第13話 悪霊叢 クレーマー

 強い怨念をもつ浮遊霊の集合体、悪霊叢あくりょうそう懺悔室ざんげしつへやって来た。

 成仏を拒む死者は懺悔室に入れないはずだった。それは、どう頑張っても冥界へ進む扉を通ることができないからだ。

 しかし悪霊叢に捕われた霊たちは、愁いを晴らしてあの世へ逝くことを望んでいる。

 角無し鬼はできることを頑張ろうと、集合体の表面に現れる死者を、ひとりずつ冥界へ送っていく。



 青年の抜けた悪霊叢あくりょうそうの表面には、卑屈ひくつそうな中年男性が現れていた。

 火をつける仕草もなく、初めからタバコを咥えている。

 黒テーブルが慌てて、男の前に灰皿を出していた。


「どうせ、地獄に行くんでしょ?」

 目の前に座る角無し鬼が小さな子どもでも、気にせず男はタバコの煙を吐き出している。

「何故ですか?」

 煙たそうに目を細めながら、角無し鬼は聞いた。

 先ほどの青年とは正反対の死者だった。

 大袈裟おおげさな溜め息と一緒にタバコの煙を吐き出すと、

「何故ってねぇ。お宅は僕の行き先、わかるんでしょ?」

 と、言った。

「まだあの世の手前ですから、詳しくはわかりません」

「あの世行ってからじゃ遅いでしょう。目録とかもらえます?」

「何の目録ですか」

「色々あるでしょ? とりあえず、死後の旅のしおり。それから僕の罪の目録とか、罰の目録とか。ここにあるもので良いですよ」

「お渡しできるような物はありません」

 小さく首を傾げながら角無し鬼は答えた。

「お菓子も、この部屋の中でお召し上がり下さいって?」

「はい」

 いつの間にか灰皿の隣には、ホットコーヒーと適当な茶菓子が用意されていた。

「じゃあ、もう良いよ。他の人呼んで」

 男は短い足を組み、ふんぞり返るように背もたれに寄りかかった。

 もう一度、溜め息のようにタバコの煙を吐き出している。

「僕の上司とか、管理者とかですか?」

 角無し鬼は、鼻で笑ってやった。

「なに笑ってんだよ! 客に向かって失礼だろうっ」

 この類の相手なら、大声を出されても角無し鬼は驚いたりしない。

「僕があなたに礼を払う必要はないんですよ。ここはサービスを提供する部屋ではありませんから」

「はぁっ?」

「あなたは死んだんです。生前あたりまえに取っていた態度など、忘れることですね。まあ別に、生前も許された横柄さではないんでしょうけど」

「……話にならないな。なんでこんな所に連れて来たんだ」

 ――それはこっちが聞きたい!

 と、言いたくなるのを我慢して角無し鬼は、

「あなたの罪の目録とおっしゃいましたが、あなたの罪はあなた自身に蓄積されているものなんです。僕を含め、死者たちに関わる存在はそれを見ることができます。あなた自身に書き込まれているようなものなので、あなたが見られるような冊子になってたりはしないんです」

 と、話した。

「何がわかるって言うんだよ!」

「例えば、あなたの度を越したクレームが原因で、自殺した女性がいますね」

「……なにを馬鹿な。そんなの人のせいにされては困るね。あちこちでクレームを出していたんだ。あんな様子じゃ無理もないだろうけどね。だけど、こっちだってちゃんと仕事してもらわなきゃ困るんだよ」

「相手がちゃんと仕事できるように、揚げ足を取り続けたりせずに黙ってれば良かったじゃないですか」

「ただの質問を変な言い回しで言うんじゃない! 聞きたいことを聞いただけだろうっ」

 男は怒鳴って言い返すばかりだ。

 角無し鬼は少々疲れた顔になりながら、

「ありのままを言葉で表現しているだけです」

 と、答える。

「知識豊富な年配担当者だと委縮するくせに、客対応に不慣れな若い女性とわかると横柄な態度を取る。あげく、別人まで装って支店へ何通もクレームを入れ、本社や、関係のない周囲の店舗にも実名を出して。相手ばかりが悪いように捏造していましたね」

