第42話



しばらくして、公園に静けさが戻る。

2人は手を繋いで、ベンチに並んで座っている。

蓮弥は落ち着いた後、菜子に問いかけた。



「…菜子、あの曲…」



「あ、弾いてた曲ですか?香凜かりんっていうアーティストの曲です。ずいぶん前に引退しちゃってますけど…あ、蓮君も口ずさんでたから、知ってますよね。私、昔からあの曲好きなんです。お母さんが子守唄によく歌ってくれて…」



「…あの曲は香凜本人が作詞してる。あの曲にはね、彼女の思いが込められてるんだ。」



蓮弥はピアノを見つめながら言う。

そよそよと夜風が蓮弥の髪を撫でている。



「思い…?」



「うん。…自分の子どもの幸せを願って書いた曲なんだって。」



「えっ…子ども?でも香凜って、結婚すらしてないんじゃ…」



「…隠してただけ。相手が一般人だったから、いろんなことから守るために。その一般男性との間に、子どもが1人いる。」



「そうなんですか!?知らなかった…。蓮君、詳しいんですね!もしかして、ファンだったんですか?」



「…俺が、その子ども。」



「…え?」



「香凜は、俺の母親。本名は、有賀深鈴みすず。」



「……うそ…」



菜子は言葉が出ない。



「…父さんが出て行って、離婚が成立した後、すぐに歌手を引退した。当時かなり売れっ子だったから、しばらくお金には困らなかったけど、施設に入った時、諸々の治療費も含めてほとんどを使った。だから、俺は中学を卒業した後すぐに就職して、隠れてほそぼそと生活してきた。」



「……」



「…でもね、幸せな時間は確かにあったんだ。母さんは、3人での生活を何よりも大切にしてた。俺のことを愛してくれてた。その証を、曲っていう形でも残してくれていたんだ。…俺、すっかり忘れてた。母さんの思い。」



蓮弥は一度目を閉じる。

そして深呼吸をした後、ゆっくり目を開けた。



「…きっと、菜子のおかげで、素直に受け止めることができたんだね。この曲も、母さんの思いも。」



蓮弥は菜子に顔を向ける。




「ありがとう!」




そう言いながら、蓮弥はとびきりの笑顔を見せた。




菜子は様々な感情が溢れて、言葉が見つからない。

キラキラと輝く世界で、ただただ蓮弥を泣きそうな顔で微笑みながら見つめていた。






2人は家に帰ろうと、歩き出した。

蓮弥は車道側を歩いている。



木々の揺れる音、足音、車の音、すれ違う人々の声、歩行者用信号の音…様々な音が夜の街を飾り付ける。



蓮弥は遊園地に来た子どものように、心を躍らせている。夜の新鮮な音を聞くたびに、音が耳から身体に染み込み、パズルのように欠けた心のピースがはまっていくような気持ちになる。



わくわくとした顔を見せる蓮弥を、菜子は愛おしそうに見つめていた。





そして家に到着した。

風呂に入った蓮弥は、湯をかき回したり、軽く水面を叩いたりする。その度に心地良い水の音が優しく響いた。10年以上ぶりの、安心してゆっくりと湯に浸かれる時間を満喫していた。



そして2人は同時に布団に潜り込む。

布団が擦れる音や、ギシッと軋むベッドの音すら、蓮弥にとって嬉しいものであった。




「菜子。」



「はいっ。」



「…ふふ、菜子。」



「ん?」



「菜子の声が聞こえる。聞こえるねぇ。」



蓮弥は嬉しそうに菜子を抱きしめる。

菜子はきゅんと心をくすぐられた。



「…いびきとかも聞こえちゃう。」



「そうだね。たんと聞くね。」



「それは聞かなくていいんです!」



菜子はバッと蓮弥を押し出す。

蓮弥は楽しそうに笑った。



「俺ね、今、めちゃくちゃ幸せ。」



「私もですよっ。…ほんとに良かった。」



「これから、夜もたくさん出かけよう。夏になったらまた一緒に花火も見たいし、秋は夜の紅葉も良いかもね。冬はイルミネーション見に行こう。俺、夜も運転できるから、遠出だってできるよ。」



「ふふっ。楽しみがたくさん待ってますね。」



「うん。菜子のいびきも楽しみ。」



「それはいいんだってば!」



「あははっ!ごめんてば!」



蓮弥と菜子は、眠くなるまで会話を続けた。





翌週。



蓮弥は病院へ行き、担当医の矢上に聞こえるようになった旨を報告した。

矢上は心から喜んでいた。



ひと通りの検査を受けた後、異常が無いことを伝えられ、病院を出た。いつまた聞こえなくなるかわからないため、今後も定期的に検査を受けることになった。



「今後も通院が続くんですね。」



「うん。またいつか聞こえなくなるかもしれないって。でも、治るってことがわかったから、もう絶望しない。」



「そうですね!もしまたそうなっても、一緒に治していきましょうね!」



「うん。菜子も俺の担当医さんだね。」



「そう、ですかね?」



「うん。これからもよろしくお願いします。」



「こちらこそ!」



2人は笑顔で帰って行った。


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