救いの手

 「あ、虫が車に入ってる」


 私が運転していると、助手席で息子が呟いた。その視線の先を見ると蚊のような小さい羽虫が、ガラスに向かいがむしゃらにぶつかっている。


 「外に出してあげなさい」


 私は手元のボタンを押して、息子側の窓ガラスを下げた。息子は虫が進む方向に手で壁を作って、窓の外へ誘導しようとする。


 けれどひどく矮小な虫からすれば、とても大きな人間の手は自らに危害を与える存在に思えるのだろう。救いの手が差し伸べられているのにも関わらず、その手を避けて車の中へ中へと戻っていく。


 「違うよ、こっちだよ」


 思わぬように進まないので息子がじれったく手を出したその時、虫はプチリと潰れてしまった。唐突に死を与えてしまったショックで、彼の顔が暗くなる。


 「仕方ないさ。不慮の事故だったんだよ」


 私は息子へ優しく言葉を投げかけた。そう、しょうがないのだ。力を持っていて救おうとしても、意志の疎通ができず誤解されてしまえば何も意味が無い。


 ──それにしても、どこまで車を走らせよう。こんな事態は初めてで、どうすればいいかも分からない。カーラジオからまたもニュース速報が流れる。


 "地球上に飛来したUFOは次々と人を攫っている模様です!皆さんお逃げください!中には逃げた先で事故に遭い亡くなった方もいますので運転などにはくれぐれもご注意を──"


 私はふと考える。もしかしたらこのUFOも、救いの手を差し伸べるために飛来したのではないだろうかと。


 …けれど、私にそれを信じる度胸はない。あんな巨大で未知で、人の手に負えない物を見てしまったら、もう恐怖しか湧かないのだ。


 ──道の先に森が見えてきた。あの中に入れば、ヤツらの目から逃れられるかもしれない。淡い期待を込めてアクセルを踏む。もっとだ、もっと深く。森の中へ、中へ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る