第二十九話 返事



あれから沢崎さんと別れた私は、ミニドリップの店内にて人を待っていた。


もちろん待っている相手は、他ならぬ伊田さんだ。


入り口には準備中の札をかけている。間違って、他のお客様が入ってこないように。


時刻は十八時。普段ならもう営業している時間だ。お店の私的利用だと言われたら、今の私は何も言い返せない。


一応すぐに開店出来るよう、ワイシャツに黒いエプロン、黒のスカートの正装に着替え済みではある。


余談ではあるが、未だに言葉はまとまっていない。


いくら考えても、どう伝えるべきか分からないのだ。


「……そうだ、深呼吸。すぅ……はぁー……」


冷静になろうと大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐こうとした時だった。


入店を知らせるベルが店内に響き、伊田さんが現れる。油断していた私は、思わず驚いてしまう。


「っ……! ごほっ!」


「だ、大丈夫ですか!?」


店内に入って早々、私が咳き込んでいる姿を目撃した伊田さん。冷静に私の様子を心配して、近づいてくる。


「ちょ……ちょっと、気管に入っただけです……」


「そうだ水、水持ってきますね!」


私の答えを待たずして、伊田さんがキッチンへ向かう。


適当なグラスに水を注ぎ、それを私に手渡す。


躊躇わず私は水を受け取り、一気に飲み干して咳の緩和を試みる。


……まったくもって、恥ずかしい話だ。


少しして落ち着いた私は、カウンター席に腰掛けながら、ゆっくりと口を開いた。


「……すみません、ありがとうございました」


「びっくりしましたけど、大丈夫ですよ。もう平気ですか?」


「はい。おかげさまで……」


気まずい私は、目線を逸らしながらそう答える。


「それで、あの……」


言い淀みながら、私は会話を続けることにした。


まとまってない思考の中から、必死に言葉を手繰り寄せて。


「えっと……」


カウンター席から立ち上がり、伊田さんの正面に対峙するように向かいつつも、目線は窓の方へ泳いでいた。


「…………」


まっすぐに伊田さんの目を見れない私は、思わず目線を下に向ける。


「……すみませんでした」


しばらく沈黙したのち。まるで絞り出すように、私は懺悔を口にした。


「私はどこまでも、自分のことしか考えてませんでした。あの時、伊田さんを傷つけるような発言をしてしまって……本当に、すみませんでした」


深く頭を下げながら、伝えたかった思いを彼にぶつける。


「そんな、頭を下げないでくださいよ! 悪いのは俺なんですから……!」


私の行動に慌てる伊田さんが、戸惑いながらそう答える。


「あれは俺の、軽率な発言でした。言わなければ良かったって……ずっと……後悔してて」


「伊田さんは、何も間違ってません。私がただ、図星を突かれて……むきになったというか」


恥ずかしながら、これは謙遜でも何でもない。明確な事実である。


長年コンプレックスとして抱えていたことを、伊田さんに指摘された。それに対して、私がみっともなく逆ギレをしただけ。これは、ただそれだけの話に過ぎない。


「ずっと、コンプレックスだったんです。人と上手く関われないこと、友人がいないこと……」


そして、肉親と呼べる存在がいないこと。


……そこまでは、あえて言わない。そんな話を聞かされても、きっと困るだけだと思うから。


「だから、伊田さんは悪くありません。悪いのは私です。それを、今日どうしても伝えたかったんです」


「香笛さん……」


私を、伊田さんが心配そうに見つめる。


「それと、その……」


そんな中、私はもう一つのことを言及しようとしていた。


「あの時、伊田さんが言ってくれたことは……その、本気なのでしょうか?」


あの時言ってくれたこと、それはもちろん……私のことを好きだと言ってくれたことだ。


「はい。俺は、香笛さんが好きです」


あの時と変わらない真剣な眼差しで、伊田さんが私に躊躇わず告白する。


どこまでもまっすぐな気持ちに、思わず頬が紅潮してしまう。


「……ありがとうございます」


目線を逸らし照れながらも、私は何とか感謝を返す。


「本気……なんですよね?」


「……はい」


真面目な面持ちの伊田さんに、私は深呼吸をしてから返事をする。


「であれば、私も……真剣に答えたいと思います」


瞬間、辺りが緊張の空気に包まれる。静寂の中、響くのは秒針が時を刻む音だけ。


少しばかりの沈黙を挟んで、私はゆっくりと口を開いた。


「伊田さんにそう言ってもらえて、とても嬉しいです。誰かに好きと言ってもらえたことなんて、今までありませんでしたから」


私の言葉に、黙って耳を傾けてくれる伊田さん。


「ただ、私は人を好きになったことがなくて、この気持ちが恋愛感情の好きなのか、友好的な好きなのか、よくわからないというのが本音です」


「なる……ほど……」


「伊田さんのことは好きですし、これからも交流出来たら嬉しいとも思っています。これは本当です。でもその感情が、武藤さんや沢崎さん達に向けてる好意と、どう違うのか……よく、わからなくて」


ゆっくりと相槌をうつように、伊田さんが小さく頷く。


「そんな気持ちのまま、伊田さんの真剣な気持ちに答えることは出来ません……ごめんなさい」


そう言って、私は深く頭を下げる。


これが、今の私の素直な感情だ。


この答えが果たして、正解なのかはわからない。けれど、私は半端な気持ちで、安易に受けるべきではないと思ったのだ。


「……ありがとうございます。真剣に応えてくれて」


私の決断に、伊田さんはしばらく沈黙した後……そう答えてくれた。


「ごめんなさい、気持ちに応えることが出来なくて」


「いえ、良いんです。香笛さんの本音を聞けましたから。ただ……一つだけ、教えてください。俺は、香笛さんのことを……まだ好きでいても良いんでしょうか?」


「それは……えっと、個人の自由と言いますか……」


真剣な面持ちで、まっすぐに私を見つめてそんなことを言ってくる伊田さん。そんな彼に、思わずたじろぐ。


「良かった。この気持ちを諦めなくていいんですね」


「い、伊田さんがそうしたいのであれば……」


「……俺、これ位じゃ諦めません。そんな簡単に諦められるような、軽い気持ちじゃないんで。いつか必ず、香笛さんを振り向かせてみせます」


そう言って、伊田さんが右手を私に差し出す。


「まずは友達として、これからも仲良くしてくれたら嬉しいです」


「こ、こちらこそ……よろしくお願いします」


顔を真っ赤にしながら、私は応じるように彼の手を握り返す。


まずは友達として。そんな言葉が……今の私には、とても嬉しかった。







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