第3話 思い出はばらつきすぎて


「わあ、これはすごいな……」


 スリッパに履き替えて中に入った私は、思わず感嘆の声を上げた。隣室との仕切りを払った居間を最大限に利用した空間は、店名通り大量の『昭和』で埋め尽くされていたのだ。


 黒電話、足踏みミシン、ブラウン管テレビといったテレビでもよく見る、レトロなディスプレイに混じってゲームの画面が付いたローテーブル、ごてごてした少年用の自転車、スピーカーが三つも四つもある巨大ラジカセなど、時代も用途も謎な物体が所狭しとひしめいていた。


 どの辺がどう「間違っている」のかはわからないが、少なくとも昭和を思わせる物品をなりふり構わずかき集めたことだけは確かなようだった。


「開店前で片付けてないんだ。悪いけど適当にその辺に座って」


 由人はとても接客の仕事に従事しているとは思えない口調で私に言うと、カウンターの奥に引っ込んだ。


「これじゃ片付けてあっても同じだわ……」


 私は満席になっても客より古道具の方が多そうな店内を見て、思わず肩をすくめた。


 やがて香ばしい匂いがあたりに漂い始めたかと思うと、エプロンをつけた由仁がコーヒーと、私が持ってきたクッキーを乗せた皿を手に姿を現した。


「当店の一押しメニュー、アラビカ豆とブラジルを独自に配合した『昭和ブレンド』だよ。遠慮せずにどうぞ」


 私は「いただきます」と言って出されたコーヒーに恐る恐る、口をつけた。意外と言っては失礼だが、コーヒーは物置みたいな店内とは真逆に本格的な深みのある味だった。


「ところで」


 鼻腔の奥に広がる豆の香りを十分に堪能したところで、私はカップを置いて口を開いた。


「どうしてこのお店『間違った昭和』なんていう店名なんですか?」


「ああ、それか。よくテレビ番組なんかに昭和に詳しい若者が出てくるだろ?でも話をよく聞くと昭和の前期も後期もまぜこぜにしてるんだ。だったらいっそ本当にごちゃまぜにしてやろうと思ったのさ。幸い、うちには古い昭和の道具が山ほどあるんでね」


 由仁はそう言うと、私の前を離れてフロアの隅へと移動した。


「この巨大ラジカセは84年の物、隣のテーブル型テレビゲームは79年、この自転車は……」


 店主の顔でも漫画家の顔でもない、ただの昭和少年と化した由仁は、私の反応などお構いなしに店内を埋めるディスプレイを片っ端から解説し始めた。


「店名の由来はもういいです。今日、お邪魔した理由は別にあるんです」


 私が佳境に入ってきた解説を半ば強引に遮ると、由仁は肩越しに振り返って「別の理由?」と目を丸くした。


「私、実は二か月前まで漫画家だったんです」


 私が何の前触れもなく始めた身の上話を、由仁はもふんふんと相槌を打って聞き続けた。


「なるほど、そう言えば昔、親せきにそんな子がいたな。もしかすると君、僕の漫画を見て「気持ち悪い」とか「目が痛くなる」とか言ってた子だろう?」


「ごめんなさい、よく覚えてないです……」


 私は咄嗟にとぼけたが、実を言うと少しだけ記憶に残っていた。言い訳をするつもりはないが、それまで児童向けの漫画しか見たことのない子どもが異様な描きこみで真っ黒になった原稿を見たらそれくらいの感想は口にするだろう。


「……それで、今でも漫画は描いてるんですか?」


「もちろん!……そうだ、そいつを飲み終えたら二階の仕事部屋に案内してあげよう。ちょっと散らかってるけどね」


 ――このフロア以上に散らかってるとなると、相当な覚悟が必要だな。


 妙な雲行きに戸惑いを覚えた私が、コーヒーを飲み終えたにも関わらず返答を渋っていたその時だった。


 突然、「バカン」と音がして、安っぽい電子音がフロア中に鳴り響いた。


「な……何?」


 驚いて音のした方に顔を向けた私が目にしたのは、展示されているスポーツ自転車の開閉式ライトがまばゆい光を放ち、ウインカーが音を立てて点滅している光景だった。


「おっ、お客さんかな?」


 由仁は壁からストラップで下がっているトランシーバーを手に取ると、耳に押し当てた。


「はい、開いてますよ」


 由仁が壁にトランシーバーを戻すのと同時に引き戸が開く音が聞こえ、同年代くらいの男性が痩せた身体を縮こまらせながら中に入って来るのが見えた。


「おお、よかった、開いてた」


 ほっとしたようにカウンターに近づいてきた男性客を、由仁は「いい所に来た、西岡君。これから追い込みなんだ」と店主とは思えぬ態度で出迎えた。


「はるばる豪雪の中をやってきた客にいきなり仕事をさせる気ですか、センセイ」


「だってここに来るのは君の習慣だろう?仕事を用意しておくのは僕の義務だ」


「今日はさすがにコーヒーだけでも……」


「いや、今日は見学者も来てるんだ。しかも仕上がってないページが三ページもある。こんな恵まれた状況はそうはないよ」


 身勝手な理屈を並べたてる由仁に、来客は困惑顔のままその場で固まっていた。


「あの、なんだか忙しくなってきたみたいなんで、お話はまた今度、伺います」


 私がそう言って椅子から腰を浮かせかけた瞬間、由仁が「漫画の話を聞きたいんだろう?……ちょうどこれから追い込みなんだ。せっかくだから仕事場を見て行くといい」と目で階段の上を示した。


「いや、ちょっと待って……」


「さあ、ついてきたまえ。階段が急だから、足元に気をつけて」


 由仁は一方的に告げると、私の返答を待たずに階段を上がり始めた。


 困ったなあと後を追うのをためらっている私に、「とりあえずついて行くしかないですよ、見学者さん」と、やって来たばかりの「お客」が言った。


「はあ……」


「僕は彼の古い知り合いで、西岡寿都にしおかひさとと言います。僕は彼の淹れるコーヒーが好きで通ってるだけなのに、締め切りが近くなるとこうやって有無を言わさず手伝わせるんです」


 お客――西岡は、とんとんと階段を登ってゆく由仁の背中を見遣ると、やれやれというように両肩をすくめてみせた。



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