第16話 木陰の道


 弁当箱の中身は、昨夜のあまりの鮭ムニエルに蒸し焼きのブロッコリー。十六穀ご飯には、白いかぶ漬けが添えられている。

 桐華がついでだからと作ってくれる手弁当だが、睦美に言わせればこの上なく気恥ずかしく、でも少なからずありがたいものだった。

「いただきます」

 校庭のはずれのベンチで、睦美は手を合わせた。かぶ漬けをまず口に入れると、コリコリとした食感が心地よく脳に響く。

 一人で食事となると、たいていはパンなどでさっさと済ませてしまう。時には、ゼリータイプのもので栄養だけ補給することもある。

 そんな食生活が体に良くないことくらい重々承知している。だが日進月歩の世の中においては、三度の飯より世の中の情報や目新しい技術のほうがよっぽど必要なものだ。

 そんな話を以前真顔でしてしまった睦美。桐華が仰天し、その後から弁当を作ってくれるようになったのだ。

 今ではお気に入りの場所も見つけて、一人ゆったりと昼時を過ごすことも珍しくない。

 確かに人と出会い、自分の生活は変わりつつある。この街に来たことが、少なくとも実生活の面では良かったのだろう。

 ――そんなことをとりとめも無く考えつつ十六穀ご飯を咀嚼していると、やや遠くから声がした。

「……あら、そんなに器用だったの?」

「あぁ、専攻は機械工学だが、システムも少しはできる」

 ここは大通りから外れたところで、野外グラウンドに挟まれた木陰道。体育の授業や運動部の活動時間以外は人通りのないところだ。

 だからこそ睦美のお気に入りだったわけだが、そこに人がやって来るとなると、意味も無く後ろめたさのようなものが沸いてくる。

 それに、声には聞き覚えもあった。

 睦美は弁当箱の蓋を閉めてベンチを離れ、近くのかしのきの陰に身を潜めた。

「もしかして、自分の体も自分でプログラミングしてるのかしら?」

「そうだ。前はプログラマーにやってもらったこともあったが、防御のこととか、とかく慎重すぎてしょうに合わなかった。自分でやる方が、効率的にかつ思い通りにできる」

 幹の陰から覗き見る。――やはり、やってきたのは小笠原リサと赤坂涼至だ。おそらく、涼至の魔術格闘技の話だろう。

「その点は、涼至さんをうらやましく思うわ。私はプログラムについてはダメなのよ。イメージだけが先走って、手が追いつかなくなる」

「あぁ、それでイルモ・ライネのようなプログラマーを必要とするんだね。でも、本当に彼に君の理想をかなえられるのかな。彼はフィンランド人じゃないか」

「あら、差別はいけないわよ。それにイルモさんは勉強熱心なの。もともと独学でプログラムを学んだそうだし、日本文化の空気が学びたいって、京都に行くことにもしたのよ」

 涼至が足を止める。リサも数歩進んでから、振り返った。

「……それは君も行くのかい、リサ?」

「もちろんよ。二人のイメージを一緒にしないと、良いパフォーマンスはできないもの」

「俺だったら、そんな手間はとらせないで、君に完璧かんぺきなプログラムを作ってあげられると思うけどな」

 リサは一瞬だけ目を丸くした。だが、すぐに目を笑みの形に細くする。

「今の言葉、まるでプロポーズみたい。でも、すぐにOKは出してあげられないわ。私にはすでにイルモさんがいるから」

「そんなに彼のことを信じているのかい?」

「えぇ、そう。何かを成すためには信じることがいちばん大切。パートナーを信用し、これまで努力を信頼し、何より自らに自信がなくっちゃいけない」

「自信なら、俺だって負けないさ」と涼至が胸を張る。

「そうみたいね」とリサはおかしそうに笑う。「そこまで言われてしまったら、あなたを無碍むげにするのも、信条に反するわ」

 小笠原リサが左手で金色のたおやかな髪をかき上げる。手首のウォッチ型デバイスが木漏こもを受けて光る。

「いいわよ、もう一度チャンスをあげる」

 赤坂涼至が安堵したように頬を緩ませた。

「あぁ、必ず期待を超えてみせる」

 ――だんだん、その場にとどまっているのがいたたまれなくなってきた。

 睦美は魔術プログラムのフリーサイトから空中浮遊の魔術をダウンロードし、足音立てずにその場を離れた。


 午後の講義を終え、夕方に寮へ戻ると、桐華とニャーがキッチンに立っていた。

「ただいま、何を作ってるの?」

「小鳥遊さん、おかえりなさい」とニャー。「ベトナムの生春巻きよ。みんなが来てから一月ひとつきだから、プチパーティを開くの」

「手巻き寿司みたいだよ」と桐華。「睦美もやろう、楽しいよ」

 睦美は首肯を返す。それから、弁当箱を桐華に差し出した。

「ごめん桐華。あんまり時間が無くて、半分くらいしか食べられなかった」

「そうなの? 今度はもっと、軽くつまめるもののほうが良いかもね」

 弁当箱が桐華の手に渡る。睦美は、台に並ぶ野菜やお肉などの食材に目を向けている。

「……どうしたの、睦美?」

「え? ううん、何でも無い」

 睦美は、荷物を置いてくる、と一度キッチンを出た。桐華の顔は一度も見られなかった。






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