四章 アリバイと信条

第21話 現場にて


 治安局の学生局員が野次馬やじうまを下がらせ、規制線のロープを張る。現場の入り江を見下ろすことは、とりあえずできなくなった。

 だが、桐華はその情景をすでに脳裏に焼き付けていた。

「……あんな狭い場所で、小笠原先輩は何をやっていたんだろう?」

 独り言のようなつぶやきに、隣のイルモが「分からなくもない」と応じる。目を向けると、イルモはどこかをまっすぐ見つめ、あるいはどこも見ていない、うつろな表情をしていた。

「……もともと、そこの入り江はリサがこっそり練習するのに使っていた。人目につく場所だと、技術が見られたり、そうでなくても人が集まってきてしまうから」

「そんな人目のつかない場所にもかかわらず、先輩は、その……」

 桐華の言葉は尻すぼみになった。その先を言うのは、どうにもはばかられた。

 桐華は目線を下ろして、イルモの右腕にすがりつくアイノに向けた。仕立てて間もない白ブレザーにも劣らぬ真っ白な顔をしている。

「アイノちゃん、大丈夫?」

「……Enエン、怖いデス。人は、簡単に死んでしまうのデスね」

 いつもの元気さは鳴りを潜め、声もか細い。

 イルモが、左手でアイノの髪をでる。

「アイノには、ショックが強かったか。連れてこないほうが良かったかもしれない」

 妹をいたわる兄のおもむきで、イルモはアイノを撫で続ける。アイノも、イルモの腰に顔をうずめた。

 桐華も、アイノを抱きしめてやりたいと内心思った。なにせ、睦美から事件の報を聞き、現場に急行しようと言ったのは桐華なのだ。二人もすぐについてきたとはいえ、言い出しっぺであることは違いない。

 兄妹きょうだいの絆を前に割って入る気にはさすがになれず、代わりに軽く頭を下げた。

「すみません、無理に連れてきてしまって」

「トーカは謝らなくていい」とイルモ。「それは、リサに手を下した張本人がすることだ」

 桐華はそれもそうかと思い直した。いつしか、野次馬はほとんどいなくなっている。

「アイノを寮まで送ってくる」とイルモが言った。「せっかくのお誘いなのに、こんなことになってしまって、すまないな」

「そこで謝るべきは、イルモさんじゃなくて事件の犯人ではないですか?」

 桐華の切り返しに、イルモは少しだけ微苦笑を浮かべた。アイノの肩を抱き寄せ、回頭しようとしたとき。

「失礼する」

 背後から呼び止められ、三人は同時に振り向いた。

 規制線をはさんですぐのところに、グレーのスーツ姿の男性が立っている。肩幅はあるが、背丈はイルモくらいと、さほど大きくはない。それでも威圧感だけは充分に備えていた。

 長めの髪を真ん中分けにし、切れ長の鋭い目つきでこちらを、特にイルモを見ている。

「イルモ・ライネ君だね」と男性がいた。

「……はい、僕です」とイルモが答える。

「私は治安局の清水しみずだ、この事件の捜査を担当する」

 桐華は清水という名前をインプットした。その名のイメージと私という自称がどうにも似合わない、嫌に男くさい人物だ。

「君は、この事件の被害者、小笠原リサのサークルのパートナーだそうだな。是非とも話を聞かせてもらいたい。この後、事務局まで来て欲しい」

 桐華はひとり顔をしかめる。希望を伝えるようでいながら、有無を言わせない口ぶりだ。

 イルモは「分かりました」と答えつつ、一瞬だけ腕にしがみつくアイノに目を向けた。

「ですが、その前に妹を寮まで送りたい。この事件に、ショックを受けているようだから」

 だが、清水はちらりとアイノを捉えただけで、その不遜ふそんな態度を崩さなかった。

「そのくらいのことなら、我々に任せてもらおう。オイッ、小粥おかい

 清水が後方にいる女性の局員を呼び出す。声かけまでいかにも尊大だ。

 駆けつけたのは、黒のパンツスーツ姿の女性局員だった。背丈は清水と同じくらいだが、体つきはとても薄い。全体をボブカットにまとめた前髪で右目は半ば隠れている。

 残りの左目で、小粥は清水を見た。

「し、清水さん、もう少し温和に行きましょう? 彼女、おびえて……」

「うるさい」と清水は一喝。「いいから、誰かに呼んでその彼女を寮まで送り届けろ。ついでに話も聞いておくんだ」

 小粥は小さな声で「かしこまりました」と答え、律儀に三人に一礼ずつしてから、去って行った。途中、現場から上がってきた睦美と涼至にも、すれ違いざまに頭を下げる。

 桐華の目に、睦美の顔色は変わらないように見えた。と言うか、いつもから割に小難しそうな顔をしているから、大きな変化を見いだせなかっただけかも知れない。

 一方の涼至は――

「君は?」

 清水の声に我に返る。振り向けば、清水の鋭い眼光が桐華のほうに向いていた。

「青木桐華です」と慌てて名乗る。「睦美のルームメイトで、その……」

「あぁ、発見者の赤坂涼至と関係があったというのは、君のことか」

 清水の言いに桐華は二度瞬きをしてから、睦美の方を振り返った。その視線に気づいたのか、睦美が片手を立てて謝する。

「君にも話を聞かせてもらう」と清水。「順番的に少し後になるが、待っていてくれ」

 行こう、と清水が規制線をまたぎ、イルモを連れ出す。心細そうな顔のアイノとともに、桐華はその場に残らさせられる。

「……大丈夫なのかな」と思わずひとちた。






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