第2話 会わないよ


 私の名前は星冲聖園ほしおきみその。失業したての二十六歳だ。


 幼馴染の彩実あやみと一緒に上京、美術系の学校を出てウェブデザインの会社に就職したが指導担当の先輩とトラブって失職。自棄を起こしてSNS上に描き散らした漫画が出版社の目に留まり、なし崩し的に漫画家デビューを果たすという数奇な人生を送ってきた。


 そして二か月前、担当編集者から戦力外の通告を受けた私は、「すぐ帰ってきなさい」という母の言葉に逆らう気力もないまま、逃げるように故郷である北の街へと戻ってきたのだった。


 あらゆる意欲を奪われ、家事すら手伝わず何週間もごろごろしている私に母は「あんたの力になってくれそうな人を思いだしたから、会いに行ってみない?」と実質的な出動命令を放った。


「そんな人、いるわけないじゃん。肝心の私が動けないんだから会うだけ無駄だって」


「まったく、屁理屈だけは一人前なんだから。無駄かどうかなんて会ってみないとわかんないでしょ。ちゃんと話をしてこないうちは家に入れないからね」


「面倒くさいなあ。……一体何者なの、その人」


「私の一回り下の従弟よ。あんたも小さい時に会ってると思うけど」


「覚えてないなあ……なんて人?」


鵡川由仁むかわよしひと。確かあんたが「漫画のお兄さん」って呼んでた人よ。……もうおじさんだけど」  

 

 漫画のお兄さんと聞いた瞬間、私の脳裏に一つの顔がぼんやりと浮かび上がった。子供のような丸顔の、眠たげな目をした青年。わたしがせがんだのかたまたま持っていたのか、凄く細かいタッチで描かれた漫画らしきものを見たような記憶が微かにあった。


「そう言えばそんな親せき、いたような気がする……すっかり忘れてた」


「あんた漫画描いてお金もらってたんでしょ?何かアドバイスして貰えるんじゃないかと思って一応、メールを送っといたわ」


「今でも描いてるの?」


 私が驚いて尋ねると、母は「どうかなあ」と苦笑し「親の家を改装して喫茶店をやってるみたいだけど、漫画の方は現役かどうかわからないわ」と言った。


「じゃあとりあえずその喫茶店に行けばいいわけね」


「そういうこと。住所はわかってるから、手土産を持って行ってきなさいよ。もし漫画を描いてなかったら、お茶だけ飲んで帰ってくればいいんだし」


 母の楽天的な物言いをベッドに腰かけたまま聞き流した私は、二十年近く前にペンでコツコツ漫画を描いていた人のアドバイスが果たして参考になるだろうか?といぶかった。


 ――描いてるとしても、さすがにデジタルよね。もしかして凄い技術を持ってたりして。


 母の奸計で部屋から引きずりだされた私は、仕方なく美容室に行ってエンジンをかけた。だがその直後、我が町は地元民の私でも驚くほどの記録的な大雪に見舞われたのだった。


                ※


「……はあはあ、このくらいでいいですか?」


 玄関の引き戸が下まで現れたところで私が手を止めると、店主は「うん、これなら入れそうだ。助かったよ、ありがとう」と言って頭を下げた。


「さて、玄関も見えたところで開店といくか……おっと、その前に」


 店主は思いだしたようにそう言うと、引き戸の脇にこびりついていた雪の塊を払った。


「これは……」


 雪の下から現れたのは、流木みたいなごつごつした木を使った看板だった。

「これ……店名ですか?」


「うん、店名。ここで店をやることを決めた時、真っ先にこのフレーズが浮かんでさ」


 店主が自慢げに目で示した店名に、私は「はあ」と微妙な返しをせざるを得なかった。


 看板に彫られていた文字は、こうだ。『間違った昭和』……一体、どういう意味だろう?


「あの、お店に入る前にひとつ聞いてもいいですか」


「なんだい?」


「さっき、ここの店主だっておっしゃいましたね?もしかして鵡川由仁さん……ですか?」


 私が二十年前に会ったきりの親戚の名を口にすると、男性はおやというように目を丸くした。


「いかにもそうだけど……そう言う君は?」


 やっぱり。私は安堵と共に二十年分年を重ねた「お兄さん」に「星冲聖園って言います。あなたの従姉の娘で漫画家やってます」と、クッキーの入った紙袋を見せながら言った。


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