第40話



夜。

まだ8時前である。

2人は、大空公園に向かっていた。



蓮弥はいつも通りに振る舞おうとするが、普段よりさらに口数が少ない。



「…大丈夫。大丈夫だよ。私はここにいるから。」



菜子は蓮弥の手をとり、微笑む。



「…ありがと。」



蓮弥はわずかに肩の力が抜けた。




そして、大空公園横の並木道に到着した。



「綺麗…」



菜子は、懐かしくも艶やかな景色に心を奪われた。

桜は既に満開を迎えており、外灯に優しく照らされながらひらひらと舞い踊っている。



2人は桜を見つめ、この場所での2人の始まりの日を思い出していた。



「…菜子。」



「ん?」



「…そろそろ。」



菜子は公園の時計を見る。

まもなく8時になる。



菜子は蓮弥の手を握る。

蓮弥の手は震えていた。



菜子は微笑みながら蓮弥をまっすぐ見た。



「一緒に乗り越えましょう。」



「……うん。」



蓮弥は、乗り越えると強く決心した。

菜子の手をぎゅっと握ると同時に、目を閉じる。

ぷつんという音が脳内に響く。

そして、いつもの無音の世界を迎えた。



蓮弥は恐る恐る目を開ける。

目の前には、自分をまっすぐ見つめる菜子がいる。



––なんでだろ。菜子がいるだけで、こんなにも強くなれるなんて…。



蓮弥はそう思いながら、じわっと涙を溜めた。



「れ、蓮君…!?どうしたの…?」



菜子が慌てている。



「…ははっ。大丈夫。」



蓮弥は笑顔を見せた。

その時、目に溜まっていた涙が押し出されて流れた。



「…歩く?」



菜子はゆっくり言いながら、歩く仕草を見せた。蓮弥はそれを見て頷く。



2人はゆっくり並木道を歩く。

ひらひらと舞う桜のカーテンをくぐり、

ひんやりとした空気と春の匂いに包まれる。

木々の揺れる音や2人の足音は、蓮弥には聞こえない。



––音が聞こえなくても、私たちは、今ここに一緒にいる。ここで一緒に目で、肌で、匂いで春を感じてる。一緒にできることは山ほどあるよ。世界も人生も広くて無限で、怖いものよりも素敵なもので溢れてる。もし治らなくても、私が貴方の夜の耳になる。だから、心配しなくていいんだよ、蓮君。



菜子はそう強く思いながら、蓮弥の肩に寄り添った。蓮弥は菜子の温かさに心が落ち着いた。



そして2人は、公園内に入って行った。

公園内には、誰もいない。



「…あれ、ピアノ…?」



菜子は公園内の一角に設置されたピアノを見つけた。蓮弥も見慣れない存在にすぐ気付く。



ピアノの横にある看板を見ると、どうやら期間限定で特別に設置されており、誰でも弾くことができるストリートピアノらしい。



蓮弥は菜子の肩を叩き、スマホの画面を見せた。



––菜子、ピアノ弾けるの?



「…ちょっとだけ。」



菜子は手で少しだけという表現をする。



––弾いてみて。



「えっ…」



––菜子のピアノ弾く姿、見てみたい。



「…」



菜子は照れながら頷き、椅子に座る。

蓮弥は近くに設置されたベンチに座った。



––ピアノ、久しぶりすぎるな…何弾こう…



菜子は幼い頃から約10年間、ピアノ教室に通っていた。コンプレックスの長めの指が唯一生かされた習い事だった。



菜子は弾く曲をしばらく悩んだ。



––あ、あの曲なら…蓮君も知ってるみたいだし…



そして、指を鍵盤にそっと添える。

菜子は深呼吸を一度した後、優しく音を奏で始めた。

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