第38話



1ヶ月後。

2人は少し広い部屋を借りたが、引越しや今のアパートの解約がまだ先になるため、1週間ごとお互いの部屋を行き来している。今週は菜子の家である。



「春ですねぇ。」



「春だねぇ。」



2人はベランダでのんびりと春の暖かい風を感じている。ツンと鋭い寒気は消え、心をくすぐるふわっとした暖かさが街を包んでいる。

街行く人は、春の暖かさや始まりの季節に心を躍らせて、うきうきと跳ねているように見える。



「桜も結構咲いてますね!」



「ほんとだ。公園横の並木道、きっと綺麗だよ。」



菜子はふと、近所の公園ではなく大空公園の夜桜を思い出した。



––夜桜、か…



あの事故の日から、蓮弥は一度も夜に外出していない。そのことについてお互い触れないまま、時が流れている。



「…私、夜桜が見たいです。」



「え…」



「…ダメですか…?」



「……」



「一緒に…行ってくれませんか?」



「…やっぱり怖い。また菜子を守れずに傷付けたら思うと…」



「あの日、私は私の意志で行動したんです。蓮君は何も悪くないし、恐怖を感じる必要もないよ。」



「…でも…」



「私は、蓮君が心を閉ざして殻から出てこなくなってしまう方が怖いです。このまま夜に恐怖して、蓮君がのびのび生きられない方が嫌。」



「……じゃあ、ひとつ約束して。自分の命と身体を何よりも優先すること。俺は、菜子に何かあったら生きていけない。」



蓮弥は菜子をまっすぐ見つめて言った。



「…わ、わかりました。」



「ほんとにだよ?」



「はいっ…!」



「…じゃあ、もう少し待って。」



「え?」



「…もう一度、病院に行ってみようと思う。昔より、何か治療法が増えてるかもしれないし。…これは前からずっと考えてた。でも、やっぱり何も変わらなくて、あの日の絶望感が蘇るかもって思うと、勇気が出なくて…」



「…大丈夫、もし変わらなくても、変わらず私はそばにいます。耳が治ることより、自分とまた向き合おうとしてくれてることの方が、私は嬉しいです!もちろん、治ったら万々歳ですけど!」



「…ありがと。俺、頑張ってみる。」



「うん!」



菜子は笑顔を見せた。


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