第14話 悪霊叢 地獄の沙汰も金次第
――また地獄行きの人か。
「なにを、お持ちなんですか」
と、角無し鬼は声をかけてみる。
薄い
怯えるような表情を見せながら、両腕で紫色の風呂敷包みを抱えている。
「地獄の
老人はガラガラ声で言った。
「ことわざですか?」
「だから、持って来たんだよ」
「あぁ……え? その包みはお金ですか」
「大きな声で言うんじゃないっ。物騒じゃないか」
そう言いながら、老人は小さな
「ここには、他に誰も居ませんよ。それを、地獄へ持って行くおつもりで?」
「
「さぁ、どうでしょうね」
「やっぱり、現金もいるんだろう。どうやって持って行けばいいんだ。俺には金がある。布に包まってるのが金とは思わないだろうと思って、盗まれないように風呂敷包みにしたが、やっぱり硬いアタッシュケースにするんだった。持って行こうとすると消えそうになるんだ。地獄の沙汰が変わるんだろう。消えられちゃ困るんだ」
大きな風呂敷包みを抱え直しながら、老人は話す。
「地獄の沙汰が変わるかどうかは、どうでしょう……逝き先によっては、あなたの稼ぎだした金額が
「どうすれば持って行けるかを聞いてるんだ。まさか、六文銭なんて言わないでくれよ。
「ええ。そうですね」
「どこかに両替所があるなら、寛永通宝に替えても良い」
そう言って、白壁の懺悔室をもう一度見回している。
「持って行けません」
角無し鬼は静かに言った。
「あなたはもう、何も持っていないんですよ」
「なに言ってるんだ」
「元々置いてあった場所を離れてから、包みの中身を確認しましたか?」
「……」
よく見れば、薄い風呂敷の上からでも重ねた札束を包んでいるのがわかる。
老人は、膝の上で風呂敷包みの結び目を解いた。しかし風呂敷はひらりと広がり、その中には何も包まれていなかった。
硬直する老人の膝から、一枚の風呂敷だけが床へ落ちた。
「――なっ、ない! どこ行った!」
声を上げて老人が立ち上がる。
「あなたが『あるつもり』でいた気持ちで包みは膨らんでいましたが、無いことを確認してしまえば、それも消えてしまいます」
「なんだって――」
「幽霊が、物を持てるはずがないでしょう?」
床へ落ちたはずの紫の風呂敷も消えている。
「お前が、風呂敷を開かせたから消えたんじゃないか……詐欺だっ、金を返せっ!」
「あなたが、そこにあるつもりでいたお金、今どうなっているか見てみましょう」
「いま……?」
黒テーブルに、薄く水が張られた大きな盆が現れた。
「
水盆には、高級そうな棚や壺の置かれた和室が映されていた。
ひとりの女性が、床の間に並ぶ調度品をどけながら、何か探している様子だ。
「息子の嫁だ……俺の部屋でなにしてる」
「奥様と息子さんもこちらに」
部屋の全体が映ると、老人によく似た小太りの中年男と上品な白髪の夫人の姿があった。
初めに映った女性が、
『あ。これかしら』
と、床の間の奥から抱え上げたのは、先ほどまで老人が抱えていたのと同じ紫の風呂敷包みだ。
老人が目を見張る。
白髪の夫人が、
『あった、あった。こんな大金を用意させて、何に使っちゃったのかとひやひやしていたのよ』
と、言っている。
『後から出てきた金って、どうなるんだっけ?』
と、笑いながら言っているのは小太りの中年男だ。
『あら、もうお義母さんのお家になった場所から出てきたものでしょう? 生前に引き出されていた額だって、弁護士に何も言われなかったんだし、お義母さんのもので良いじゃない』
『少しずつ母さんの預金に入れていけば、変に思われないだろう』
『そうだ。夏彦が大学受かったら、すぐに入学金を入れなくちゃいけないんだけど』
『あぁ、使っちゃって。入学金も授業料も、みんなここから使ったら良いわよ』
『本当? 助かるわぁ』
水盆の映像が消える頃には、老人はがっくりと項垂れてしまっていた。
「……戒名と坊さんの経だけで、俺は極楽へ逝けるのか?」
「わかりません。まだ、この先でのことですから」
「本当に、お前が風呂敷を開かせたせいじゃないんだろうな」
「違います。僕だって、人の世のものには触れないんです。鬼ですから」
「鬼っ?」
角無し鬼の頭を見る老人に、
「あぁ、角はないんです。角無し鬼という鬼なので。あなたのように何か持って行こうとうろうろしていたり、逝くべき道へ進めずにいる死者のお話を聞かせてもらっています」
と、角無し鬼は話した。
「逝くべき道……」
「お嫁さんも助かったと言っていたじゃないですか。あなたのおかげだとすれば、それは
「善行……そうか。そうだな……」
やっと何かを飲み込めたらしい。
残念そうな表情ながら、老人はソファの背もたれに寄りかかって軽く笑った。
「余命宣告されて、死んだ後の立場が心配になった。どうなんだろうなぁ……」
黒テーブルには熱い緑茶が用意されている。
「残った奥様は、あなたが用意していたお金のこともあって、息子さんご夫婦といい関係で過ごせそうですよ」
「金の切れ目が縁の切れ目とも言うな」
「その人にお金がなければ必要ないと言うよりは、自分たちでお金を用意することで頭がいっぱいになって、その人との関わりにかまっていられなくなってしまうというのが正しいのだと思いますけどね」
角無し鬼が言うと、老人はうんうんと頷いた。
「あ、ほら。見てください」
仏壇に手を合わせる夫人の姿が、水盆に映っていた。
真新しい仏壇の中には、スーツ姿の老人の写真があった。現在の寝間着姿とはずいぶんと印象が違って見える。
「浅子……」
「あなたの冥福を祈ってらっしゃいます。地獄の沙汰には、そういうのが重要なんです」
「そうか……そうだな」
自身を納得させるように深く頷き、
「もう、逝くよ」
と、老人は言った。
「はい。お気をつけて」
黒テーブルから広がる緑茶の香りが、レモンティーの香りに変わった。
項垂れる死者ばかりだったが、次に現れていた女性は、珍しげに懺悔室を見回していた。
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