第15話



「え…?」



菜子はまだ理解できないでいる。



「大体、夜の8時から朝の7時くらいまで。周りの音も、自分の声も聞こえなくなる。」



「それは、病気か何かですか…?難病…?」



菜子が聞くと、蓮弥は下を向きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。



「まぁ、病気かもしれないね。…俺ね、中学生までは、耳も普通で、普通の子どもだったんだ。ひとりっ子で、両親がいて。ちょっと特殊な家だったから、放課後遊んだりはあんまりできなかったけど。」



「……」



「でも、中学1年の時、両親が離婚した。父親が女作って出てったんだ。そこから母親は壊れた。家事もしなくなって、部屋を荒らして、父さんの名前をずっと呼んでた。でも父さんは帰ってこなかった。母さんは次第に俺に暴力を振るうようになった。俺は家が嫌になって、朝早くに家を出て、夜遅くに帰るようになってさ。でも母さんを放っておくこともできなくて…夜の8時から朝の7時は、母さんと一緒にいる時間。俺はひたすら暴力と暴言に耐えた。それで…中学3年の春かな、俺が帰ると、母さんが裸でぼーっとしながら、リビングに立ってた。そのまま俺に縋りついて、服を脱がしながら父さんの名前を呼んだ。俺を父さんと思い込んだらしい。俺は蓮弥だって叫んだら…母さんは絶望して窓から飛び降りた。」



「え…」



「幸い、一命は取りとめたけど、下半身不随と記憶喪失で今は施設にいる。一度だけ会いに行ったけど、俺のことは全く覚えてなかった。それから母さんには会ってない。」



「母さんが飛び降りた日、ぷつんと音がして、それから俺の耳は聞こえなくなった。俺が無意識に何もかも拒絶してるのか、母さんの呪いなのか、よくわからない。病院でも診てもらったけど、治らなかった。…こんなこと、信じてもらえる自信もないし、話せるような相手もいなかったから…どんどん自分の中に閉じ込めて、誰にも触れさせないようにしてた。…重いよな、こんな話…」



蓮弥は苦笑いしながら顔を上げる。

そして、蓮弥は驚いた。



菜子は静かに涙を流していた。

そして、真っ直ぐ蓮弥を見ている。



「…ありがとうございます…打ち明けてくれて。…ずっと…つらかったですよね…」



蓮弥はその言葉を聞いた瞬間、ぶわっと涙が溢れた。蓮弥は突然溢れた涙に戸惑っている。



「…ごめんなさい…今だけ…抱きしめても良いですか…?」



「え…?あ…うん…」



菜子は蓮弥を優しく抱きしめた。



「……有賀さんの苦しみを…少しでももらうことができればいいのに……ごめんなさい…こんなことしかできなくて…」



「……榛原さんは、優しい人だね。」



「いいえ。本当に優しい人なら、きっともっとできることがあるはずです…私は何も思いつかない…こんな友達で、ごめんなさい…」



「…充分だよ。ありがとう。」



蓮弥は菜子を抱きしめ返した。



「…ねぇ、夜の8時、一緒にいてくれない?」



「え…?」



「誰にも触れさせずに、閉じ込めてた俺を、見てほしい。」



「…もちろんです。一緒にいます。」



菜子の抱きしめる力が、少し強くなった。



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