第十九話 憂慮



気づけば、もう日が沈み始めた夕刻。


あれから皆と合流し、時間も頃合いとなっていたタイミングで、帰り支度をすることに。


拠点を撤収し各自シャワーを浴びて着替えも済まし、車に乗り込んで御浜海岸みはまかいがんを後にする。


茜色あかねいろに染まりゆく空模様を、助手席の窓から物寂しく見つめながら……私は今日を振り返っていた。


最初こそ騒いでいたが、気づけば後部座席の皆は寝ている。


窓に寄りかかる伊田さん、谷村に寄りかかる白井さん。そして、沢崎さんに寄りかかる天野の姿。


開始の車内では先が思いやられたものの、何とか馴染めたようで私は安心した。


「はるちゃんも、眠かったら寝ていいからね?」


私に気を遣ってか、そんなことを言ってくれる武藤さん。


「私は大丈夫です。それに、助手席の人は寝たらいけませんから」


「でた、どーせそれもネット情報でしょ? 別に気にしなくていいってば」


「そうなんですか? じゃあ――」


武藤さんの言葉を素直に受け止め、わざとらしく寝たフリを始める私。


「切り替えはやっ! 嘘嘘! 話し相手になってー」


「……仕方ないですね」


「何その、やれやれみたいな感じ」


私の対応に不満そうな武藤さん。相変わらず、注文が多い人だ。


「それはさておき、今日は本当にありがとうございました」


涼しげな風を浴びながら、変わらず目線を外へ向けつつ、静かに感謝を述べる。


「ふふん、どういたしまして」


嬉しそうに、軽快なトーンで答える武藤さん。


「でも、良かったの? 色男君とドキドキスイカ割り! とかなかったけど」


「大丈夫です。そんなイベントは、そもそも求めていませんので」


「えーホントかなー? もしかしてドキッ! お化け屋敷イベントが好みだった?」


「いりません。お化け屋敷も別に、怖いと思いませんし」


からかう武藤さんを軽くいなし、私は無愛想に答える。


「へぇ? 行ったことあるんだ?」


「いえ、行ったことはありません」


「ないんかーい! これはもうあれだね、絶対行ったらビビリ散らかすヤツだよ!」


「問題ありません、幽霊なんて信じていませんから」


「ふーん、じゃあ今度行ってみよっか。日本一怖いとこ」


「結構です。お店が忙しいですからね」


武藤さんの誘いを、丁寧にお断りする。


怖がらない自信はあるが、下手に驚いて武藤さんにからかわれるのも癪なので、しっかりと断っておく。


「忙しくないでしょ、あんな普段ガラガラなのに」


「あ、馬鹿にしましたね? 今ミニドリップを馬鹿にしましたね?」


「いーやー? 私は事実を言っただけだしぃ?」


「まったく、本当に素晴らしい性格をしてますね、武藤さんは。結婚できるのも果たして、何年後になるのやら」


「あーあー。あの筋肉が素敵な人、連絡先知りたかったなぁ」


ふいに先ほどのことを思い出したのだろう、武藤さんがため息混じりにぼやく。


「あの人は、武藤さんには合ってないと思いますよ」


「えぇー? そうかなぁ」


「武藤さんに合う方はきっと、世話のかかるタイプと言いますか」


「……なるほど、はるちゃん系か」


「どういう意味ですか、それ」


私が世話のかかるタイプだなんて、心外である。


「いやー? ま、でも? 私はどうやらはるちゃんのお姉ちゃんみたいだからなー」


おそらく先ほど、咄嗟とっさに出した私の嘘のことだろう。武藤さんがわざとらしくからかってきた。


「あれはその、パッと思いついた中で一番それっぽい嘘だったと言いますか……」


「ふーん? はるちゃんみたいな妹ねぇ。手間がかかって大変そうだなぁ」


「武藤さんみたいな姉の方が、困りますよ」


「ほほう! 言ってくれるねー!」


「とは言ったものの、武藤さんって妹や弟とかいそうですよね。実際いらっしゃらないんですか?」


会話の中で生まれた、何てことない疑問を武藤さんに投げかける私。


「…………」


一瞬、静寂が車内を包む。窓から入ってくる風の音さえ、聞こえなくなってしまうほどに。


その一瞬が、何故だかとても長く感じられた。


「……武藤さん?」


訝しむ私に、すぐさま武藤さんが反応する。


「え? ああ、ごめんごめん! ちょっと運転に集中してた! えっと、何の話だっけ?」


どこか慌てた様子の武藤さんに、若干の疑問を感じつつも、私は話を続けた。


「ですから、その、妹さんとか――」


そう言いかけて、私は言葉を失ってしまう。


武藤さんの表情を見て、それ以上言葉を発することが出来なかった。


いや、厳密には違う。これ以上聞いてはいけない、そう思ったのだ。


見間違いかもしれないが……武藤さんの目が、潤んでいるように見えたから。


まるで、悲しみをこらえているかのような……そんな様子。


人には、触れてはいけない部分がある。一線を超えてはならない、これは沢崎さんの時にも思ったことだ。


きっと、これ以上……踏み込んではいけない。


「……いえ、何でもありません」


「……そっか」


そんな私の一言に、武藤さんは小さな声で答える。


消え入るような声で、ありがとうと言った武藤さんの声を、私は聞き逃さなかった。


窓の外に広がる海、水平線に沈みゆく夕陽を見つめて。私はミニドリップに到着するまで、武藤さんのことを考えていた……。

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