第四十一話 文句





開店時間が近くなり、沢崎さんは不満げな面持ちでキッチンへと戻る。


それを見て満足そうに笑みをこぼす桜雪さん。私はそんな親子のやり取りを、どこか新鮮な気持ちで眺めていた。


これがきっと親子という関係性なのかもしれない、なんて。


やがて十時を迎え、本格的に仕事が始まる。三十分ほど経った頃から客足が伸び始め、忙しさはお昼が近付くにつれ増していく。


普段使い慣れたレジとの違いに手こずりながらも、私は何とか接客をこなす。


対応したほとんどが常連客のようで、皆私を見ては物珍しそうに話しかけてくれた。


「あら、見かけない子ねえ。新人さん?」


気さくに話しかけてくるのは、おそらく常連客であろう陽気な女性。


声色、佇まいや顔のしわの深さから、きっと年齢は五十代くらいだろうと予想する。


「えっと……はい、不定期で手伝うことになりました」


「なになに……春風ちゃんでいいのかしら?」


私の胸元に留められた名札をまじまじと見つめながら、女性が問いかける。


「違うわよー天野さん、その子は小春こはるちゃん」


桜雪さんがキッチンから顔を出して、そんな適当なことを言う。


天野……どっかで聞いたことのある名字だ。


「これでこはるちゃんって読むなんて……珍しい名前ねー」


「違います」


天野さんと呼ばれた女性が名前に感心しているところで、私はすぐさま否定した。


「桜雪さんが適当なことを言ってるだけで、読み方は春風はるかぜで合ってます」


「えー? 小春ちゃんは小春ちゃんでしょ?」


こちらに近付き私の頭をわしゃわしゃと撫でながら、桜雪さんがからかう。


無愛想の私と楽しそうな桜雪さんのやり取りを、穏やかな表情で眺める天野さん。


「あらあら、もうさっちゃんに気に入られてるのね」


「娘と違ってからかい甲斐があってねー。結構可愛いのよ」


ぬいぐるみを愛でるように頬を人差し指でつついてくる桜雪さんを、私は目線も合わせず冷静にあしらう。


「でもさっちゃん、小春ちゃん嫌がってない……?」


あなたまで小春ちゃん呼びか、というツッコミを内に秘めつつ私は頷いておく。


「ほら、無表情で頷いてる」


「分かってないなー天野さん。これね、私をもっとからかってーって意味なのよ?」


「どうしたらそんな解釈になるんですか……」


予想の斜め上の答えに、私は思わず呆れ気味にため息を漏らす。


「ふふふ、さっちゃんに気に入られて良かったわね小春ちゃん。きっとバイト代弾んでくれるわよ」


「……天野さんも、さっきから斜め上のコメントをしないでください」


段々面倒になってきた私は、初対面である天野さんにも容赦なくツッコミを入れる。


「それと、バイト代とは別に迷惑料を請求するつもりなので、弾まなくても大丈夫です」


「あら、逞しい子! その逞しさ、うちの息子にも分けて欲しいわー」


「天野さん家の息子さんって、確か真夜と同い年でしたよね?」


途端に始まる主婦間の世間話。天野という名字で同い年の息子……だと?


「そうよー、最近は口を開けば文句ばっかりで可愛くなくてね。この前も部屋が汚いから掃除しようとしたらものすごい剣幕で怒られて。あれも思春期ってやつなのかしら?」


「そりゃ十七歳の男の子なんて思春期真っ盛りでしょうよ! きっとベッドの下にはエロ本の一つや二つがあったに違いない! 息子がいたら私もそういうの全力で探しちゃうんだけどなー!」


思春期男子からしてみたら迷惑極まりないことを言っている桜雪さん。そういうのはそっとしておいてあげるべきでは……。


「……って、今一瞬聞き流しましたけど、桜雪さん息子いるじゃないですか」


危うくツッコミをし損ねるところだった。見た目や言動こそ男っぽくないが、怜さんだって生物学上男の子に分類されるわけだし、息子に該当するだろう。


「ああ、怜のこと? じゃあ聞くけど、怜のベッドの下から出てくる雑誌って言ったら何を想像する?」


「それは……」


桜雪さんに尋ねられ、私がパッと思いついたのは……一つしかなかった。


「ファッション雑誌……ですかね。それも、ドレスとか多めの」


「正解。実際にそれを見つけた時の私の気持ちわかる? まさか怜もそういう雑誌に興味が!? ってワクワクして、それが裏切られた時の気持ちを!」


「……私に理解を求めないでください」


目線を逸らし、私は気まずそうに答える。


「あらーそっちの方が良いじゃない、怜ちゃんらしくて。うちの息子と取り替えてくれないかしら」


「それいいわねー。私もザ・男の子って感じの息子が欲しかったし?」


他愛ない話と思いきや、息子トレードという闇の深い会話を始める主婦二人。


流石に冗談であることは理解してるが、それでも二人の息子には同情を禁じ得ない。


今度二人がミニドリップに来たら、パフェでもご馳走してあげるとしよう……。


「おい! 下らねえこと言ってないで、キッチン手伝ってくれよ!」


現在の空気を壊すかのように、背後から沢崎さんの怒り文句が飛んでくる。


沢崎家のザ・男の子枠こと沢崎真夜。


理由は分かっている。桜雪さんがこちらで世間話をしているせいで、予約で入っている団体様のお弁当を一人で作る羽目になっているからだろう。


「三十人前の唐揚げ弁当を一人で作らせるとか鬼か! 確かに店を手伝うとは言ったけどよ! こんなの聞いてねえって!」


キッチンから聞こえてくる声色だけでも、だいぶ焦っている様子が窺えた。


「全く根性がないわねーうちの娘は。やれやれ、ちょっと手伝ってくるわ」


天野さんに一言挨拶をしてから、すぐにキッチンへ戻る桜雪さん。


いやいや、あなたの娘さんはだいぶ根性ある方ですよ……なんて、心の中で沢崎さんをフォローしておく。


「それじゃ私もそろそろお暇するわ、お弁当ありがとうね」


私からお弁当を受け取り、天野さんも笑顔で去っていく。


「……ふぅ。いつも以上に疲れた気がする」


遠くなっていく天野さんの背中を見つめながら、私はため息を漏らす。


そんな時、ふと路地の陰から視線を感じて私は目線を向ける。


「……?」


しかし私と目があった途端、すぐさま慌てるように引っ込んでしまった。


一瞬しか見れなかったが、風貌的に男性だったような……?


少しもやっとしつつも、私は引き続き仕事に勤しむことに。


もし不審者だとしても沢崎さんがいるから平気だろう、なんて楽観的に思いながら。

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