「そんな覚えはない」

「あなたが忘れていようと、悪くなかったことにしようと、その事実も含めてあなたに蓄積されているんです。彼女の自殺を知ってもなお、あれじゃいつかそうなると思ったなんて笑っていましたね。自分の責任など少しも感じることなく」

「少しは感じた!」

「その様子は見えません」

「さっきから、何を証拠に言ってるんだっ」

「僕が、人間に見えますか?」

 と、角無し鬼は聞いてみる。

「なんで話を変えるんだ」

「変えてませんよ。僕が人間に見えますか」

 男は、じろじろと角無し鬼の全身を見回した。

「……そんな緑色の人間はいないだろう」

「はい。僕は角無し鬼と言います。角の無い鬼です。本来は、地獄で罰を受ける死者が、心の底から反省したり、どれほどの罪を犯したのか理解しているかを見る務めをしています。今は、ここで似たような対応もしています。そういう能力の鬼なんです」

「……」

「この先は、現在の思考や過去の事実が見える存在が相手になる世界なんです。でも、まだ側ですから。これ以上、罪が膨らむような態度はしない方がいいです」

「話にならない。帰らせてもらう」

 腰を浮かせる男に、

「いつまでも嫌がってこの世に残ろうとする霊を、直接地獄へ連れて行ける存在もいます」

 と、落ち着いた表情で角無し鬼は言った。

 どっかりとソファに座り直し、

「今度は脅しか。死出の旅路の案内人ってやつだろう」

 と、男は言う。

「いいえ。案内とは違います。強制的に運ぶんです。その場合、あなたが自分の足であの世へ向かうより、罪が大きくなります。悪あがきをし続けている状態になるので」

「……」

「どうしますか」

「……自分の足で行けば、本当に罪が軽くなるのか」

 ――そんなことは言ってない。

 とは言わずに、

「罪が重くなる訳ではなくなります」

 と、答える。

「……」

 視線を泳がせながら考える男から視線をずらし、角無し鬼はホットコーヒーをひと口飲んだ。

「その先へ行っても、正当な発言をする場所はあるんだろうな」

「はい」

 すぐに立ち上がると、

「時間を無駄にした」

 などと言い捨てながら、男は角無し鬼の横を通り過ぎる。

 角無し鬼が立ち上がって振り返ると、いつも以上に冥界側の扉が小さく見えた。男の体が膨らんでいる。

「なんでこんなに小さいんだ! 通す気がないのかっ」

 文句を言い続けながら、男は小さなドアノブを摘まみ冥界への扉を開けた。

「地獄へ一直線じゃないだろうな」

 死者の門への道は見えているらしい。

「違いますよ」

 腰を屈めて冥界側の扉をくぐると、男はわざとらしく舌打ちをした。後ろ手にバタンと乱暴な音を立てて扉を閉める。

「どれだけ歩かせる気だ! 先が見えないぞ!」

 なにやら文句を言いながら進んで行く。しかし、進んだ死者が戻ることはない。

 角無し鬼は、ほっと溜め息をついた。


「自殺の元凶は殺人罪」

 角無し鬼は扉の前で小さく呟いた。

「わりとすんなり冥界へ向えるのは、それだけ自分の罪を軽く見ているからだ」

 くたびれた表情で、ふーっと溜め息を吐き出した。もう、溜め息ばかりだ。

「生きている人に冥福を祈ってもらえると恩赦になるらしいけど、誰からも冥福の願いが無いみたいだね。さっきの海の人と真逆だ」


 背後でガサゴソと物音がした。

「さて……次だ」

 人界側じんかいがわのソファには、小太りの老人が座り込んでいた。

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