第18話 図書館
いろいろと思うところがありすぎて、睦美は歩いてゼミに向かった。初夏の清々しい空気の中を三十分あまり、それだけ足を動かしていれば、幾分か頭もすっきりした。
そうして到着したのは、図書館だった。睦美にすれば、幼い頃から一番慣れ親しんだ場所である。
都市で一番大きな建造物と言っても過言ではない、
蔵書数もおそらく日本でも有数だろうが、今時そんな大量の資料に生身のままとっかかる人間が多くないのが実際だ。バブルに入ればより効率的に調べ物はできる。
そういうわけで、図書館はいつでも静謐に包まれている。今日はここで、ゼミの調べ学習が行われた。
ゼミでは、グループでデジタル魔術の歴史的経緯をまとめる事になっている。どういうわけだか、睦美を含む三人組はそこに犯罪というテーマを付け加えた。
おそらく、他の二人がミステリー研に属しているからかも知れない。
取り急ぎ、ネットでいくつかの事件をピックアップして、それぞれを新聞等で掘り下げる。そして、時期ごとにまとめて、その変遷や共通項などを見出すことにしている。
睦美は新聞の
その途中、記事を読み込みながら歩いていたせいか、睦美は通路に立つ別の利用者とぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
謝りながら顔を上げると、たおやかな金髪と穏やかな笑みが目に飛び込んできた。
「大丈夫よ。小鳥遊さんこそ、熱心ね」
小笠原リサが小声で言った。手に睦美同様、縮刷版のページを開けて持っている。いつかの社会面で、目新しいビジネスへの展望や神奈川での住宅火災などの見出しが載っている。
「調べ物かしら?」とリサ。
「はい、ゼミのグループ学習で。先輩は?」
「私もちょっと調べ物、個人的なものだけど」
そういうリサの目が、少し赤くなっている。よく見れば、ほおに涙の跡が残ってもいる。
その意味を推察する前に、リサがページを閉じて、
「学都での生活には、もう慣れたかしら?」
「まだ、なかなか。ルームメイトに振り回されて、慣れる暇も無いとも言いますか」
「あぁ、この間一緒にいた青木さんね?」
その刹那、リサの表情に影が差した。前髪が目元にかかる。
それはほんの一瞬の変化で、睦美が瞬きした直後には、また元の穏やかさを取り戻した。
「でも、他の人に振り回されるというのも、それまでの自分では経験し得なかったことができるという意味では、幸福なことよ。そしてそれこそが、この街の存在意義でもある」
リサの穏やかな口調は、つい聞き入ってしまう。あの時の演説と同じだ。
「それに、辛いときにそばで支えてくれる友人がいることも、難しいことがあったときのいっしょに乗り越えてくれる仲間がいることも、きっと幸福なことに違いないわ」
リサの髪が、少し揺れた。
「せっかく出会ったの、大切にすることね」
「わかりました」
睦美は頷きを返した。リサがそれを見届けて、辞去の礼をする。
「小笠原先輩」睦美は呼び止めた。「つかぬ事を
「この後? 特には無いわ」とリサ。「どうして?」
「いえ。ただ、岬広場で留学生イベントがあるそうで、そちらには足を運ばれないのかと」
「それね、少しお手伝いしたところもあるから、顔は出したかったんだけど。明日からイルモさんと京都に行くことになってて、それまでに終わらせないといけないことがあるの」
時間に余裕があれば行くかも知れないわ、と言い残して、小笠原リサはコーナーから出て行った。後にわずかな香水の香が残る。
すれ違いに、ゼミ仲間が姿を見せた。
「探したよ、小鳥遊さん。……なんだか難しい顔してるけど、どうしたの?」
「……え? ううん、何でも無い」
睦美は首を横に振った。
ゼミ自体は十時二十分の定時でお開きだったが、睦美のグループでは少しだけ延長戦をやった。思った以上に大きな事件というのは見当たらないと言うのが、目下の報告だった。
デジタル魔術の一つの特性として、誰が何をしたかの
「これはつまり、魔術が、凶悪事件の
との仲間の一言に、睦美は「そうかも知れない」と返した。
もうしばらく研究していくという二人を置いて、睦美は午後の約束を理由に十一時ちょうどに席を立った。
外は少し気温が上がっている。それでも、散歩するには申し分ない季節だ。軽く汗をかくくらいが頭を働かせるにはちょうど良いと、睦美は考えている。
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