第20話 内心


 半島の外周ルートを歩く睦美の前に、横手の寮から赤坂涼至が姿を現した。

「小鳥遊さんじゃないか、奇遇だね」

 涼至がブルージーンズの後ろのポケットから出した片手をあげた。シルバーのチェーンがポケットから伸びて、腰につながっている。

 睦美は、額ににじんできた汗を軽く拭い、歩は緩めずに涼至に近づいた。

「すまない、今は何分くらいかな?」と涼至。

「今、ですか?」睦美は自分のウォッチ型デバイスに目を向ける。「十一時四十分、もうすぐ四十一分です」

「それくらいか。遅くなったと思ったが、まだ間に合いそうだ」

「何かあるんですか?」

 睦美は顔を上げる。比較的背高の睦美をもってしても、涼至の目を見るには少し目線を上にしなければならなかった。

「ちょっと荷物を出さないといけなくて、正午の便に間に合えばおんの字と思ってたんだ」

 涼至は反対側の手に持った小包を示す。

「なんの荷物なんですか?」

「ちょっとしたビジネスさ。小型の制御装置を自作して販売している。機密も絡むから、電子配送には頼りたくなくてね」

 なるほど、と睦美は思った。荷物センターもカフェテリアと同じ方面にある。案の定、涼至も睦美と歩調を合わせるようにして足を踏み出した。

「そういう君はこの後、桐華主催のランチ会に行くのかい?」

 睦美は「はい」と首肯を返した。

「だけど、どうしてこっちの道を歩いてきたんだ? バス通りを行けば、岬地区の真ん中までまっすぐだろ?」

「気候も良いですし、ゼミの終わりから正午の集合まで時間もありましたから。散歩は習慣なんです」

 睦美の言いに、涼至は片眉をあげた。

「意外だな。でも気持ちは分かる。こんな日に、部屋や〈バブル〉に閉じこもるなんて、もったいない。俺もどこかに出かけたいよ」

「……明日から京都に行くそうじゃないですか。小笠原先輩を追いかけるようにして」

 睦美が言うと、涼至が流し目をくれた。笑みは消え、いくらか不信感のこもった視線だ。

「どこで、そんな話を?」

「あちこちから聞いた話を勘案すれば、すぐにわかります」

 涼至の目が、少しだけ柔らかくなる。

「まるで桐華みたいだ、君もよく回る頭を持っている」

 睦美は、そのはぐらかしには乗らない。涼至の横顔にまっすぐな視線を向ける。

「涼至さんは、桐華のことをどう思ってるんですか?」

「……直球だな」と涼至。「まるで、それを俺に訊くために、ここへきたみたいだ」

 睦美は「その通りです」と答えた。

「悩みや課題には原因があり、その根本的な原因を無くしていくのが、私の信条です。

 このところの桐華は、夜な夜な物思いにふけってぼーっとしていたり、逆に今日のイベント企画みたいに空元気を発揮したり、そういう両極端な状態です。

 その原因は、涼至さんが移り気なせいだと思います。ですから、涼至さんの移り気の原因が知りたいんです」

「……ひどい言われようだ」

 涼至は睦美から目をそらし、前方に視線を向ける。外周ルートは半島の西端に達し、左カーブを描きはじめる。

 半歩前に出た涼至の背を、睦美は見続ける。涼至がまた口を開くまで、見つめ続けるつもりだった。

 意外と、その時はすぐに訪れた。

「……分かった、正直に言おう。誤解されたままだと余計ひどいこと言われそうだし」

 そう前置きした涼至。振り向きはせず、どこか遠くに目を向ける。

「前提として、俺は桐華が好きだよ。それは以前も今も変わらないし、たぶん今後もだ」

 睦美は無言をもって、先を促した。

「素直だし元気もあるし、何より頭も良い。一緒にいてもストレスを感じなかった。

 でもね、逆に言うと安心しきりで、張り合いがないんだ。自分をもっと奮い立たせてくれるような出会いが欲しかった。

 そんな時にこの学都で出会ったのが、リサだ。一目見た瞬間に彼女だと思ったよ、自分を変えてくれるのは。その時から、リサは学都のアイドル、魔術界のヒロインだったしね。

 彼女と張り合いたいがために、俺は勉強も部活も頑張ってきたよ。だんだん実績も出て、名前もおぼえてもらえたし、年が変わるくらいから何かと近づく機会も増えてきた。近づくほどに、俺は彼女に熱中していったよ。

 間の悪いことに、一年経って彼女への想いは激しくなるばかりだ。でも、桐華への想いとは違うことは確かだよ。俺は彼女から認められたいだけ、そう、承認欲求の現れなんだ。

 彼女から認められると言うことは、この魔術の時代に存在することを認められたのと同じようなものだ。逆に、彼女から離れれば、時代遅れの烙印になりかねないとも言える。

 桐華への想いとリサへの想いは違うものだ。両者がもしいっしょなんだとすれば、恋愛という言葉の定義自体が間違っている!」

 涼至が言い切る。そして、一つ息を吐いてから、睦美のほうに振り返った。木々が風にざわめく。

「分かってくれたかい、小鳥遊さん?」

 睦美は顔色を変えずに答えた。

「……それを理解してもらう一番の人は、桐華じゃないですか」

「君から訊いておいて、そういう正論を返すのは、やっぱりひどいな」

 涼至が肩をすくめ、首を振った。

「……おや?」と涼至が何かに気づく。「あそこに誰かいるよ」

 睦美も涼至の視線を追う。木々の切れ目から、崖に囲まれた小さな入り江を見下ろす。確かに、すみの岩場に誰かが腰を据えている。

「……小笠原先輩?」

 睦美がつぶやく。そのたおやかな金色の髪は他の誰とも見紛みまがうはずがない。

「おーい、リサ!」涼至が呼びかける。「そんなところで何してるんだ!」

 だが、彼女はいっこう振り向く様子を見せない。それに、もう少ししおが満ちれば、今にも波に洗われそうな場所である。

 急に、睦美の心臓が高鳴りはじめた。

 涼至がガードレールを跳び越え、崖を滑り降りていく。睦美も、手元のデバイスを操作して、空中浮遊の魔術を取得。光のパラシュートを使って入り江に下りた。

 猫の額ほどの砂浜に下り立つと、涼至はもう岩場の小笠原リサに声をかけながら近寄っていた。そして、彼女の正面に回り込む。

「……そ、そんな……」

「どうしたんですか?」

 駆け寄ろうとする睦美を、涼至は目線で制した、あらん限りに見開いた目で。

「近づかないでやってくれ」と涼至が言う。「死んでるんだ、首を絞められて……。ひどい顔をしてる……」





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