第15話 悪霊叢 霊能研究家と角有り少年

 青いスーツの女性は、懺悔室ざんげしつを珍しそうに見回していた。

 冥界側めいかいがわの扉の前で老人を見送っていた角無し鬼が、自分のソファへ戻る。

 老人がいたソファに座っている女性は、目の前に腰掛けた角無し鬼に目を向けた。

「私、霊能研究家なんです」

 と、女性は言った。

 黒テーブルにはホットのレモンティーが用意されている。ティーカップと輪切りのレモンが数枚、長細いソーサーにセットで乗せられていた。

 ――面倒な人かな。

 と、角無し鬼は思ったが、女性は、

「まぁ、いくら研究したことを頭に入れていたって、実際はその通りじゃないのもわかっているんですけどね」

 と、笑って言っている。

「どんなことを研究していたんですか」

 角無し鬼はレモンティーのカップを手に取りながら聞いた。

「心霊現象と言われるもの、全般です。オタクって言われたくなくて霊能研究家って名乗ってました。自分で名刺を作ってバラ撒いてるうちに、何度か心霊現象で困ってるって家にも呼ばれたりしました。でも、ほとんどボランティア状態で。それとは別に、派遣社員で生計を立てていたんです」

 そう言って、女性も輪切りレモンを紅茶に入れた。ティースプーンで軽く混ぜ、レモンを取り出し、カップを口へ運ぶ。

「見える性質たち、と言うやつですか?」

 と、角無し鬼は聞いてみる。

「はい。一応。なんと言うか、全て見えるわけではなかったと思うんですけどね。でも、霊が見えても見えなくても、見えるものだけが全てではないのだろうなと思っていたんです」

「なるほど。その通りですね」

「死んでも報われない人がいるなら、生きている人間が出来ることもあるんじゃないかって思っていたんですよ」

「そのお考えは、良いことだと思います」

「……こういう場所があるんですねぇ」

 と、女性は白壁に囲まれた懺悔室を見回した。

「ここは、あの世の手前の懺悔室です。この世に残る霊の増加に対応するため、用意された場所です。未練が残っていたり、逝き先がわからずこの世に留まっている死者たちの話を聞かせてもらっています。お茶やお菓子があると話も進みやすいので、僕は勝手にティールームなんて呼んでいます」

 と、角無し鬼は話し、ティーカップを持ち上げて見せた。

 女性は感心するように頷きながら、

「死者専用のカウンセリングルームみたいね」

 と、言った。

「大したことはできないんですけどね」

 角無し鬼は、女性の腹部を見た。中に居るはずの悪霊に意識を向けてみる。

「……あなたはもしかして、他の幽霊に取り込まれてしまっている事を御存じでは?」

 と、角無し鬼は聞いてみた。

 目をパチパチさせてから、女性は小さく頷いた。

「あ、はい。やっぱりそういう状態ですよね。研究していた事が何か役に立つんじゃないかと……いえ、死んでからは興味本位に色んな霊を見ていただけなんです。そうしたらある日、変な幽霊を見付けました。強い怨念おんねんかたまりって事はわかりました。その幽霊には関わらない方が良いって感じたんです。でも、興味を引かれて……まぁ、この始末なんですけど」

「そうでしたか」

「何人か、居なくなったようですが」

「四人抜けて、冥界への道を進まれました」

「それは良かった……良かったんですよね?」

「はい。死者の自然な逝き先ですから。留まるよりずっと良いと思います」

「もう一人、小さい子が残っています」

 と、女性は自分の胸に手をあてて言った。

「小さい子……」

「あなたと、同じくらいの小さい男の子です。それから、よくわからない強い怨念がひと塊」

「怨念がひと塊ですか」

 角無し鬼は苦笑いだ。

「最後に貴重な経験が出来ました。私の見送りはいいので、この子の話を聞いてあげてください」

 そう言って女性が立ち上がったソファには、すでに白いポロシャツの男の子が現れていた。

「それじゃあ、どうもー」

「あ、はい。どうも」

 軽く挨拶をすると、女性は冥界側の扉をくぐっていった。



 静かに冥界側の扉が閉じると、角無し鬼は人界側じんかいがわのソファに座る少年に目を向けた。

 白のポロシャツに茶色の半ズボンを履いた少年だ。キョトンとした表情を角無し鬼に向けている。

 少々、昔の死霊に見えた。亡くなってから時間がたっているのが角無し鬼には感じられた。

 黒テーブルのレモンティーは片付けられ、甘いオレンジジュースが用意されている。

「こんにちは。僕は、角無し鬼」

「角無し? 鬼でも角が無いの?」

 少年はあどけない声で聞いた。

「そうだよ」

「誰かに取られちゃったの?」

「元々無いんだよ」

「病気?」

「うーん、病気みたいなものなのかな。僕と同じ種類の鬼達は角があるからね」

「……僕は人間のはずが、角があるんだ」

「え?」

 少年は、ふんわりとした前髪を除けて見せた。

 額の左上に、小さな突起があった。

「角があるの……僕は鬼なの? 化け物?」

 尋ねる少年の目がかすかに潤みだした。

「頭蓋骨が、出っ張っているようだけど。鬼とは違うよ」

 と、角無し鬼は答える。

「普通じゃないんだ。ずっと、化け物みたいって言われてた」

「普通じゃなくても、君はただちょっと変わった人間だよ」

「本当? 田舎のおばあちゃんに、鬼の子って言われてたんだ。鬼の子を孕んだってお母さんを虐めるから、僕もお母さんにずっと虐められてた」

 頭を掻きむしるように髪をかき混ぜ、少年は額の角を前髪で隠した。

「可哀そうに」

 角無し鬼はストローの刺されたオレンジジュースをひと口飲み、

「ジュース、良かったらどうぞ」

 と、少年にも勧めた。

「ありがとうございます」

 少年はお礼を言ってから、ジュースのグラスを持ち上げた。

 視線を落としたまま、少年はオレンジジュースを飲んだ。

「僕は角が無いけど、人間に見える?」

 と、角無し鬼は聞いてみる。

 少年は角無し鬼の翡翠色ひすいいろの頬、苔色の眼、そして頭を見つめ、

「……見えない」

 と、答えた。

「だろ? 僕にも、君は角があるけど鬼の子には見えない。人間にしか見えないよ」

「本当?」

「うん」

「そうなんだ……それが知りたかったの」

 前髪を弄りながら、少年は額の角に触れている。

 角無し鬼の肩越しに冥界側の扉を見つめ、

「僕も、死んだ人間用の道へ進んでも良いの?」

 と、少年は聞いた。

「もちろんだよ」

 角無し鬼が頷くと、少年は涙を擦って笑顔を見せた。

 少年が立ち上がると、当然、ソファは空になる。

 角無し鬼は少年の背を冥界側の扉へ促しながら、少年の座っていたソファにもう一度目を向ける。ソファは空っぽだ。

「ありがとう、鬼さん」

「どういたしまして」

「あの、あんなの連れて来ちゃって、ごめんなさい」

 と、少年は怯えた表情で懺悔室の中を指差した。

「……大丈夫だよ」

「ごめんなさいっ」

 突然、少年は冥界への道を走り出した。

「……」

 扉を閉じ、角無し鬼は恐る恐る振り返った。


 先ほどまで少年が座っていたソファには、黒い塊が現れていた。

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