第17話 朝食の席

 昨日の夕べから、睦美が目を合わせてくれない。

 プチパーティの後片付けを手伝い、桐華が二人部屋に戻った頃には、すでに睦美は自室にこもってしまっていた。

 プライベートとプライバシーを考慮して、相手の自室への入室はNGとしている。わざわざ声をかけるわけにも行かなかった。

 だから、結局桐華が留学生イベントの件を話題にできたのは、翌朝の七時だった。

「ねぇ睦美。今日さ、岬広場の留学生イベントに行かない?」

 朝食の席の睦美に、ようやくそう切り出した桐華。睦美がロールパンの最後の一口を飲み込んでから、目を上げた。

「……留学生イベント?」

 今日は目を合わせてくれるらしい。桐華は睦美の正面の席に腰を下ろし、スクランブルエッグやサラダのった朝食のプレートをテーブルに置く。

「うん。アイノちゃんに誘われてね、各国の芸能や文化に触れられるんだって。どう?」

「午前は、ゼミがあるのだけれど」

「午後からは? 正午頃にみんなでお昼を食べてから、岬広場に行くとか」

「みんなって?」

「私とアイノちゃんと、あとイルモさんも」

「そう。……赤坂先輩は来ないの?」

 睦美が言いつつ、少し目を伏せる。

「そうみたい。誘ったんだけど、一日用事があるって言ってた。午前は寮に残って自習、十一時半過ぎくらいから出かけるらしいの」

 睦美がマグカップのコーヒーに口をつける。しばしの間合いを桐華が待つ間に、ニャーが温め直したパンを供してくれた。

 やがて、睦美がマグカップを下ろして、桐華のほうにまた視線を向ける。

「……わかった。行くつもりにしておく」

「やった! それじゃ正午に集合ね、ステーションのとこのカフェテリア」

 睦美がうなずく。桐華はパンを一口大にちぎって、口に入れた。小麦の味がちゃんとする、シンプルな味わいだ。

「それにしても」と桐華。「昨日は何かあったの? なんか気まずそうにしてたって言うか、夜も部屋にいないみたいに静かだったし」

「……まぁ、実際部屋にいなかった時間もあったけど」

 桐華はキョトンとして、睦美を見つめた。

「え? どういうこと?」

「散歩に出てた。夜の学生街を軽く一周」

 夜の街を歩く睦美を想像してみる。なんだかうまく像を結ばない。

「小さいときからの習性」と睦美。「実家の近くの那智山なちさんとかも、よく登ってた。考えごととか、落ち着きたいときとか、じっとしているより軽く体を動かすのがくせなのよ」

「なんか意外。確かに、出会ってすぐの時にもそんなこと言ってたような気もするけど」

 桐華は、レタスの葉にスクランブルエッグをひとすくい乗せて口に入れる。シャキシャキとふわふわのコラボが楽しい。

 それを飲み込んでから、「つまり」と言う。

「歩きながら、涼至さんのこととかを考えてたのね」

「……相変わらず、頭が回るのね、桐華は」

 睦美が嘆息交じりに言った。

「いやいや、すぐに分かることでしょ? 涼至さんの話を振ったのは睦美だし、私に対して目も合わせてくれないんだもん」

 睦美が表情を誤魔化ごまかすようにマグカップに口を付けた。

「でもさ、睦美が気にすることじゃない、これは私の問題だよ。たとえ涼至さんから京都旅行のお誘いが来てるのだとしても、それで気を病むのは私なんだから」

「……来てるの?」と睦美。

「うん。よりにもよって、イルモさんから小笠原リサと京都に行くって話を聞いた直後に」

 睦美がマグカップの中を飲み干す。それをテーブルに戻したとき、勢いのあまりゴトッと音がした。プレートの上のはしも揺れる。

 桐華は驚いて顔を上げる。睦美もまっすぐに桐華を見返している。

「それで、どうするの?」

「どうするって?」

「京都に行くの? それとも……」

 そこで睦美は口を閉ざした。しかし、目をそらしはしない。

 桐華は、破顔した。

「もしかして睦美、この間の私の冗談じょうだんを、に受けてるんじゃないよね?」

 睦美が顔を伏せた。それこそが回答だった。

 桐華は微苦笑を浮かべる。

「もしそうなんだったら、ゴメン、この間の話は撤回する。そりゃ、涼至さんにはこっちを振り向いて欲しいけど、そのためにせっかくの朝食がマズくなるようなことはしないよ」

 睦美は前髪で目元の表情を隠す。

「それに」と桐華は続ける。「第一、後ろ暗い感情だからって否定しなくても良いじゃん。

 負けたと思うから次は勝とうとする、劣っているから乗り越えようとする。私が小笠原リサに適わないのだとしても、私も小笠原リサに勝る何かを手に入れれば、相子あいこにできる。

 要は、そういった感情から、どう正しく前へ進めるかが大切なんじゃないかな?」

 やや早口で言う桐華の見解に対し、睦美は最後まで黙っていた。食堂はいつしか静かになっている。寮生のほとんどが、こちらに注目しているようだった。

 やがて、「だけど」と睦美が言う。

「そもそもの原因がなくなれば、それに越したことはないわ」

 桐華が反応する前に、睦美は席を立った。そのまま食堂を出て行く背中を、桐華は見送ることしかできなかった。






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