氷来町クロニクル

五速 梁

第1話 冬が来た後で


「あの、ちょっと教えて頂きたいんですが」


 雪で埋もれた小路から真っ白な姿で現れた男性に、私は勇気を出して尋ねた。


「はい?」


「この先に喫茶店があると思うんですが、ご存じないですか」


「……ああ、なんかそんな建物があるけど、埋まってるんじゃないかな」


 やはりそうか、と私はげんなりした。昨夜から降り積もった異常な量の降雪は、地域に建物どころか街ごと埋もれされるほどの災害――雪害をもたらしていた。


「ありがとうございます、探してみます」


「多分開いてないと思うよ。玄関を掘りだすだけで半日仕事だと思うから」


 私は男性の助言に礼を述べると、腰まである凶悪な雪の壁に足を踏みいれていった。


 小路の両側にはビルもマンションもなく、古い木造の低層住宅が雪の中から窓だけを覗かせていた。


「うわっ、そもそもこの通りって……誰も住んでないんじゃない?」


 人の通った足あとの上を踏み外さないよう歩きながら、私はぼやきを口にした。実際、ほとんどの住宅が玄関すら見えず住人の出入りした痕跡もない。人が住んでいるなら命がけで這い出して除雪に勤しんでいるはずだ。


 ――まして喫茶店でしょ?やってるなら入り口ぐらい見えてて当然なのに。


 こりゃ完全に教えてもらった住所が間違ってたな、私がそう断定しかけた、その時だった。左手に古そうな二階建ての民家と、細く伸びる幅数十センチの溝とが見えた。私の足を止めさせたのは溝が玄関の手前で途切れ、そこに入り口を塞ぐように大量の雪山が見えたからだった。


「あれじゃ人は出てこられない……なのにこの溝は?」


 路地の側から掘って山の手前で断念したのかなと思いかけ、私は首をぶるんと振った。


 ――違う。だってあれ……人だ!


 雪の山からつき出している手袋をはめた手を見て、私は思わず駆けよった。おそらく玄関の前を開けていて、庇から落ちた落雪に埋まってしまったのだろう。



 私は慌てて周囲を見回し、突き刺さるように埋まっているプラスチック製の雪かき――この辺ではジョンバと呼んでいる――を引き抜くと手首近くの雪に突き立てた。


「うっ……ううっ」


 雪かきの先端が何か弾力のある物体に当たるのと同時に、くぐもった呻き声が聞こえた。


 私が咄嗟に雪かきを引くと雪の中から突然、ニット帽を被った人の上体が姿を現した。


「あ…………」


 雪山から「掘りだされた」人物は眼鏡をかけた中年男性で、雪塗れのまま力尽きたようにその場に突っ伏した。


「あーっ、助かった。……死ぬかと思った」


 私は思わず「死んでるかと思いました」と言いそうになったが、深く問うようなことはせず男性が起き上がるのを待った。


「おや?……ひょっとして僕を救出してくれたのは、君かな?」


 男性は眼鏡にくっついた雪を払うと、たった今気づいたかのように目を瞠った。


「ええ、まあ……助けたというほどのこともないですけど」


「いやあ、これは失礼。玄関前の除雪をしていたら急に上から雪が落ちてきて……君が気づいてくれなかったら春まで雪に埋もれたままになるところだった」


 男性はそう言うと、人懐っこい笑みを浮かべた。四十代くらいだろうか、命にかかわる事故に遭ったばかりだというのに少しも恐怖を感じていないように見えた。


「あの……生還されたばかりで申し訳ないんですが、この辺りに古民家風の喫茶店があると聞いてやって来たんですがご存じありませんか」


 私がおずおずと尋ねると、男性は「ああ、だったらうちじゃないかな」と言って半分雪に埋もれた目の前の家屋を指さした。


「えっ、ここが……?」


 私が驚いて玄関の庇から上しか見えない建物を見遣ると、男性は「せっかく訪ねてきてもらったのに申し訳ないんだけど、見ての通り準備中なんだ。営業時間までに玄関だけでも見えるようにしないと臨時休業になってしまう。……というわけですまないが、店を掘りだすの手伝ってもらえないかな」


 男性は少し離れた場所に刺さっていた雪かきを引き抜いて私に手渡すと「無事に開店できたら、当店自慢のコーヒーをご馳走するよ」と言って眼鏡に溜まった滴をぬぐった。

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