東郷神社の氏子
その男は毎朝出勤する前にその神社に通うことを日課としていた。
司令部として接収した建物と自分の公邸として接収した旧侯爵家の建物の中間地点にあるという事もあり毎朝欠かさず訪れていた。
その神社は彼にとっての英雄を祀った神社だった。。
アメリカの片田舎に生まれた彼は小さい頃から親族のホテルを手伝い旅人から遠方の話を聞き、そして彼らの人となりを観察したことが彼にとっての一生の財産となった。
自立のためにウエストポイントを志願しようとしたが知己である議員の推薦枠がすでに無かったためにアナポリスへ進学することにした。
在学中話題となったのは、丁度勃発した日露戦争だった。
海上での大規模戦闘が日清戦争以外ほとんどなかったため今一番新しい戦いに全世界の海軍関係者が注目していた。
日露両海軍の戦いぶりはすぐさま全世界に伝わった。
そして東郷平八郎の名前を対馬沖海戦を。
世界史上稀に見る大勝利を収めた戦いを彼は知った。
幸運にも彼は卒業直後の練習航海で日本に寄港する。
そして日本側の歓迎式典であの東郷平八郎と会い、彼と話し、胴上げまでした。
会ったのはその時ただ一度きりだったが彼にとっては間違いなく英雄 だった。
むしろ海軍士官の道を歩み続けている間、その念を深く強めた。
丁度アメリカが日本を仮想敵国としてオレンジプランを立案していたこともありまた世界で最も新しい海戦が日露戦争だったため新米士官である彼はいくども日露戦争を研究することになる。
その度に東郷平八郎の偉業を知り尊敬の念をさらに深めた。
彼にとって東郷は英雄でありその思いは東郷が死ぬまで続いた。
二度目の訪日はアジア艦隊に所属する重巡洋艦の艦長として東郷元帥の葬儀に参列すべく寄港した時。
その葬儀に参列して彼にとって神話に昇華した。
東郷平八郎への尊敬の念は日米戦が始まってからも変わらず艦隊司令長官として東郷の弟子たちと戦うことになっても、むしろ戦うことを心の片隅で喜んでいる自分がいたのを否定できなかった。
そのため自ら戦艦に乗り込み戦いを挑もうと言うことを実行しさえしたのだ。
さすがに司令長官にあるまじき行為とされ左遷されたが彼に悔いは無く海軍作戦部長の椅子が遠のいたとしても不満は無かった。
その代わり日本国の占領軍連合軍最高司令官として日本に上陸したことを喜んでいた。
当初こそ日本国民は戦時中のレッテルと日本の史上初めてとなる占領統治に彼を日本国民は恐れていた。
だが彼が東郷神社を訪れ参拝したことは敗戦で傷ついた日本人の心を少しは癒し、彼への心理的障壁を大きく減らした。
天皇との会見を終始和やかに行われた雰囲気を撮影した一枚の写真が新聞に載ることで日本人の彼への心象は良いものとなっていった。
また東郷への尊敬がただのポーズでないこともプラスに働いた。
空襲で廃墟となった東郷神社の再建に尽力し資材を優先して手配した。
ソ連が日本海海戦時の旗艦だった三笠の廃艦、スクラップ化を要求した時彼は断固として拒絶した。
そして横須賀に保管されている三笠が現地の米軍担当者によって水族館やらダンスホールやらに改装されていることを知ると激怒し直ちに修復するよう命令を下した。
そのため彼は太平洋戦争での回顧録を在職中でありながら執筆し、その印税を前払いしてもらうことで三笠の修復費用を寄付することにした。
これら一連の出来事は日本人の心を鷲掴みにし彼を心から尊敬するようになった。
彼の回顧録の日本語訳が原本と同数売れたことからもそれが事実である事は証明できる。
東郷神社の再建の功績もあり東郷神社の氏子総代に就任して欲しいと言う声が上がったのも当然だった。
だが彼は、現在の職責と自分の謙虚さから辞退し氏子の一人として参加するに留まった。
その行為は奥ゆかしさとして日本人に映り、好意的に受け止められた。
お陰で占領統治は、敗戦のショックによる極端な平和主義やGHQ職員の偏見による的外れな仕事、日本政府の陰謀を除けば、すこぶる順調であった。
極東戦争の開戦を迎えるまでは。
集まった参拝者がこの戦争がどのような展開となるのか知りたがっていた。
しかし、祭神との関係上、境内にいる人々の多くは旧海軍関係者が多く、サイレントネイビーの言葉通り、沈黙を守り、部外者を排除し、静寂さを維持していた。
お陰で彼は邪魔されず、心穏やかな時を過ごし、職務を始まる前に落ち着くことが出来た。
これがなければ、戦争の指揮は出来ず誤った命令を下していたかもしれない。
彼がようやく口を開いたのは、送迎車に乗り込み、同乗者に話しかけてからだ。
「それでこの戦争の状況はどうなっているのかね」
「ほぼ奇襲になりました。北日本、北朝鮮、北中国。三カ国が全て同時に攻撃を開始。我が方の陣営は奇襲を受けて被害が大きい上、混乱しています」
G 2のウィロビー 少将は上官であるニミッツ元帥に答えた。
「戦争が起きるとは予想していませんでした。いや起きるはずがないと思い込んでおりました」
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