審査委員賞『野辺の出来事』の感想

第二回角川武蔵野文学賞 審査委員賞

野辺の出来事

作者 @sakamono

https://kakuyomu.jp/works/16816700428434013891


 母の妹のサヤ姉が亡くなり久しぶりに姉の家に泊まり、姉と過ごした武蔵野の日々を回顧する物語。


 民俗学者の赤坂憲雄によりますと、「選者賞は、@sakamotoさんの『野辺の出来事』に。サヤ姉の淡い肖像のなかに、東京の郊外としての武蔵野のいまが鮮やかに感じられた」とある。


 いい話である。

 ちょっとしたミステリーを含んでいる。

 前半に散りばめられた謎が、後半明かされていく。

 それでいて、都会にはない武蔵野の風景を感じさせる物語は、まるでその場を訪れたような錯覚を、読者にもたらしている。


 主人公は都心に住む三十五歳の社会人男性、一人称僕で書かれた文体。自分語りで体験談的、実況中継ながら過去の思い出と現代が交差する。川や水、田園の風景描写がよく書けている。

 

 女性神話の中心軌道で書かれている。

 狐火を一緒に見たことのある母の妹のサヤ姉が東京の西の郊外に家を購入したのは十年前。その頃は一泊旅行のようにたずねていたが彼女は生涯独り身で亡くなり、忌明けから一カ月が経つ。

 母にサヤ姉の家を見てくるよう合鍵を渡されたのが三日前。

 路地を歩きながら、サヤ姉と歩いた頃を思い出す。

 じゃらじゃらと砂利を踏むような不思議な音を一度聞いたことがあるのを思い出し、「小豆洗いかな?」腕にしがみつくようにサヤ姉が体を寄せてきた。サヤ姉の家まであとわずかというところで不思議な音はぴたりと止むとサヤ姉がいたずらっぽく笑ったことがあった。

 夜中に目が覚め、窓の外に金色の二対の目がじっとこちらを見るケモノに気づくと、灰色の毛をした細長い体の二匹が綱渡りのように電線上を走っていく。

 翌朝、家の前の落ち葉を掃き集める若い女性と目が会い、甥だと名乗る。「たぶん、お会いしたことありますよ、昔。私、小学生でしたけど」といわれて思い出す。彼女の名はアヤといい、飼っているうさぎがハクビシンに襲われてサヤ姉が見つけたときには肉塊だったと話しながら、川の水で林で拾ったオニグルミを洗う。

 サヤ姉から教えてもらい、毎年ずっと食べているという。

 じゃらじゃらと洗う音を聞いて、「小豆洗いかな?」とかつていった姉は音の正体を知っていたことに気づいて、笑いだしてしまう。

 仏前に備えてとオニグルミを分けてもらい、空を見上げる。

「お彼岸になりますね」とアヤの言葉をきいたとき、路地にまた落ち葉が降ちていく。  


 前半は、回想を交えたサヤ姉と引っ越した先の風景について語られ、ミステリー要素が多く受け見がちな主人公は、忌明けして家の様子を見に行くよう母に頼まれてから、後半はドラマに関わっていく。


 冒頭の秋の夕暮れ、高速道路の橋脚の足元辺りの風に揺れる稲穂に見え隠れして、ぼんやり光るものを「狐火」とサヤ姉は口にしている。が、きっとハクビシンなどのケモノの目の光かもしれない。


「サヤ姉は母の齢の離れた妹で僕の叔母にあたる」という。

 主人公が社会人三年目のころにサヤ姉は家を買ったと思われる。

 四年制大学を出て就職したとすると、二十五歳。

 主人公の母親を、四十代後半と仮定し、「母の齢の離れた妹」とあるので十歳くらい年下と考えて、三十代後半で家を買ったと推測する。

 それから十年後、四十代後半ぐらいにサヤ姉は亡くなったのだろう。


「遊ぶといっても水と緑の多い周辺を散策し、夜にサヤ姉の手料理で酒を飲む、という程度のことだ」とあるけれど、充分だと思う。

 田舎にはなにもない、と都会に住む人は言うけれども、田舎の人に言わせれば、都会にはなにもなく田舎にはなんでもあるという。

 価値観の相違だ。

 主人公は「ちょっとした一泊旅行のようで僕はとても楽しみにしていた」「当時社会人三年目にして会社員生活に行き詰まっていた僕を、気遣ってくれたのかもしれない。その後、僕が何とか気持ちを立て直すにつれて、その交流は間遠になっていったから」と回想している。

 実にありがたいものです。

 主人公自身が病んでいて、癒しを求めていた。そこにサヤ姉が「遊びにおいでよ」絶妙のタイミングで声をかけてくれたから、お邪魔できたのだろう。


 かつては「よくうちに泊りがけで遊びに来た。東京の西の県境に近い山あいの町から、電車で二時間かけてやって来た」とある。

 母親の実家が、東京の西の県境に近い山あいの町にあったのかもしれない。

 妹であるサヤ姉は、緑と水の豊かで妖怪が出てきそうな土地がすきだったから、住み慣れた土地に家を買ったと推測する。

 ひょっとすると、一度は都会に住んだが、喧騒さと日々の仕事に体を壊した可能性も考えられる。生涯独身だったのも、恋愛にも疲れたかもしれない。


 矢川の向こうに立ち並ぶ家々が「どの家もこちらに背を向けていて、裏庭から川へ下りる小さな階段があった」と書かれていて、高山などにもみられる風景だ。

 水道がなく、川の水と生活が密着していた頃の名残としてかかれていて「その場所で何か洗い物をする人の姿を、見たことはない」と現代は水道があるから使われていない様子がさり気なく書かれている。

 田舎に行って、スイカを冷やすために川の水を使ったことを思い出す。川の水は冷たくて夏は気持ちがいい。冬は寒くて冷たいから水道がない時代は大変だっただろう。

 これが伏線で、使っている人がいたと後半つながってくる。


「ハクビシンが飼ってるうさぎを襲った話」は、現実味を感じる。

 ハクビシンが増えている話をしてくれた私の親戚が罠で捕まえていたことを、読んでいてふと思い出した。

 オニグルミを山で拾ってきて洗うくだりにしても、武蔵野を知らないが田舎があって生活を体験したことがある人には、ちょっとした現実味を嘘なく描かれている所から、しみじみと体験談のように本作を味わえると思う。


 田舎の豊かさを思い出させる。

 アヤとの再会は、サヤの贈り物かもしれない。

 最後に、姉のつながりで主人公はアヤと再会するのだけれども、お互いが独身だった場合はこの出会いをきっかけに仲良くなっていくのかもしれない。それもまたいい気もする。

  

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