎゅっと握る。
深鈴は、蓮弥に笑顔を向けた。
「…最後に…会えて、良かった……ありがとう……大好きよ……幸せに……なって……ね…」
深鈴は幸せそうに、ゆっくりと目を閉じた。
心停止の無機質な音が響く。
矢上と看護師が急いで処置をする。
「母さん…?母さん…!起きろよ!」
蓮弥は必死に呼びかけるが、矢上達の処置も虚しく、深鈴が息を吹き返すことはなかった。
「…母さん…なんでだよ…やっと…やっとちゃんと話せるようになったのに…!ずっと話したかった…ただ普通に話したかっただけなのに!それだけで良かったのに!なんでだよ!なんで…いつも置いてくんだよ…ねぇ…母さん…」
蓮弥の咽び泣く声が、部屋中に響き渡った。
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