軍令部動かず

 軍令、作戦系統の最高司令部は軍令部であり、現場監督的な存在が連合艦隊だ。

 日本海軍の戦力を全て指揮下に収めているため連合艦隊が海軍の様に見えてしまう。

 別に間違いではない。

 戦力の集中は、軍事の基本だ。分散投入こそ戒めるべきだ。

 だが、連合艦隊が作戦に口を出したり、軍令部が現場を見ずに無茶な命令を下すのが悪いだけだ。

 ともかく連合艦隊の上、軍令部から作戦中止命令を出して貰う事は出来る。

 佐久田は諦めず、日吉から東急線に乗り込み渋谷から都電を使って軍令部へ赴く。


「これはまた凄まじいことだ」


 鎮守府での演習結果を見て軍令部早朝の及川古志郎大将は絶句した。

 実際毎日状況を確認しているだけに、奇襲の可能性を理解している。


「しかし、作戦は佳境に入っている。今更、変更は難しいな」


 だが、及川大将は海軍大臣も務め、熱心な読書家で、蔵書も多く兵学校朝時代の住居は兵学校の図書室より充実していると言われた程本が好きだ。行きつけの書店に及川担当の店員が付くほど知識豊富だ。

 漢文への造詣が特に深く、中国の文学者でさえ知らない知識を持っている。

 しかし決断力がなく、このような重大なことをすぐに決めることは出来ず、狼狽するだけだ。


「残念だが、作戦は継続中であり、中断するに足る証拠もない」


 隣に付いていた軍令部次長を勤めるかつての上官、小沢治三郎も乗り気ではなかった。

 演習結果が意味するところを理解していたが佐久田の話に乗ろうとはしなかった。


「しかし、奪回作戦は予定より遅れており、こう時間が経過していては米軍の反撃も予測されております。それは明日かもしれません」

「だが、米軍が動いている証拠がない。それに今回は陸軍との共同作戦だ。海軍の都合、予測だけで中止にするわけにはいかない」

「大損害を受ける可能性があってもですか」

「マリアナ奪回は我々の悲願だ。それに空襲を阻止するためにもマリアナは奪い返す必要がある」


 窓の外を見て小沢は言った。

 三月の空襲で一面焼け野原となった東京の姿が映っており、目に焼き付けながら小沢は強く言った。


「これ以上の空襲被害を防ぐためにも、作戦を中止には出来ない」


 B29の空襲で日本の主要都市の大半が空襲圏内にあり、被害を抑える、無くすためには発進基地であるマリアナを奪い返さなければならない。

 迎撃は行っているが、到底迎撃機の数が足りないし、全てを撃墜する事は出来ない。

 完全に防ぐには敵の発進基地を占領する以外に方法はない。

 そのためにマリアナ奪回作戦中止など軍部中枢は考えていなかった。


「では、関東地方への航空隊の集結だけでも。敵を発見した場合、反撃のため、いや来襲する敵機を迎撃するためにも航空隊の増強を」

「サイパンへの支援が足りない。今の海軍に余剰の航空機などない」

「それでは関東地方の防備を担当する当鎮守府の役目が果たせません」

「マリアナを奪回しなければB29が連日やってくる。制圧し空襲の危険をゼロにするのが目下の目標ではないか」

「ですが、作戦が成功すればの話です。その作戦を阻害する要素が出てきました。そもそも作戦期間を超過しており勝機を失っていませんか。そもそも、航空機の余裕がなくなりました。もはや継続することも困難です。このままでは負けます」

「勝ち負けはまだ決まっていない。最後まで全力を尽くすのが軍人だ。以上だ」

「ですが」

「退室したまえ」

「……分かりました。ですが、万が一米軍の反撃が行われた場合。本土を空襲され作戦続行が不可能になります。その場合、早急な作戦中止と撤退をお願いします」

「分かっている。だから下がれ」

「……はっ」


 かつての上官に言われ佐久田は引き下がった。

 マレー作戦や第三艦隊時代のようにはいかないらしい。

 力なく赤煉瓦――軍令部の建物を出て行った。

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