第三十話 報知



「ねぇ真夜ちゃん!! はるちゃんが告白されたってホント!?」


勢いよくドアを開け、そう叫びながら入店してくるのは武藤さんだ。


時刻は十九時半。店内には、私を除けば沢崎さんしかいない。いわゆる、相変わらずの状況だ。


「いやー愛姉さん、とうとうやりましたよ。あの変態野郎」


丁寧にテーブルやカウンターを磨いていた沢崎さんが、早速武藤さんに相槌を打つ。


「……いつの間に、連絡を取り合ってたんですか」


「ふふん、甘いなーはるちゃんは。そんなのとっくに決まってるじゃん!」


何故か自慢げにそう語る武藤さんを、私は冷めた眼差しで見つめる。


「そんなことより! されたんでしょ! こ、く、は、く!」


カウンター席に座り、身を乗り出しながらそう問いかけてくる武藤さんを、軽くいなす。


「ち、近いですって。さ……されましたけども」


「ひゃー! やるねぇーあの色男! で、で、なんて答えたのよ!」


「俺もずっとそこが気になってたんだ。もちろん受けたんだよな?」


気づけば、沢崎さんも掃除そっちのけで武藤さんの隣にいるではないか。


そんな二人を前にして、私は冷静に答える。


「…………断りました」


私がそう呟いた途端、一瞬にして空気が凍る。


目の前の二人は目が点になっており、結末が予想外過ぎたのか硬直していた。


「……え? 本当に?」


恐る恐る聞き返す武藤さん。私は小さく頷いてみせる。


「な、何でよ……」


「それは、やっぱり……好きとか嫌いとか、よくわからなかったので」


「えぇ……」


「……なるほどな。春姉なりに、真剣に向き合ったってことか」


困惑する武藤さんとは反対に、沢崎さんはどこか納得のいった表情をしていた。


「はい。ちゃんと向き合いました」


「付き合ってみて、始まる恋もあると思うんだけどなぁ」


どこか残念そうに、武藤さんが小さく呟く。


「それに関しては、否定しません。これはただ、私が曖昧な気持ちで受けたくなかったという……ある種のわがままみたいなものですし」


「本音でぶつかった結果がそれなら、しょうがないよな。俺は応援するぜ」


「……そうだね。はるちゃんが悩んで決めたことなら、それを応援しなきゃ」


沢崎さんの言葉を聞いて、どこか納得したような様子の武藤さん。


「よし! じゃあ今日は真夜ちゃんの特製ナポリタンを注文しようかな! はるちゃん失恋記念ということで、ミニドリップに貢がなきゃ!」


「あの、私は失恋してないんですけど……。どちらかと言えば、失恋したのは伊田さんというか……」


「まあまあ! 細かいことは気にしない! 今日は打ち上げだー!」


「よっしゃ! 腕によりをかけて作るぜ!」


意気込んでキッチンに赴く沢崎さんと、何故かハイテンションの武藤さん。


「……まあ、売り上げに貢献してくれるので良しとしますか」


騒がしい二人を見つめながら、私はそう自分に言い聞かせる。


「店主! アイスコーヒーはまだかね? 遅いよ!」


木製のカウンターテーブルを叩きながら、わざとらしく催促する武藤さん。


「うるさいお客さんですね……出禁にしますよ?」


「あ! 今なんて言った!? 聞きましたか皆さーん! 今、ここの店主がお客に暴言吐きましたよ!」


「残念でしたね。ここでは私がルールなんですよ」


アイスコーヒーをグラスに注ぎながら、私は淡々と答える。


「これは色男君に教えなきゃなー! あなたの好きになった人、こんなにも横暴だけど大丈夫ですか? って!」


「……それはちょっと、やめてください」


流石に伊田さんの名前を出されたら、私も退かざるを得ない。


「ふっふっふ。それが嫌であれば、余にサービスをするのじゃ」


優位になったからか、唐突に謎の口調でサービスを要求し始める武藤さん。


「誰のモノマネですかそれ……。まあ、いいですけど」


渋々棚から茶菓子を取り出して、私は武藤さんに差し出す。


そんな実のない会話とやり取りを繰り広げながら、今日も一日が過ぎ去ろうとしていた。


きっと世間で見れば、私の日々なんてありふれた人生の一つだろう。


学校に通い、信頼できる友がいて。異性に告白されたり、部活に勤しんだり。


私には、それはとても遠い存在だった。だからこそ、ありふれたそんな人生に、ずっと憧れを抱いていた自分がいて。


手の届かないものに見えたから。私には遠い存在なのだと……ずっと、そう思っていたから。その憧憬はもはや、呪いのように深くすらあって。


そんな私が気づけば、ありふれた人生を送っている。


誰かが、人生何があるかなんてわからないと言っていた。分からないからこそ、楽しいのだと。


今なら少しだけ、その言葉の意味が分かるかもしれない。







――あれから少し経ち、時刻は二十二時。お店を閉め、現在は沢崎さんと共に掃除をしている最中だ。


「今日はありがとうございました。全部……沢崎さんのおかげです」


床をモップで掃きながら、私は彼女にお礼を述べる。


「ま、上手くいったんなら良かったよ」


照れくさそうに答えながら、沢崎さんはカウンターテーブルを掃除する。


「春姉には、幸せになってもらいてぇからさ」


「……ありがとうございます」


「何せ、春姉は俺の恩人だからな」


「それは流石に言い過ぎですよ」


たかだかバイト雇用しただけで、恩人呼ばわりは流石に過大評価だろう。


「そんなことねぇって。本当に救われたんだ、俺は」


布巾をカウンターに置き、沢崎さんがこちらに真剣な眼差しを向ける。


「まあ……悪い気はしませんけど」


そんな時、店内に着信を知らせる音楽が鳴り響く。どうやら沢崎さんのスマホが鳴っているようだ。


「何だ? 知らない番号だけど……」


そう言いながら、気だるそうに通話ボタンを押して電話に出る。


「チッ……はい、誰っすか?」


「何で喧嘩腰なんですか……」


沢崎さんの様子に、思わずツッコミをいれてしまう私。


「……はい、そうですけど?」


会話を重ねていくたびに、沢崎さんの顔色が悪くなっていく。


「…………」


「……沢崎さん?」


「…………」


気づけば顔面蒼白の沢崎さんに、私は心配ながらも問いかけるが返答はない。


やがて、スマホを握っていた手が振り下ろされる。唐突に力が抜けたかのように、だらんと下がり……床にスマホが転がる。


「さ、沢崎さん!?」


「ど……どうしよう……」


「ど、どうしたんですか? 一体何が……」


「か、母さんが……母さんが……」


呆然自失の表情を浮かべ、普段の様子からは想像できないようなか細い声で、沢崎さんが呟く。


「お母さんがどうしたんですか? まさか……」


「死んだ……って……」


唐突に打ち砕かれた平穏、静かに終わりを告げる日々。悲劇はいつも唐突に、無情に訪れる。


虚ろな目で、力なく座り込んだ沢崎さんを抱えながら、私は……ただこの悪夢が嘘であってほしいと願うしか出来なかった。

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