第三十九話 疑問

他愛のないやりとりをいくらか重ねた後、桜雪さん主導のもと開店準備が始まった。


一部料理の仕込み、予約の確認、掃除、開店を迎える上で必要な作業を順番に終わらせていく。仕事モードになった桜雪さんは、真面目な表情で私と沢崎さんに作業を割り振る。


お荷物にならないよう、私は一生懸命与えられた仕事をこなしていくので精一杯だった。


慣れない仕事であると同時に、義父以外の人間から指示を受けて仕事をするというのも初めてだった。今日は初体験のことばかりになるだろう、そんな気がする。


やがて一通りの作業を済ませ、現在は九時半。私たちは十時の開店を前に朝食を取ることに。


「駄目よー春雨ちゃん、朝ご飯はちゃんと食べないと! 身体が起きないし、エネルギーも足りなくなるんだから。ほら、食べて食べて!」


明朗な声で、私を優しく諭す桜雪さん。


予定より早く準備が済んだこともあって、桜雪さんがサンドイッチを私たちに振る舞ってくれた。


銀の作業台の上に置かれた皿には、ハムとレタスの挟まったサンドイッチが六個。


綺麗な三角形をまじまじと見ながら、私はサンドイッチを一つ手に取る。シンプルでありながら、とても美味しそうだ。


「すみません……頂きます」


「まあ、遠慮しないで食ってくれよ!」


何故か我が物顔で私に勧めながら、サンドイッチを頬張る沢崎さん。


「まるであんたが作ったかのように言うな」


桜雪さんに頭頂部を小突かれ、沢崎さんが文句ありげに睨む。


「痛ってえ! いたいけな娘を平然と殴るとか、どうかしてるぜ!」


「なーにがいたいけな娘よ。学校からお怒りの電話、近隣からの苦情、警察からの厳重注意とか……問題行動ばっかり起こしてる不良崩れの娘が、よく言えたわね」


沢崎さんの文句に対して、桜雪さんがチクリと刺す。


「うっ……」


「まったく、少しは寡黙で大人しい春雨ちゃんを見習いなさいよ」


私の肩を抱いて頭を撫でながら、桜雪さんが沢崎さんに苦言を呈する。


春雨じゃなくて春風ですけどね……というツッコミは、脳内で留めておく。


悔し気に母親を睨みつつも、何も言い返すことが出来ず押し黙る沢崎さん。


「あーうるせえうるせえ! 良いんだよ俺はこれで!」


そっぽを向いて、面白くなさそうに吐き捨てる。二つ目のサンドイッチを無理やり口に押し込んで、沢崎さんは裏口から外へ出ていった。


沢崎さんが勢いよく鉄製の扉を閉めたことで、大きな鈍い音がキッチンの中に響く。


「あ……」


桜雪さんに肩を抱かれながら、私は思わず小さな声を漏らす。


今沢崎さんに出て行かれたら……桜雪さんと二人きりになってしまう。人見知りの私にとって、これは非常に大きな問題だ。


「はぁ……素直じゃないわね。ホント、誰に似たんだか」


やれやれ、といった様子で私から離れサンドイッチを手に取る桜雪さん。


「…………」


沢崎さんが外に出て行った現在、キッチン内は何とも言えない空気で満ちていた。


まずい。どう相槌を打とうか必死に脳内をフル回転させるも、全然浮かばない。


とりあえず桜雪さんの方へ視線を送ってみる。何も気にしてなさそうな表情でサンドイッチを食べていた。もしかして、気まずいと思っているのは私だけなのだろうか?


「ごめんね小春ちゃん。多分、開店が近くなれば真夜も帰ってくると思うから」


「あ……はい」


桜雪さんの言葉に私は静かに頷く。正直に言えば、その心配はしていない。


根が真面目な彼女のことだ、仕事を放りだすなんてことはしないだろう。


「あ、ちょうどいいや。ねえ小春ちゃん、一つ聞きたいことがあったんだけど」


何気ない会話を振るように、桜雪さんが私へ問いかける。


「……何でしょうか?」


淡々と返事をしながら、私はサンドイッチを口に含む。瑞々みずみずしいレタスとハム、ほんのりと効いたマスタードが口いっぱいに広がった。


「小春ちゃんってさ……真夜に脅されてたりする?」


「ぶほっ……!」


突拍子もない質問に、私は思わずむせてしまうのだった。


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